りぷろぐ

せつな系創作団体「Repro」のBlogです!

2017年の振り返り・2018年に向けて

ご無沙汰しています。ふりうです。

あっという間に年末ですね。

2017年のブログ更新はわずかに5回。

しかも私の更新にいたっては今年が初めてという。。。

ダメダメですね。来年はもっと更新できるようにします!

 

さて、2017年のリプロの活動ですが、

9月に文学フリマ大阪に参加させていただき、

Ripro7号を世に出すことができました。

7号は短編2編と連載作品の完結編が載っていまして、

おかげさまで今までの中で一番ではないか!?という感じで

買っていただくことができました。

買っていただいた方、ありがとうございます。

まだ在庫はありますので、まだお買い求めの方はぜひ!

 

2018年の活動としては、5月23日のコミックシティへの参加を予定しています。

その時には新刊・Ripro8号を販売する予定です。

8号のテーマは「致死量の鼓動」。

鋭意執筆中ですので、ご期待ください。

 

2018年はより活動を活発にしていきたいと考えています!

今年も1年ありがとうございました。

来年もよろしくお願いします。

 

ふりう

 

 

 

 

 

 

久々の更新&『Fate/stay night〔Heaven's Feel〕1.presage flower』感想

 お久しぶりです、淡夏です。

 いつもこの件から始まるのは気のせいでしょうか(反語)。

 

 少し肌寒くなり、いよいよ冬が迫ってきましたね。

 毎年この時期になると、「お前はこの一年で何をしてきた」という自問自答が始まります。

 個人的に今年は色々と環境が変わり新たなスタートを切った年ではあるのですが、スタートから少しだけ進んだところで足踏みしている気がして、どうもまだまだ積み残しがあるように感じます。

 そうは言ってももう十一月。

 泣き言をほざく暇があるならば、少しでも前へ進まないと何も終えられないなと、気持ちを入れるだけでも入れておかなければなりませんね。

 

 そんなこと言って実際どうなのさ、リプロの活動とかきちんとやってんの?

 というハナシになると思いますが、活動はしています!

 9月には毎年恒例“文学フリマ大阪”があり、来年5月に大阪で開催予定の“コミックシティ”にも参加予定です。

 具体的な日程はまた追って告知しますので、是非ごひいきに。

 ちなみに、次回新刊のテーマは“致死量の鼓動”。

 メンバーで出し合った単語を組み合わせたテーマで、この言葉からどんな物語を生み出すか各自思案中です。

 少しでも気になった人はツイッター等もしていますので、そちらもご覧ください。

 更新が滞っていますが、そちらもきちんとしますよ、ええ(自分に言い聞かせるように)。

 

 

 さてさて、気付けば十一月という話をしましたが、いつの間にか二週間が過ぎていました。

 何の話かと言うと、そう、『劇場版Fate/stay night[Heaven’s Feel] 1.presage flower』が公開されてからの時間です。

 2014年の“Fate Project”発表会でのサプライズ告知から三年。

 待ちに待った三つ目の物語、桜ルートの映像化ですよ。

 まだ二回しか観に行けてませんが、少しだけその感想をば。

 

 

初見には厳しいが、往年のファンからすれば丁寧な再構成

 

 FGOから初めてFateに触れて気になっている、という人たちも多いかと思いますが、はっきり言います。

 予備知識なしで鑑賞するのは些か厳しいかなと。

 と言うのも、原作からしてセイバールート、凛ルートを通じて語られた設定やテーマをひっくり返すような物語構成となっているので、その二つを押さえておく必要があるのです。

 映画だから親切になっているかと言えば、逆に尺の都合上カットされている部分も多くありましたし(原作者からも「何度目だナウシカ」とコメントされるセイバー召喚からの一連のシーンは、OP映像として処理されていましたね)。

 なので、気になる人は、せめて少し前にやっていたTVアニメ『Fate/stay night[Unlimited Blade Works]』くらいは予習しておいた方が良いのかなと。

 特にこの桜ルートは、セイバールートで提示され、凛ルートで一つの答えが描かれた主人公の衛宮士郎の理想に対し、また別の解が導き出される物語でもあります。

 なので、衛宮士郎という男が何を背負っているのかを知っているか知らないかで話が変わってくるので注意が必要です。

 もちろん、「サーヴァントの戦いが熱い!」、「桜が可愛い!!」という楽しみ方はあるのですが、どうせなら士郎、そして桜がどんな人物なのかを理解した上で見て欲しいというのが一ファンとしての希望です。

 その見方をすれば、この作品がどれだけ丁寧に作りこまれているかが見えてきますので、是非。

 

 

 

【重大な原作ネタバレ注意】心に刺さる“日常”の描き方や、桜の表情や仕草に込められたもの

 

 さて、ここからは原作のネタバレも含んだ感想を。

 繰り返しますが、カットされているところはかなりカットされているけれど、丁寧に描写されるところは本当に息を忘れるくらい丁寧なのがこの作品。

 どういうところが丁寧なのかと言うとまず冒頭から。

 何と、原作では少し話に出てくるくらいだった、桜が衛宮邸に来るようになったその過程が描かれているではありませんか。

 衛宮低と言えば、士郎や桜が作った料理を藤ねぇが余計なことをしてちょっとした騒ぎが起こる、賑やかな食卓というイメージが強くあります。

 しかも物語が進行するにつれ食卓を囲む人数が増え、コメディシーンと共に聖杯戦争を離れた彼ら、彼女らの素や意外な一面が垣間見える空間でもあります。

 そんなファンとしては実家のような安心感すら抱く場所が、冒頭では士郎以外誰もいない、伽藍とした雰囲気で描かれています。

 もちろん藤ねぇはたまにやってくるようなのですが、後で顔を見せるというメモを残す程度。

 ファンが知っているような賑やかな衛宮邸は、どこにも見えません。

 ところが、そこにケガをした士郎を気遣って桜がやってきます。

 最初の内は友人の妹に世話を妬かせるわけにはいかないと断る士郎ですが、桜の頑なさに折れ、家事を手伝ってもらうようになります。

 そう、ここ。

 ここがあの賑やかな衛宮邸の始まりなのです。

 原作ゲーム本編が始まった時には出来上がっていたあの穏やかな日常は、けれど決して、当たり前のものではなかったのだと実感させられました。

 間桐桜という少女は、他ルートでも藤ねぇと並び“日常”の象徴そのもの。

 その“日常”の有難さを知ることは、桜ルートをより魅力的に、尊いものにしてくれます。

 監督はそのことを誰よりも理解してくれているようで、本当に驚かされました。

 

 監督の拘りはそういった話の構成ばかりではなく、桜の表情や仕草にもしっかりと表れています。

 遠坂の家から間桐の家に連れていかれ、蟲による魔術的な肉体改造を施され人としての感情を失ってしまった桜。

 衛宮邸に来たばかりの頃は笑顔を見せず、暗い目をしていました。

 けれど士郎や藤ねぇと過ごす時間が増え、士郎の前では遂に笑顔を見せるようになっていきます。

 

「私、先輩のお家以外では、ご飯、美味しく食べられなくなっちゃったんですよ」

 

 PVでも使われているこの台詞ですが、実情を知っている人からすれば凄く辛い。

 食べられなくなったというよりも、やっとご飯を美味しく食べられる場所が出来たと、そういう意味ですからね……。

 ほんと、桜の表情の変化が、この台詞を物語ってくれていましたよ。

 

 他にも、桜がリボンを触るその仕草。

 それを彼女がしたのは、一度目は藤ねぇが「桜ちゃんにはヒーローっている?」と何気なく聞いた時。

 二度目は、士郎との会話でとある女生徒の話になった時。

 そう、どちらも姉である遠坂凛を意識してのことなんですよね。

 桜にとって凛は眩しい存在であり、自分には与えられなかったものを持っていった憎しみをも抱きうる存在。

 輝かしい人生だけならまだしも、士郎の心すらも凛に持っていかれるのではと思った時の桜の黒い気持ちとか、その一端がリボンに触れるあの仕草に込められていたのは流石。

 ただ、羨望や嫉妬はあれど、桜にとって凛はやっぱりヒーローなんですよね。

 だからこそ、HFラストで黒化した桜を正気に戻したのは、士郎ではなく凛だったのだと。

 この日常の何気ないシーンが、そこに繫がっていくのかと。

 

 こんな感じで色々分かってからだろ、桜の表情や仕草全てに意味があるという恐ろしいまでの拘りが見えるんですよ。

 だからこそ余計に、原作を知った上で観て頂きたい。

 そうすれば桜への思い入れが深まり、引いてはその桜が居る日常を過ごした士郎が二章で選ぶだろう“桜だけの正義の味方になる”という選択の重みが増していくと思います(ついでに言うと、これを観たせいで、原作にある、桜を切り捨てて正義の味方を貫く“鉄の心”エンドの重みがとてつもないことになりましたね。桜の居る日常って士郎にとっても、正義の味方を実行するためのロボットではなく、人としての喜びを感じることの出来る大切な場所だったと思うんですよ。喜びを感じる度に彼を責める心の声が聞こえるけれど、それでも士郎が今の士郎で居るためには必要な場所だったんだなと。それを切り捨てるということは、完全に人として生きる道を捨てることで……。はぁ、士郎はほんと、考える度にしんどくなってきてかないませんよ)。

 

 まだまだ語りたいところはありますが、まだまだ長くなりそうなので今回はこの辺で。

 後半はもはやどの層に対して書いたものか分からなくなりましたが、原作好きなら共有出来る気持ちはあると思いますので、是非!!

 Fateを知らずにここまで読んでしまった人は、とりあえず原作かアニメのUBWを。

 そこで感じ入るものがあったのなら、まず間違いはないと思いますよ。

始まりました、平成29年度

 どうも、かなりお久しぶりな気がする淡夏です!

 気づけば新年ばかりか新年度が始まっていて、焦りを隠せずにはいられません。

 いや、焦る前に気づけよという話なんですけど、学習能力ェ……。

 

 新年度ということで今年から新しい生活が始まったという方も多いと思いますが、自分もここ数か月は環境がすっかり変わってしまってあたふたしておりました。

 良い方向には変わっていっているはずではあるのですが、それでも適応するのにはそれなりの時間がいるんですね。

 ただ、やはり人間は何かしらの刺激があった方が人生も豊かになるようで、環境の変化に伴い心の方もちょっと活発さが出てきてるように感じます。

 基本的に自分は、就活や結婚という幸せの既定路線に対して、そういう価値観を押し付けられたくない(周りの圧力ではなく、自然と良いものだと感じたい)という厨二的反抗期が終わらないタイプの人間なので反発してしまうのですが、人生のステージを上げていくことは、確かに心の健康を維持するためにも必要なんだろなと思ったり。

 身も蓋もない言い方をすれば、人って飽きちゃうんですよね、環境にも、人間関係にも。

 飽きがきて心が腐らないように、そういった変化を求めるんだろうなぁ。

 

 とは言え、まだ大人の割り切りには納得がいかないので、しばらくは自分の人生を生きようかなと思う、そんな毎日です。

 ……いや、何の話だろう、これ。

 

 

 きちんとReproの活動の話もしましょうか!

 今現在の活動としましては、先の話のにはなりますが、九月に開催予定の“大阪文フリ”に参加予定です。

 さこで出す(予定の)次号テーマは、“切ない話”です!!

 シンプルです!

 シンプル・イズ・ベストです!!

 そんな感じで、現在各メンバーが思いのままに“切ない話”を執筆中(のはず)です。

 下記のリンクにて過去作が読めるので、気に入ってくれた方はお楽しみに!

  ↓

 

NOVELS – Repro

 

「漁港の肉子ちゃん」感想~チョウチンアンコウの生き方~

「漁港の肉子ちゃん」を知ったのはアメトークの読書芸人で又吉が絶賛していたからで、多分そうじゃなかったらこの本を手に取ることはなかったと思う。

 

漁港の肉子ちゃん (幻冬舎文庫)

漁港の肉子ちゃん (幻冬舎文庫)

 

 だって、タイトルが「漁港の肉子ちゃん」だ。すたいりっしゅ、とか、はいせんす、とかそういったものから一番遠いんじゃないだろうか。

でも、読み終わって思うのはそういうところも含めてぴったりのタイトルだってこと。それとこの本を読めて良かったということだ。

 

あらすじはある意味すごく分かり易い。

関西出身で、朗らかかつ豊満すぎる肉体を持つ肉子ちゃん(本名 喜久子)はついつい駄目男を好きになり、貢いでしまう。それに簡単に人に騙される。すごく人情味にあふれるけれど、服のセンスは凄くダサいし、決して美人とはいえない。関西のおばちゃん、とはまた違うのだけれど、どこか実家のおかんちっくなものを継ぎ足し継ぎ足し煮詰めたものみたいな存在だ。

そんな肉子ちゃんとその娘であるきくりんは肉子ちゃんを捨て、消えた男を追っかけて漁港に来た。しかし、その男は実はその漁港ではなく、別の所にいた。しかも、そこでよろしくやっているらしい。

行き場を無くした二人はその漁港に根を下し、漁港にあるお肉屋さんで働き始めた。漁港の肉子ちゃんの誕生である。

 

そんな強烈なキャラクターの母親を持った思春期真っ盛りのきくりんがこの話の主人公だ。

きくりんは肉子ちゃんとは似ても似つかず、美人でおとなしい。他人を傷つけるぐらいなら自分が傷つく方がずっと楽、とか思っちゃうタイプだ。

そんな彼女が「あー、こんなやついるいる」って人たちと関わりながら、自分の自意識と戦いながら生きていくさまが書かれている。

 

この話の登場人物はみんな生きている。キャラクターの要素として強烈なんじゃなく、まるで本当の知り合いみたいに目の前にその人たちが浮かぶ。

これは作者の西加奈子さんの力だと思う。気取っていなくて、ちゃんと地に足がついていて、けれど、しっかりと心に残る人たち。

テラスハウス、とかみたいなおしゃれさはないのだけれど、こたつみたいにずっと入っていたくなる暖かさを持っている。

 

そんな人たちが実際に苦しみながら生きている姿は凄く勇気づけられる。みんな、みっともなくて、かっこ悪くて、けれどもがきながら生きている。

そんな姿を漁港の自然が包み込む。東京に憧れて、かっこつけようとしてもやっぱりみんな田舎者で、ダサいのだ。けれど、それでもなんだかんだ生きている。

 

色々と心に残った部分はあったのだけれど、僕はチョウチンアンコウのエピソードがすごく心に残った。

チョウチンアンコウはメスだけが大きい。ちょうちんを持っているのもメスだけだ。オスはすっごく小さくて、まったく別種の魚みたい。

オスはメスの出すフェロモンを頼りにメスを探す。そして、見つけた時にメスのお腹にかぶりつくのだ。そのかぶりついた口はどんどん退化し、いつの間にかメスの身体とくっついてしまう。それどころかオスは生殖器以外の機能が退化して、やがて完全にメスの身体の一部となり、ただの臓器と成り下がる。

このエピソードをきくりんは何かの本で読む。こういう風にメスの身体の一部となってしまうオスを、そしてオスを取り込んでしまうメスを想ってきくりんは泣くのだ。

 

このメスは肉子ちゃんかもしれない、と僕は思った。様々な不幸な過去を身にまとい泳ぎ続ける肉子ちゃんは確かに端から見たら可哀想かもしれない。

けれど、きっと肉子ちゃんならそんな風になっても笑いながら「また太ったわ! 大に点で太るやねんから!」と言ってくれる気がするのだ。

文フリ京都参戦!

文学フリマ京都、本日参戦してきました!

 

京都での開催は第一回目ですが、人もかなり入っていて、良い感じに熱気がむんむんしていましたね。

 

会場も文学フリマ大阪よりもスペースがあって、立ち読みしてもそこまで通路を塞がなかったり、荷物を置く場所とかもあって快適でした!

「たべるのがおそい」の書肆侃侃房さんが参加されてたり、見たことのあるサークルさんも結構いたりと賑わってました。

個人的にはSF研究会とかお酒に合う小説とかそのあたりが気になりましたね。あと、めっちゃ派手な金髪のお姉さんも。

 

Reproとしては今回は結局、新刊はなしで既刊だけの参加となりました。

 

その影響なのかは不明ですが結局、売れたのは3冊……(ちょこちょこ立ち止まって呼んでくれる人は居たんですが)。次回はもう少し売れるように頑張りたいですね。

 

それと、庵de大熊猫 with 芝右衛門狸(え-18)の中矢入文さん、毎回差し入れありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

次回は第五回文フリ大阪に参加することが決定しましたので、そちらで新刊を出したいと思います。

謹賀新年と抱負

年が明けたらおめでとうございます、と言わなければならないと思っているうちにもう年明けから4日経ちました。

 

明日には仕事が始まり、またあーだこーだと苦労することが見えているので、全然おめでたくなどないのですが、兎にも角にも、新年あけましておめでとうございます。

今年もReproをどうぞ、宜しくお願いいたします。

 

本年の抱負としては、

・健康で文化的な最低限度の生活を営めるぐらいには環境を整える(週に一回ぐらいは掃除機をかける、早いうちに詰まってしまった風呂場の配管を開通させる、明日履く下着が存在するか心配しないような洗濯習慣)。

・誰よりも素早い動きで仕事を片付け、定時で帰るマンになること。

・小説を全然かけても読めてもないのでそちらの比率を増やす。というか、書く!

・美味しいものを食べるが、太らない。

 

 

Reproの活動としては1月22日の京都文フリが控えておりますので、それに向けて新刊を出せるのか、出せないのかの瀬戸際という所です。

三が日は気力と脂肪とアルコールを蓄えることに専念してしまったので、今日から頑張っていきます。

                                    綾町

旅の、終わり Fate/Grand Order 第七章「絶対魔獣戦線バビロニア」をクリアして

旅が、終わってしまいました。
淡夏です。
FGO七章の話です。
またFateかよ! と思わないでください。

まだ最終章が残っているとはいえ、人類史を守るためのマシュとの旅はここで終わり。
ソロモンとの対決に向けての緊張感はあるものの、やはりどこか寂しさを覚えたり。
最初は年末に最終章とか早くね? と思いましたが、この熱が覚めないうちにソロモンに挑めるのは良いですね! 
それでは感想をば。


ネタバレなし

ヤバかったです!(語彙力)
いや、語彙力ないのも事実ですけど、ネタバレなしではこれくらいしか言えないです。
とはいえそれなら書く必要もなくなってしまうので、差し障りのない範囲で。

まず感じたのが「J RPGって素晴らしい!」ということです。
ソシャゲではあるんですが、章ボスとの戦闘に到るまでの流れは古き良きJ RPGのそれで、こんなに戦闘に気持ちが入ったのも久しぶりでした。
自分達の負けが世界の滅亡に繋がるという緊張感と、絶対に仲間の想いを繋げていくという高揚感! 
それに応えるような、「これ倒すの無理ゲーだろ……」という設定の敵。
全てが高水準で結びついていたように感じます。
ほんとこれソシャゲじゃなくてコンシューマRPGで作ってくれないかなぁ。
奈須さんもRPG好きなんだなぁというのが伝わってきて嬉しかったですね。
最高のシナリオだった六章とは、また方向性の違う極上のシナリオでした!


ネタバレあり


さあ、自重するのはここまでだ。
以下、クリアした者のみスクロールするべし。
















もう、ね、ほんと、さいっこうでしたよ!! 
どういうところが良かったかは上でも書いた通りだけど、見所が多すぎる! 

まずはゴルゴーン襲来に備えながらもどこか楽しい、わくわくウルクライフ。
まさかの賢王として仕事をこなすギルガメッシュの下、ウルク民交友を深めていく主人公達。
あの六章の後だから「ちょっとのんびりし過ぎでは?」と思ってしまったけど、旅の中での出会いというのがしっかり描かれていたように思う。
人理焼却を食い止めるための旅とはいえ、その中にあった出会いは悲しいものばかりではない。
出会えたこと自体が幸福だというものもたくさんあった。
その辺りのことが、気持ち良く伝わってくるような感じだったなぁ。
ちょっと話は変わるけど、この辺のことはsnで士郎が過去をなかったことにしないと言い切った話と繋がる部分もあると思う。
犠牲はとんでもなく多いし、あったはずの幸福は奪われた。
けど、その悲しい出来事の上で成り立った幸福も存在するので、全てを否定するのは違うとか、その辺りの話。
六章でもロンゴミニアドを相手にマシュが同じようなことを言っていたけど、この想いに抱いた尊いという感情をなくしてはいけないと思う。

閑話休題

とまあ、色々あってゴルゴーンを倒し、わくわくウルクライフが終わった瞬間の急転直下。
人類史の危機というのがひしひしと伝わってくる、人類悪の出現。
今まで積み重ねられてきたテーマとも相まって、脳汁がどばどばも溢れ出して溢れ出して。
プロトから言われてきた、クラスビーストがどういうものか見えてくたのは熱い。
このビースト、ティアマト神との戦いの演出がまた憎い。
始まった瞬間、いつもとは違う厳かなBGMと共に現れた「人類悪顕現」の文字。
たぎりましたよねぇ! 
しかもティアマトが、最初は何もしてこなくて、「何かおかしいぞ?」と思ってから段々とヤバさが滲み出てくるあの感じ。
王道RPGのラスボス感が強すぎて、心臓の高鳴りを止められませんでしたよ。
そして次々と仲間が散っていき、絶対絶命な状況に陥った時に現れた協力なスケット、キングハサンこと山の翁! 
まさかのジョージ枠でかっこ良すぎる。
マーリンもそうだけど、あのお方がガチャに追加されないのは生殺しも良いところ。
設定的には仕方ないんですけど、やっぱり欲しいよね! 
年明け辺りかなぁ……。
とまあ、怒濤の燃え展開の連続に、完全に止め時を見失っていましたよ。
いや、もしここまで読んでやってない人はやるべき。
しっかり時間を作って堪能すべきですよ。

そしてストーリー的な盛り上がりもさることながら、やはり外せないのがキャラの魅力。
最初のPVで「絶対魔獣戦線 天の鎖」という文字を見た時から期待していたギルガメッシュとエルキドゥ。
正直、エルキドゥ本人は描かれず、彼(?)の器を持ったキングゥの登場ということになったけど、キングゥがギルガメッシュに友情を感じるくだりは型月ファン的にくるものがありますよね。
肉体と魂、精神の話は『空の境界』と『EXTELLA』を経験したファンには語るまでもないでしょう。
また、慌てん坊のサンタクロースよろしく七章前にやってきたうっかり屋のイシュタルさんに照れ可愛いエレキシュガルさん、顔芸ムー チョ女神のケツァルコアトルさん。
まさかのオルタ(黒)化した牛若と、弁慶を名乗る常陸海尊
実は一番株を爆上げしたレオニダス王。
マシュとの師弟会話は、今からするとほんとに心に染みる。
他にも、サーヴァントではないけどシドゥリを初めとしたウルク民の方々。
単にモブと切り捨てるにはあまりにも勿体無い方ばかり。

と、キャラの話をし出すと一人一人に対して別記事を書かなきゃいけなくなるので自重するけど、この子の話だけはしておきたい。
それは、アナことメドゥーサ(リリィ)。
何故今になってメドゥーサリリィ?と思ったけど、上下姉様と同じ小さい姿とゴルゴーン、怪物の話をこういうカタチで出してくるとは……。
ファンには語る必要はないかもしれないけど、これはhollow ataraxiaでのライダーとアンリマユの会話があってこその話だと思う。
ゴルゴーン、人間とは相容れない怪物。
誰彼構わず殺戮の限りを尽くす自分の正体に怯えながらも、けれど桜達との居場所を大切に感じるライダーの苦悩。
それを知った上で、アナとゴルゴーンのやり取りを見ると、凄くくるんですよ! 
アナがお婆さんを手伝い、怪物ではない自分を肯定出来るようになったところなんて感涙もの。
何とかメドゥーサは召喚出来たけど、カルデアに来たのはあのアナではないんですよね……。
けど、それでもメドゥーサには幸せになって欲しいので、大切に育てます。
マイルームでの会話も良かったよね。
上下姉様と一緒に居ることが出来て喜んでるのを見ると、ほんと、ねぇ……。

語りは尽きないFGO七章ですが、今日のところはこの辺で。
年末にあるという最終章のレイドバトルに向けて、最後までやり遂げたいですね! 


その先にある、結末を見届けるために……。