読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

りぷろぐ

せつな系創作団体「Repro」のBlogです!

もどかしく、じれったい、けれど愛らしいSMな関係~『ナナとカオル』を読んで~

 世の中うまくいかないことが多いですね。

 具体的には原稿が思ったように書けなかったり、原稿が思ったように書けなかったり……。

 

 どうも、ぐだぐだと日々を過ごしながら、FGOとEXTELLAに逃避しがちな淡夏です。

 いやぁFate/EXTELLA思ったよりも面白いですね!

 無双系のゲームは今までやったことがなかったのですが、思ってた以上にスピード感があって楽しめてます。

 言うて本家本元が開発してたらもっとゲーム性も上がったのかなという気もしますが。

 

 それにしても冒頭でも書いたように、世の中ほんとうまくいかない。

 そりゃ色んな人が居る以上、何でも自分の思い通りになるとは限らないんですけどね。

 さてさて今回は、そんな思い通りにならないことに諦め、それでも諦めきれずにSMという行為によって繋がってしまう恋愛漫画のご紹介を。

 

 

ナナとカオル 1 (ジェッツコミックス)
 

 

 SMと聞くと、どのようなイメージを思い浮かべるだろう?

 Sという相手の苦しむ姿に興奮を覚える人種が、Mという痛みや苦しみを快感に変える変態を苛める特殊なプレイ。

 そういうイメージを持つ人の方が多いだろう。

 かく言う自分も基本的にはそういう認識をしていた。

 けど、こらから書く『ナナとカオル』という漫画を読んでSM、引いては恋愛やコミュニケーションについての考え方が変わってしまった……気がする。

 

 

ナナとカオル』とは

 ヤングアニマルにて連載されていた、“SMラブコメディ”。

 作者は成年漫画を描いていたという甘詰留太で、今作が初の一般向け漫画らしい。

 どんな話をざっくり紹介すると以下のようになる。

 

 主人公は、低身長、勉強出来ない、SM妄想が趣味の高校生、杉村薫

 クラスでは“キモムラ”というあだ名をつけられる、所謂“陰キャラ”男子だ。

 そんな彼には、同じアパートの隣に住む千草奈々という幼馴染がいる。

 学年随一の優等生で陸上部のエース。加えて生徒会の副会長という完全無欠の美少女だ。

 薫からすれば遠い場所にいる奈々だが、彼女にとって薫は昔から仲の良い友達。

 いや、心の奥ではそれ以上の気持ちを抱いているのだが、当の本人は気付いてはいない。

 もちろん、薫の方も奈々に対して並々ならない気持ちを抱いているのだが、自分ではもう届かない相手なのだとそれを押し殺している。

 そんな気持ちがすれ違っている二人だが、ひょんなことから薫のコレクションであるボンテージを奈々が着てしまい、鍵がかかって抜けなくなるというアクシデントが発生する。

 薫に頼みこんで何とか外してもらうのだが、奈々はボンテージを着ている時の束縛感や羞恥心に気持ちよさを見出してしまい、いつも優等生をしていることの気疲れを解消するための手段として同じようなことをして欲しいお願いしてしまう。

 こうして、二人の“息抜き”が始まるのだが……。

 

 はい、ここまで読んだ人の多くが「これなんてエロ漫画?」とお思いになることだろう。

 確かに実際縛られている奈々はエロいし、放尿、スパンキングなど結構アレなプレイもしているのだけど、本番どころか局部を出すような行為は出てこないし、奈々が恥ずかしい格好をするような場合でも基本的に大事な部分は隠している(布越しの乳首は描かれているけど、ヤングアニマルだし多少はね。ブラックレーベルという本編のその後を描いた作品では、ある人物は普通に裸体、しかもピアッシングした胸が描かれているが、奈々はそういう風には描かれていない)。

 あくまで、そんなソフトSMでの“息抜き”と、それに伴う二人のやり取りがラブコメ調で描かれている作品なのだ。

 それだけでもアイデアとしては面白いのだが、実はこの作品、単行本で18巻まで続いた。

 普段漫画を読まない方なのでこれが長いのか短いのかは判断に困るが、ただのエロラブコメがここまで続くことはないと思う。

 巻数が出るのは読者の支持があるからこそだと思うのだが、ではこんなニッチなジャンルにどんな魅力があったのだろうか。

 

 

信頼関係の上に成り立つSM

 冒頭で述べたように、SMは痛みや苦痛を快感として与え、与えられるものだと認識している人が多いと思う。

 けれど今作では、S役の薫の徹底したケアによって、奈々が後々まで引きずるような痛みや苦しみを負うことはない。

 まず緊縛をするにしても、奈々の肌に痕が残らないように、縄を煮込んだり、ささくれだった所を焼いたり、オイルを染み込ませて肌触りをよくしたりときっちりと準備をしてから行っている。

 羞恥プレイにしても、一週間程、候補地の人通りを観察し人気の少ない時間帯を見つけ、誰も立ち入れないように細工をしてからやっている。

 他にも道具の手入れは怠らず、衛生面にも気を使っている。

 プレイの最中にも本当に奈々が嫌がることは極力せず、どうすれば奈々が気持ち良くなれるか、プレイに没頭出来るか。

 奈々の身体に危害が及ぶことはないか、“息抜き”がばれて彼女の社会的地位が危うくなることはないか、などと心の底から彼女を労わって苛めている。

 そこまでしておいて、薫は奈々に手間暇を掛けている素振りは全く見せない。

 そう、S役に求められるのは相手をいたぶる嗜虐心だけでなく、相手が身体の芯から悦ぶポイントを探し出し、且つアフターフォローもきっちりこなす紳士力なのだ。

 

 紳士力なのだ!(大事なことなので)

 

 この紳士力があるからこそM役も安心(?)して没頭でき、そういう信頼関係があるからこそ“プレイとして”成立する。

 とまあこれだけでも当初のイメージは薄れたと思うが、まだ足りない。

 『ナナカオ』で描かれるSMは、ソフトではあるが単なる“ごっこ遊び”ではない。

 奈々と薫のSMは、肉体を通じて行われる心の触れ合いだからだ。

 

 

SMというコミュニケーション

 作中の台詞にこんなものがある。

 

 好かれたい、嫌われたくない。

 でも……関わりたい、自分のものにしたい。

 そしてそれを言葉で伝えられない……。

 そういう相反する気持ちの押し引き、それがSMですもの。

 

 これは薫行きつけのSMグッズショップの美人店長、橘満子の言葉。

 彼女は度々薫や奈々の相談に乗り、アドバイスをくれる。

 薫がこの言葉を投げ掛けられたのは、奈々との関係に悩んでいた時だ。

 薫は自分に自信がなく、何でも出来る奈々は遠い存在になってしまったと思っていた。

 今は“息抜き”を通じて一緒の時間を作ることが出来るが、本来、奈々と並ぶような立場に自分はいない。

 だから、自分が奈々のことを好きだとバレてしまったら、今の関係を続けることが出来るだろうか。

 きっと自分のこと好きになることはないが、優しい奈々は気を使う。

 そんなことを、薫は望んではいない。

 そのようなことを橘さんに相談していると、彼女は薫にこんな提案をしてくる。

 

 一度自分を客観視するために、相手から人間性を奪うようなプレイをしてみてはどうか。

 そうして相手を肉の塊にまで貶め、自分の欲望に正直になってみてはどうか、と。

 

 そして行動に移すのだが、ここでも薫は最後の最後まで葛藤している。

 奈々にこんな酷いことをして良いのか、自分の欲望を押し付けて嫌われやしないだろうか。

 しかし同時に、アダルトビデオのように女に酷いことをしてみたいという欲求も存在している。

 思いきった薫は、今までよりも強い拘束で奈々の自由を全て奪い去り、その身体に欲望をぶつけようとする(ここの欲望をぶつけるというのが本番を強行するなどではなく、おっぱいを、それも恐る恐る踏むというのが薫らしいのだが)。

 興奮は最高潮になり、彼は自分の欲望を解き放ち、そして認める。

 自分が本当に欲しいのは、自分の好き勝手出来る肉としてのナナじゃなく、何事にでも努力する、優しい、前向きで、怒りっぽい、全部の千草奈々なんだ、と。

 

 一方、奈々も薫の欲望を肌で感じ、理解する。

 薫は今まで自分の欲望と戦い、自分自身から奈々を守ってくれていたのだ、と。

 

 ちょっと奈々の方は男に都合よく考え過ぎな気もするが、とにかくこのシーンは号泣ものだ。

 これを境に、薫は奈々に追いつこうと努力を始める。

 手遅れかもしれないが勉強して、奈々と同じ大学に入り、ずっと奈々の隣にいても不釣り合いではない自分になるために。

 こんな風に、SMを通じて二人は自分のこと、相手のことを考え、そして成長していく。

 そんな二人の関係こそが、『ナナとカオル』最大の魅力なのだと思う。

 

 上記以外にも心にくる“息抜き”はまだまだある。

 家庭の事情、優等生故に周りから様々なものを押し付けられてイイ子の仮面が外せなくなってしまった奈々の顔をマスクで覆い、心の底に溜まったものを吐き出させるようなものや。

 二人で作った首輪を使っての羞恥プレイ。

 そして何と言っても、無印で描かれる最後の紙を使っての拘束、等々。

 特に最後の紙拘束に関しては、最終巻の感想と共に別口で語りたい程凄い“息抜き”だと思う。

 二人の、今までの積み重ねがあったからこそ出来ることだし、そこで交わされる、言葉にならない気持ちのやり取りが本当に胸にくるのだが……。

 まああまりグダグダ書くのもあれなので、今回はこの辺までとしておく。

 

 

まとめ

 とまあ拙いながらも『ナナとカオル』の魅力を綴ってみたのだが、いかがだっただろうか。

 深い関係の話だけでなく、息抜き中に薫と奈々が巻き込まれるトラブルも本当に笑えてドキドキ出来るものなので、純粋にラブコメとしてもかなり面白い作品だと思う。

 興味を持った人は、エロ漫画っぽいという偏見をかなぐり捨ててコミックを手にとって欲しい。

 特に、ちょっとめんどくさい恋愛ものが好きな人は是非。

 

 

ナナとカオル 18 (ヤングアニマルコミックス)

ナナとカオル 18 (ヤングアニマルコミックス)

 

 

 

 

『ヨイコノミライ』(きづきあきら)がすごく刺さった話

書評 漫画 オタサー

ヨイコノミライ』というオタサー漫画がマンガワンに上がってたので暇つぶしがてら読んでみようかな-、と思ったんですが読んでいるうちにぐいぐい引き込まれて結局最後まで読んでしまいました。

舞台は漫研なんですけれど、部誌を作る感じとかはやっぱりどこも一緒と言うか、あのぬるさとか痛さとかすっごい思い当たる節がありすぎてやばい。

オタク、特にオタサーでわちゃわちゃやってて人間関係でもめちゃったwww って人には超刺さります。

 

あらすじ

端的に言うとぬるいオタサーから真面目にやる厳しいサークルにしようとしたら、結局誰もいなくなっちゃったよ!\(^o^)/オワタ っていう話。

 

げんしけん』の暗黒面Ver.っていうと分かりやすいんだけれど、とにかくいろんなタイプの痛いオタクが出てくる。

批評家気取りで他人を叩いて優越感に浸る奴とか(その実、自分では何も生み出さない)、設定集とか頭の中でだけストーリーを考えて形にしないやつとか。

あるあるすぎて、心が……痛い……。

結構登場人物多くて、大体のキャラは網羅していると思うので、誰かしら思い当る奴はいるんじゃないだろうか。

詳しくはWikipedia参照。

ヨイコノミライ! - Wikipedia

 

結局、本気になると痛みが伴うし、いつまでも逃げられないよね。

読んでて結構共感したのが、他人の原稿を見て「おいおい、これは・・・」ってなった時の対応なんだけれど、あれってどうするのが正解なんでしょうね?

ぼろくそに言うと、傷付けちゃうかもしれないし、でも、このレベルの奴と自分のが一緒に載るのかと思うと……。(まあ、思ったことは大体言うタイプでしたけれど)

結局、素晴らしい内容の同人誌ってある程度の規模のサークルだと難しいんですよね。

やる気のある人とない人がいて、そこに技術のある人とない人がいて、そこにまた売れるジャンルと売れないジャンルがあって。

というか、ジャンル統一してなかったらそもそも売れないっていう。

 

本当に上手くなろうと思うと誰かにぼろくそ言われるの覚悟でアウトプットしていかざるを得ないんだけれど、それってめっちゃ辛いし、しんどいし、考えているだけの方が楽なんですよね。

でも、そこを乗り越えないと上手くならないっていうダブルバインド

あー、耳に痛い……。

 

オタサーの人間関係

この漫画に出てくる人間は基本全員自分のことしか考えてないです。

他人との距離感がつかめない、とかじゃなくて他人との距離感をつかもうとすらしていない。まあ、ある程度強調して書いているからここまでひどくはないとは思うんだけれど……。

ヨイコノミライ(きづきあきら)の人間関係って未だにリアルなんだろうか - マイルドヤンキーにさよならを

この記事にも書いてますが、今のオタクとこの漫画に出てくるオタクは少し違うかもしれません。昔は人付き合いが苦手だから、オタサーに逃げ場を求めたけれど、今は結構リア充と呼ばれる人もいっぱい入ってくるし。この漫画が完結したのが10年前だから、僕はまだ中二で、オタサーにも入ってない。

 

個人的な偏見でいえば、僕がいたころも正直似たような所はあったけれど、もう少し他人に気は使っていたような。でも、やっぱり一般と照らし合わせると人間づきあいは苦手だったんだろうなー。というか、変わっている人が多かった。

変わり者も受け入れる土壌はあって、けれどその分外部とは少し違った場所だったんだろうな、と。

                                   綾町 長

 

 

ランボー VS 蘇我入鹿 in 奈良―ランボー怒りの改新感想―

奈良はどうして変態変則的な作家を産み出すのか?

人間の人格に生まれ育った土地は大いに干渉していると私は考えている。

 

例えば、私は「松原」と呼ばれる大阪の中でも立ち位置のよく分からない土地に生まれた。

大阪市堺市に面しており、立地としてはなかなか良いと思うのだが、いかんせん知名度はない。

名産は「金網」と「真珠核(真珠を作る際に貝に入れる、その名の通り真珠の核となるもの)」と超マイナー。

その割に市の木は「松」、花は「薔薇」と受けを狙っているのが、逆に哀愁を漂わせている。

この様な土地に生まれたもんだから、私自身もよく分からない立ち位置で、少し哀愁を漂わせながら自虐をする「ヒロシ」みたいな人間になってしまったのだ。

 

とすれば、逆説的に『森見登美彦』と『前野ひろみち』なる新人作家を産み出した奈良という土地はいかなる土地なのか?

 

d.hatena.ne.jp

 

森見登美彦氏は特異的な文体で、京都を舞台とするファンタジーチックな世界観の作品を世に送り出している変態変則的作家だが、実は奈良の生れである。

その森見氏が自身のブログで「先手を打たれた!」と嘆いたとされるのが、前野ひろみち氏の『ランボー怒りの改新』である。

前野氏も森見氏に負けず劣らず、変則的な作家である。何せ表題作のあらすじがおかしい。

 

ランボー怒りの改新 (星海社FICTIONS)

ランボー怒りの改新 (星海社FICTIONS)

 

 ベトナム戦争帰りのランボーが奈良にて蘇我入鹿らを倒し、大化の改新を行う!

 

 ランボーって言っても本当のランボーとかじゃなくて、村上春樹がよく言う『概念的』なランボーなんでしょ!とかそういうことはなく、本当にそのまんまランボーである。

 

いやいや、この時点でおかしいだろ!とあらすじを見れば思うのだが、それが上手い具合に混じり合って読んでいる上では違和感はない。中臣鎌足が銃持ってたりするけど、そこに疑問なんか抱かないのだ。

このあたりの聞いている上でははちゃめちゃなんだけれど、読んでいるうちにその世界が当たり前のように感じられる辺りは森見氏によく似ている。というか、ぶっちゃけ文体も結構似ている。*1

 

こちらは短編集になっていて、他にも奈良を舞台とした作品が入っているのだが、どれも少しずつおかしい作品になっている。

個人的には『満月と近鉄』が一押し。小説家を目指す少年の甘酸っぱい想いと、けれど、ひたむきに努力しようとする思いが書かれていて、そして最後に思いもよらぬ所へ着地する。

 

甘酸っぱい想いとかせつない感情とか、青臭すぎてともすれば陳腐な青春劇になりそうなものだが、舞台となっている奈良が上手い具合に全て丸めて鹿のえさにしてくれる。

突拍子のない設定だとか、そう言ったものもすべて含めて最後は「阿呆やなー」と笑って、それから少し泣きそうになって。

このあたりが森見氏と本当に似ている。こういったところが奈良の土地柄なのだろうな、と。

                                  綾町 長

*1:巷では森見氏が別名義で書いているのでは?という疑いの声が絶えない

“くそったれなゲーム”をプレイして思ったこと~『Chaos;Child』~

 2017年1月からアニメが始まるということで、それまでにはと思い色んなやるべきことよりも優先してクリアしてしまいました。

 残念ながらある程度のネタバレは知ってしまっていた(むしろ知ったせいで興味もった)のですが、それでも十分に入り込めたかなと。

 これで知らずにやったら、もっと凄かったんだろなぁ。

 

 

○『CHAOS;CHILD』とは

 

 『CHAOS;HEAD』(以下『カオヘ』)、『STEINS;GATE』(以下『シュタゲ』)などに続く科学ADVシリーズ第4段。

 科学ADVシリーズは全部世界観を共有していますが、今回は第1段と同じ“妄想科学ADV”となっており、名前からも分かる通り『カオヘ』との繋がりを濃くしいる。

 あらすじは以下の通り。

 

 物語の舞台は、2009年に発生した大地震から6年が経ち、復興しつつある渋谷。

 そこで始まった連続猟奇殺人事件。

 それらの事件は日付やその異常性から、6年前に起こった“ニュージェネレーションの狂気”の再来と呼び人々の関心を引いていく。

 自らを“情強”と自負する碧朋学園新聞部部長、宮代拓留は抑えられない好奇心故に事件を追うことにするのだが……。

 

 “ニュージェネレーションの狂気”や“渋谷地震”は、いずれも『カオヘ』で起こった出来事だ。

 どちらも『カオヘ』の物語の根幹に関わってくる事柄なので、気になった人は是非そちらを。

 また、起こった出来事以外にも“ギガロマニアックス”と呼ばれる特殊能力も『カオス』シリーズを繋ぐ重要なキーワードとなってくる。

 


PS版『CHAOS;CHILD』オープニングムービー

 

 

○「“ニュージェネレーションの狂気”の再来」とは

 

 地震が起こる前の2009年の渋谷では、“ニュージェネレーションの狂気”と呼ばれる不可解な連続猟奇殺人事件が起こっていた。

 詳しくは省きますが、男性の遺体の中に胎児が埋め込まれていたり、全身から血を抜かれていたり、果ては脳味噌を生きたまま掻きだされていたりと、どれも常識を逸したものばかり。

 そして2015年の渋谷でも、6年前に負けず劣らずな以下の6つの事件が起こることとなる。

 

・“こっちみんな”

 ニコニヤ動画生主の男性が、生放送中に自身の右腕を食べて窒息死した事件。

 その有様が「こっちみんな」のAAに似ていることから、ネット上ではそのまま通称となった。

 

・“音漏れたん”

 路上ライブ中に一人の女性が亡くなった事件。

 亡くなった後も歌は聞こえ続けていたが、それは生前裂かれた腹に埋め込まれたスピーカーから流れていたという。

 

・“回転DEAD”

 ラブホテルの一室にて、首をワイヤーで固定され、ベッドの回転に合わせて男性が首を絞められ殺害された事件。

 事件のことをいち早く聞きつけた拓留は現場に向かい、実際にねじ切られる死体を目の当たりにしてしまう。

 

・“ごっつぁんデス”

 人気ネット記者、渡部友昭が碧朋学園の文化祭のステージにて、大量の力士シールを嘔吐して死亡。

 遺体には、食堂から胃の中まで、みっちりと力士シールが詰まっていた。

 

・“上手に焼けました”

 マンションの一室にて、鉄筋で串刺しにされた女性の焼死体が発見された。

 しかし部屋には犯人を示す証拠もなく、出火の原因になるものも見つからなかった。

 

・“非実在青少女”

 渋谷郊外にて、一つ一つのパーツを箱に詰められ、人体のカタチになるように並べられたバラバラ死体が発見された。

 この事件は他のものと違い、拓留や乃々にとって大きな意味を持つものとなる。

 

 一見バラバラに見える今回の事件だが、現場に“力士シール”と呼ばれるものが残っている、事件の起こった日付が、6年前の事件の時と一致しているなどの共通点がある。

 


『CHAOS;CHILD』東京ゲームショウ2014公開トレイラームービー

 

○「力士シール」とは

 

 『カオチャ』のシンボルとも言える、「太った男の顔が三つ目になるように重なっている」イラストのシール。

 実は現実の渋谷にも存在しており、2007年に街のいたるところに貼られていたそうふだ。

 デザインは様々なものがあり、類似品も多いですが元の製作者は不明。

 グラフィティみたいなものだとか、はたまた何かの組織が使っている目印だとか様々な説がありますが、未だに謎のまま。

 『カオチャ』ではある設定に関わってくるものとして描かれているが、もちろん実際のシールとは全く関係ない。

 もし渋谷に行く機会があれば、今も残っているのか探しに行きたいものだ。

 

f:id:repro09:20160930162017p:plain

 

 

○「ギガロマニアックス」とは

 

 簡単に言うと、“妄想を現実にする能力”を持った人達のこと。

 自分の妄想を他の人間にも認識させ、共通の認識とすることで現実化(リアルブート)することが出来る。

 力を行使するには“ディソード”と呼ばれる妄想の剣を手に入れる必要がある。

 『カオヘ』の登場人物は割と自由に妄想を操ることが出来たが、『カオチャ』では一人一人異なる、限定的な能力の行使に留まっている。

 また、『カオチャ』でのギガロマニアックスは、渋谷地震が原因となっている一種のPTSDカオスチャイルド症候群”の患者ばかりである。

 

 

○登場人物

 

・宮代拓留

 主人公。碧朋学園三年生で新聞部部長。

自身のことを“情強”、“真のリア充”と豪語するが、知らない人の前では口ごもる等コミュ障な一面も。

 地震の際に両親を失くし、医者の佐久間亘が経営している“青葉寮”という施設にて度学年の来栖乃々、中学生の橘結衣、小学生の橘結人と共に“家族”として暮らしていたが、とある事情により家を飛び出し、公園のトレーラーハウスに一人で住んでいる。

 “情強”としての自負か、色んな事件に首を突っ込みたがり、それを乃々に咎められる日々を送っている。

 

・尾上世梨架

 メインヒロイン。碧朋学園二年生で新聞部所属。

 拓留の幼馴染で、気がつけば二人で行動している。

 天然だが時折優れた洞察力を発揮する。

 口癖は「う?」や「おっけい」。


『CHAOS;CHILD』キャラクター紹介プレイ動画「宮代拓留・尾上世莉架」編

 

・来栖乃々

 もう一人のメインヒロイン。碧朋学年三年生で生徒会長兼新聞部副部長。

 明るく人当たりも良いので人気も高いが、怒ったら誰も叶わない為“女帝”と呼ばれている。

 “青葉寮”で暮らす皆を“家族”として何よりも大切にしている。

 そのせいか、拓留には周囲からブラコン扱いされる程のお節介を焼いている(もちろん、血は繋がっていない)。 


『CHAOS;CHILD』キャラクター紹介プレイ動画「来栖乃々」編

・有村雛絵

 ヒロインの一人で碧朋学年二年生。

 “回転DEAD”の事件現場におり、重要参考人とされていた。

 “ギガロマニアックス”であり、人の言葉の真偽が分かる能力を有している。

お調子者で如何にも女子高生然としているが、内心は嘘ばかりの人間関係に辟易している。

 「チャオっす!」、「あでぃおすぐらしあ~」など独特な挨拶をよくする。


『CHAOS;CHILD』キャラクター紹介プレイ動画「有村雛絵」編

 

 

・香月華

 ヒロインの一人。碧朋学園一年生の新聞部部員。

 部室でいつも『エンスー2』というネトゲをしており、ゲームにのめり込み過ぎてよく壁を殴っている。

 特に身体的な問題があるわけではないのだが、「ん」という言葉(?)しか発しないため他人に興味がないように見られるが、よく見ると周囲のことを大切にしているような行動が見受けられる。


『CHAOS;CHILD』キャラクター紹介プレイ動画「香月華」編

 

 

・山添うき

 ヒロインの一人。

 能力研究が行われていた“AH総合病院”の地下にて、被験者の世話係をしていた女の子。

 拓留達が地下に忍び込んだ時に出会い、連れ出した。

橘結衣の同級生らしいが、外見は結衣よりも幼く見える。

 地下生活が長かったためか、スマホ等の機械のことを全く知らない。


『CHAOS;CHILD』キャラクター紹介プレイ動画「山添うき」編

 

伊藤真

 碧朋学園三年生で新聞部部員。

 拓留の親友で、負けず劣らずの情報好き。

 猟奇マニアではあるが善人で、拓留のことを信頼している。

 

・久野里澪

 年齢は拓留達とそう変わらないが、脳科学の研究者で独自に“ニュージェネレーションの狂気”の再来を追っている。

 高圧的な態度が目立ち、ギガロマニアックスを人間以下のものと見ている節がある。

 利害関係から、拓留達と強力するようになる。


『CHAOS;CHILD』キャラクター紹介プレイ動画「久野里澪」編

 

 

・神成岳志

 “ニュージェネレーションの狂気”の再来を追っている刑事。

 作品一の良心。

 事件が常識では捉えられないものだと考えており、警察組織とは別に久野里と協力して調査を行っている。

 

・佐久間亘

 “青葉寮”を経営している医者。

 拓留や乃々達の“父さん”。

 ぶっきらぼうだが、気の良い人柄で患者にも好かれ、“青葉寮”の“家族”からの信頼も厚い。

 

・和久井修一

 碧朋学園の国語教師で、新聞部顧問。

 どこか飄々としており、頼りない印象を受ける。

 

・南沢泉理

 地震が起こるよりも以前、能力開発のため、“AH総合病院”の地下にて実験という名の拷問を受けていた少女。

 幼い拓留は世梨架の二人が、都市伝説の真相を調べる為に地下に忍び込んだ際に発見した。

 助けを求められたのに逃げてしまったことを、拓留は今でも後悔している。

 実は乃々の昔の親友で、地震の際に亡くなったとされているのだが……。

 

・橘結衣

 “青葉寮”で暮らす中学生。

 “家族”の中ではしっかり者の“次女”。

 結人とは実の姉弟であり、いつも気に掛けている。

 震災の際に恐い目にあったらしく、寮に引き取られた時は男性恐怖症だった。

 乃々が落ち込んでいる時も、自分が家族を支えるのだという程強い子だが、拓留がいなくなったことを寂しく思うなど歳相応の一面も見せる。

 

・橘結人

 “青葉”で暮らす小学生。

 “家族”の中では気弱な“次男”。

 結衣とは実の姉弟であり、いつもくっついている。

 彼も震災の際のことがトラウマとなり、暗いところを極度に恐がっている。

 弱気だが優しく、また物語が進むにつれ少しずつ逞しくなっていく姿が見れる。

 

 

 

○感想(※ネタバレあり)

 

 この作品は最後まで、“情報”というテーマに拘り抜いていたように感じる。

 情強と情弱、当事者と傍観者。

 最初の内はこれらが対応するものとして進んでいましたが、物語が進むにつれ、その関係は崩壊していく。

 誰もが皆、自分の持っている“情報”に縋り自分にとって心地好い現実を作っている。

 当事者だろうが傍観者だろうが、それはきっと同じなのだ。

 それがこの作品の言いたかったことなんじゃないかなと思う。

 Trueの“silent sky end”は言うに及ばず、個別ルートもそのことを補強するためにあったのかな、と。

 

 例えば雛絵編。

 雛絵は最後、発狂した母親が殺してしまった拓留の死体を抱きしめながら、彼が帰ってきて楽しい日々が続くという妄想の中に引きこもった。

 

 例えばうき編。

 エンディングにもよるが、うきにより作られた幸せな妄想から現実に帰還するも、それも妄想なのではないかという感想を抱いて終わる。

 

 例えば乃々編。

 乃々――泉理は自分が来栖乃々という嘘を吐き続けることを止め、本当の自分として現実を生きることを選択する。

 

 しかしtrueまで見ると、彼女達にとっての現実もまた、カオスチャイルド症候群による妄想だったということが判明する。true以外で、真の意味で彼女達が現実に帰ってくることはないのだと理解している。

 それでも、だ。

 それでも彼女達のルートや共通ルートで拓留や彼女達が行ってきたこと、感じたものに意味はなかったのだろうか。

 答えは否だ。

 それはプレイヤーが一番よく知っている。

 よく、trueで明かされる真実――カオスチャイルド症候群の患者達は能力の行使により身体が老化しているのに、お互いをそうと認識していない。そればかりか、自分達の共通妄想を作りだし、綺麗な自分達の暮らしを築き上げていること――は意味のないことだとする感想を見かける。

 例えそれが判明したからといって物語に支障はないし、起こった出来事が変わるわけでもないから、と。

 だが待って欲しい。

 自身達の姿の認識が違うということは、とても大切なことだ。

 カオスチャイルド症候群ではなかった人――久野里さんや神成さん、百瀬さんなどの人からは、拓留達が真実の姿で見えていることになる。

 彼女らとの関わりがないまま物語が作られたのなら、確かに意味はなかったのだろうが、彼女らも関わっている時点で無意味なものではないと思う。

 なのに、カオスチャイルド症候群の設定はどちらでも良いものと判断した。

 そこに“プレイヤーにとって都合の良い情報の取捨選択が発生した”と、そう考えることは出来ないだろうか。

 “都合の良い情報で物語を作る”ということは、つまりは“妄想する”ということである。

 なら“妄想上の物語”を認めることとなり、拓留やヒロイン達の物語や引いては雛絵が逃げ込んだ妄想すらも肯定出来るはずだ。

 だから、拓留や彼女達の感じたことには意味があるのだ。

 

 まあ物語のことを語る時点で妄想を語るのと同じことなのだが、それでも人は語ることを止めない。

 きっと、その妄想語りこそが現実を構築していくのだから。

 

 

 ちなみに、ここまで書いて筆者はこの文章の着地点を見失ってしまっている。

 と言うのも、本当に書きたかったはずのことと、大きくずれてしまったからだ。

 自分が書きたかったこと、知りたかったことは、『Chaos;Child』というゲームプレイをして感じた、あの嵐の後の静けさのような気持ちだ。

 なのに、どう書こうとしてもそれが書けない。

 そこで色々考えているうちに出て来たのが上記のような考えなのだが……。

 もし、ここまで読んで少しでも気になった人はゲームをプレイして欲しい。

 そして、出来れば一緒に語り合いたい。

 一応1月からアニメも始まるが、それでこの作品が表現出来るとは正直思えない。

 とはいえ、万人に勧められる作品ではないと思うので、気が向けば感想を書こうとしてただのストーリー紹介になってしまったものを載せるかもしれない。

 その時は「何やってんだ」と呆れつつ、この作品に感じたもの探しているのだなと、生温かく見守って欲しい。

 この感情を処理出来れば、何か得られそうな気はするのだが……。

 

 

CHAOS;CHILD

CHAOS;CHILD

 

 

 

CHAOS;CHILD

CHAOS;CHILD

 

 

 

CHAOS;CHILD

CHAOS;CHILD

 

 

 

CHAOS;CHILD

CHAOS;CHILD

 

 

 

第四回文学フリマ大阪 感想 by綾町 ‐紙魚を食べる虫‐

 第四回文学フリマ大阪、参加してきました!

 REPRO自体は何度か参加していますが、私自身は初参加でした。想像以上にたくさんのサークルさんが参加されて、こう静かな熱気とかがむんむんしていました。

 大学の懐かしい面々と久しぶりに会えたり、お隣の「庵 de 大熊猫」さん

http://independa.xxxxxxxx.jp/index.html

が飴をくださったり、謎のマスクを被った「はぐれ文芸部X」の代表さん

はぐれ文芸部X@文フリ大阪I-08 (@hagubunX) | Twitter

に出会えたり、小説同人誌mon

小説同人誌mon (@doujinmon) | Twitter

の望月さんが「見た感じは明るいんですけれど、書くものは暗いんです!」と力説しながら勧めてくださったり、と色々と濃くて面白かったです。

 逆に自分たちが薄すぎるなーというのも思いましたし、もっと頑張らねばとも感じて、創作意欲が湧きました!

 次は第一回文フリ京都に参加することが決定しましたので、そちらに向けて頑張っていきたいですね!

 

 で、幾つか戦利品を手に入れたので今、読んでいるところなんですが、せっかくなので感想をぽつぽつ書いていこうかな、と。

 

  とりあえず今、読み終えたのは紙魚を食べる虫さんの「WORLD ENDS」。

 

  タイトル通り、世界の終わりに際して起こるドラマを描いた短編集です。

 

  世界の終わりと言えば、伊坂幸太郎の「終末のフール」を思い出しますね。

 

  4編の短編集になっていて、でも、どの作品も終末世界の退廃感を背負っているようなそんな印象を受けました。

  やはり、明日世界が終わる、といった状況に追い込まれれば嫌でも何かを選ぶ必要がある。もちろん、選ばないという選択もあるんですけれど、先延ばしには出来ない。

 だって、明日には世界が終わってしまうのですから。

 その中だからこそ気付くことや見えるものがあって、それを各著者の感性で描いていて、その違いが面白かったです。

 

 個人的に一番上手いと思ったのは「落日」で、話しとしては一番短いのですが、描写の書き込みが素晴らしい。これだけ短い話で、けれど、しっかりと情景が浮かんできて、というのはやはり上手いとしか言いようがないと感じました。

 それに、きちんとした選択も出来ず、ただただ流されていく、というのがリアルで刺さったかな、と。

 それともう一遍、「終わる世界でいつまでも」はなんというかギャップが魅力かな、と。ファンタジー世界ですごく遠い世界の話から始まって、けれど、結末はすごく自分に近しい感情を突かれるという流れが魅力的でした。

   

 ということで、感想は以上!

 世界の終わりという題材はすごく魅力的で、REPROでもいつか書いてみたいですね。

 漫画「釣りバカ日誌」の中で、とても好きなエピソードがあるんですが、ハマちゃんの上司である佐々木部長が自分が末期のガンだと勘違いするんです。

 そうすると急に人格が変わって、上にはへつらわずにしっかり意見を言うし、部下には優しいし、といった素晴らしい人になります。そして、社長の甥っ子ではなく、自分がお世話になったたたき上げの上司が後継者になれるように各所に対して働きかけ、とすごくかっこいいんです。けれど、最終的には自分がガンでないと気付いて元に戻ってしまうんですけれど。

 

 世界の終わりというとすごく絶望的に感じるんですけれど、実は終わりが見えているというのは前向きにとらえればすごいエネルギーになります。

 そう言ったことを小説の中で書いてみたいな、と思いました。

                                  綾町 長

 

 

第四回文学フリマ大阪

およそ3カ月ぶりの更新です。

しかも、第四回文学フリマ大阪まで残り3日。

サボり過ぎぃ!

 

まあ、気を取り直しまして、前述の通り9月18日㈰第四回文学フリマ大阪に出店します!

新刊は『Repro6号 再生は不可逆』

“再生は不可逆”という言葉からメンバーがそれぞれに考えた四編が収録されております。

連載もの、『光跡のアルケー』と『汐の音』の二作は、今回休載しています。

執筆の方は進んでおりますので、またお見せ出来る機会はあるのかなと。

どちらも一話をネットに上げておりますので、ご興味があるのなら下記のリンクから是非。

 

 『光跡のアルケー ~変わりゆく世界~』第一話

 

『汐の音 -the murmuring of the the sea-』第一話

 

それでは、また。

僕達はどうして物語を書くのだろう~『小説の神様』を読んで~by淡夏

 どうも淡夏です。

 まさかの半年ぶりの更新です。

 この半年間、個人的には色んなことがあって環境が変わったので、また心機一転頑張りたいなと思う次第であります。

 

 ちなみにこの間reproとしての活動もきちんと出来てはいなかったのですが、9月18日㈰に開かれる文フリ大阪には参加する予定です。

詳しいことはまた追々告知していきたいと思います。

 

 さて、久々のブログということで、今回、私が紹介したいのはこちら。

 相沢沙呼『小説の神様』です。

 極力ネタバレは避けているつもりですが、見過ごしたものがあればすみません。

 それでは、感想は以下。

 

 まず、この物語はとても稚拙だと思う。

 主人公は自分に自信がなく、ヒロインは心に傷を負っていて、親友は優秀なのに主人公に好意をもっている。加えて、妹は病気で入院中と、ほんと「これ何てエロゲ?」(いや、今は「これ何てラノベ?」か)という設定が目白押しでテンプレ感が強い。

 加えて物語の展開も、挫折していた主人公がヒロインのおかげで立ち直りかけるも再び心がくじけるようなことが起きて、その苦しみの中でヒロインの傷心に気付き、自分や彼女を救うために立ち上がるという、どこかで聞いた流れになっている。

 このような物語は市場に溢れており、わざわざこの本を手にとる必要はないだろう。

 以上のことから、この小説をお勧めするのは暇人か、余程酔狂な人か、それとも……。

 

 小説を、創作を、表現を、愛して、愛してやまない人だけ。

 

 それ程まで、この小説には創作、表現といった行為に対して真摯な気持ちが、真っ直ぐに綴られている。

 それも、曲がりなりにも創作している人間が、嫉妬に駆られて上記のような悪評を書きたくなるくらいに。

 正直、頁を繰る手が止まらないという感覚を味わったのは久しぶりだった。

 物語がどういう展開を迎えるか、ヒロインが主人公にどういう想いを抱いているのか。そういったことは全て、手にとるように分かるにも関わらず、だ。

 ただ、嫉妬で書いたとは言っても、冒頭で書いたことを間違いだとは思わない。

 本当に物語展開は王道も王道過ぎて、キャラ小説のテンプレを使用しただけではないかとすら思えてくる程だ。

 それなのに、どうしてこの小説に、自分は心を惹きつけられたのだろうか。

 それは、この本に書かれている言葉が、小説というものに対する愛や希望で編まれたものだから、だ。

 

 物語の内容は以下の通りだ。

 

 物語の主人公、千谷一也は売れない小説家だ。

 中学二年生の頃にデビューした彼は、しかしネットでの悪評や、同じく売れない小説家であった父親の借金のために小説の力を信じられなくなっていた。

 ただでさえ苦しい生活に、妹の病気の治療等の家庭事情も絡み、小説家を続けることを諦めようとしていた。

 だがある日、担当の編集者から、一也と同じ年齢の人気作家、不動詩凪との合作を持ちかけられる。

 不動の考えた物語を、文章を書くのが巧い一也が執筆してみてはどうか、という話だ。

 実は不動詩凪の正体は、一也のクラスに転校してきた小余綾詩凪という美少女であり、一也にとっては、その話を提案される前に「小説に力があるか否か」ということで口論をしたばかりの相手だった。

 そのような経緯もあり、加えて“売れている作家”である小余綾に対する妬みから合作について乗り気ではなかった一也だが、売れる為にと執筆を続けることになる。

 だがその中で一也は、物語を愛し、その力を信じる小余綾に感化され、次第に物語を紡ぐ楽しさを思い出すようになるのだが……

 

 上記の通り、登場人物の多くは“小説を書き続けることの苦しみ”を味わった者達ばかりだ。

 そのため、作家志望の人間には馴染み深いある問い掛けが、何度も何度も現れ彼らの心を揺さぶっていく。

 

“何のために小説を書くのか”

 

 創作は、表現という行為は、好きで始めたはずなのに、ともすれば投げ出したくなるくらいの苦痛を伴うことが多い。

 それは物語の続きを書けないというもどかしさだったり、他人の厳しい評価に対する恐怖だったり、そもそも評価すらもらえないという絶望からくるものだったりする。

 好きで始めたものなら、止めてしまうのも自由なはずだ。

 そもそも小説なんて、書き続けたところで真っ当な仕事に出来るのはほんの一掴みの人間だけであり、趣味以上のものを求めると人生を破綻させてしまうことすらある。

 小説に人生を預けるのは、本当に愚かなことなのだ。

 それでもなお、創作や表現といったことを止められないのは何故か。

 気になった方は、是非本書を手にとってみて欲しい。

 恐らく、ここで提示される答えは、多くの作家(志望者も含む)が既に見つけているものだろう。

 ただ、それを信じ抜くのはとても難しいことだと思う。

 何故なら、結局は綺麗事であり、その信念は現実を前に折れてしまうことの方が多いのだ。

 それでも、だ。

 それでもその答えを信じられたのなら、きっと、自分達のやっている創作にも意味が産まれる。

 きっと今は、その想いを胸に書き続けるしかないのだろう。

 

 

小説の神様 (講談社タイガ)

小説の神様 (講談社タイガ)