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りぷろぐ

せつな系創作団体「Repro」のBlogです!

『ピンクとグレー』文庫版の加筆・修正箇所を単行本と比較してみた。

んばんは、はじめまして。Reproの鳴向といいます。

同人創作小説サークルRepro(リプロ)の文章書きです、どうぞよろしくお願いします。

 

さて、タイトルの『ピンクとグレー』ですが、小説の方のあらすじは以下の通り。

 

大阪から横浜へ越してきた小学生の河田大貴は、同じマンションに住む同い年の鈴木真吾と出逢い、中学高校大学と密接した青春時代を送る。高校生になった二人は、雑誌の読者モデルをきっかけにバイト替わりの芸能活動をスタート。大学へ進学した二人は同居生活を始めるが、真吾がスターダムを駆け上がっていく一方で、エキストラから抜け出せない河田だけが取り残されていく。やがて二人は決裂。二度と会うことのない人生を送るはずだった二人が再びめぐり逢ったその時、運命の歯車が回りだす…。

 

ということで、物語は基本的に主人公・河田大貴<河鳥大>の視点から、鈴木真吾<白木蓮吾>と過ごした幼少・中高時代の追想とすれ違う現在、理解へと至るまでが描かれています。

この間中島裕翔主演で映画化が決まって話題になってましたね。

行定勲監督ということで、どんな作品になるのか今から楽しみです。

映画の予習に、本屋でピングレ原作を手に取る方も多いんじゃないかと思います。

今なら文庫版も出ていて入手しやすいですね。

この文庫版ですが、あとがきによると、単行本から全編をチェック、改稿したとのことです。

 

同人ですけどサークルで文章を書いてて思うのは、人の改稿を見るのってすごく面白いなあ、ということで。

文章を改稿するとき、どういう部分をどう直すのか、というところには、その人の個性や考え方がすごく現れると思うんです。

ではプロは、しかもデビュー作を、2年経って見直した加藤シゲアキは、いったいどういうところを、どんな風に書き直したのか。

それを辿れば、作家・加藤シゲアキがどう変化したのかも知ることができるのではないかと思います。

ピングレはデビュー作ということで、単行本版の内容についてはしばしば言及されてきましたが、文庫版での変化という話はあまり見かけなかったので、今回はそこにスポットを当ててみました。

ただ、本当は全編の修正箇所リストを作ろうとしていたのですがとても終わりそうになかったので、今回チェックしたのは冒頭の第一章~第三章と、終わりの第十一章~第十四章だけになっています。

以下では見つかった修正点をいくつか抜粋しつつ、大まかに分類してます。

いつか完全版リスト作りたい……。

 

 

では見ていきましょう。

一番最初に修正されているのは、文庫版で7ページ、本文が始まるページです。

 

☆(単行本p5)ドキュメンタリー番組は何事もなく、いつも通り十一時から始まった。

→(文庫版p7)ドキュメンタリー番組はいつも通り十一時から始まった。

 

このシーンは、現在の河鳥大、文中では主に「りばちゃん」と呼ばれている主人公が、ニコイチで芸能界デビューしたにも関わらず片方だけすっかり有名人になってしまった親友、「ごっち」こと白木蓮吾のドキュメンタリー番組を複雑な心境で見ている場面です。

ここで「何事もなく、」を削除したのはなぜか。

それは、この「何事もなく、」が、りばちゃんの心境を大きく反映した語だからです。

繰り返しになりますが、小学校のときから親友で、学生時代の思い出も共有し、芸能界も一緒にデビューした白木蓮吾と河鳥大。

それなのに今となっては、河鳥大は無名のエキストラ、一方の白木蓮吾は今をときめく超人気若手俳優となり、もはや別世界の人のよう。

そんな白木蓮吾の中に、自分の存在は残っているのか。

主人公はそんな、自らのアイデンティティに関わる疑問を抱きながら、ハラハラしてこの番組を見つめています。

だから、何事かあった(ある)かもしれないのは主人公の心の中。

そしてそれと対比して、予定通り放送の始まった番組について「何事もなく、」という言葉が付いたのだと思われます。

けれどこれは本当に冒頭のシーンで、読者からしたらまだ主人公が何者なのか、この白木蓮吾と主人公との関係は何なのかということに関してほとんど情報がありません。

そんな中で「何事もなく、」という言葉が入っていると、読者に引っ掛かりを生み、読みにくくさせてしまう可能性がある。

そういうことで、この語は削除されたのではないでしょうか。

故意に主人公の情報を地の文に混ぜ込み、小出しにして読者に理解させていくというのも手法としてはアリですが、読みやすさを取ったという事ですね。

 

つまり、主人公としての河鳥大(の感覚)と、「語り手」として読者を導く主人公の機能を微妙に調節している、と言えます。

 

他にも同様の修正箇所がありました。

これらを「①語りに関する改稿」として、いくつか例示してみます。

 

☆(単行本p8)しかしこのとき僕ははっきりと、そして初めて、彼と僕との関係は断絶されたと感じたんだ。

→(文庫版p10)しかしこのときはっきりと、そして初めて、彼と僕との関係は断絶されたと感じた。

 

☆(単行本p26)僕らはまた笑った。

→(文庫版p31)皆はまた笑った。

 

☆(単行本p235)それ以外の景色が霞んでいくのがはっきりと分かる。

→(文庫版p269)それ以外の景色が霞んでみえる。

 

改稿前はやや執拗に「僕は」という言葉が使われます。

それを削るのはリズム的な意味もあるのかもしれませんが、あまりに「僕は~と思った」と言われると、主人公が読者の感情移入を拒んでいる感にも繋がります。

あるいは執筆当初はそういう想いもあったのかもしれません。

これは「河鳥大」である、という主張。

文庫版でそれが削除され、あるいは「皆」という風に置き換えられることによって、主人公としての河鳥大の主張は抑えられ、代わりに語り手としての主人公が読者の感情移入を誘う。

三つ目の例も、「分かる」と置いてしまうと知覚の主体である主人公のことを強く意識してしまいますが、「霞んでみえる」だけにすると、読者と主人公が知覚を共有している感じになるので、同じ効果があると思われます。

 

②文章に関する改稿

次は、読みにくい、混乱していた文章が書き直されている例です。

 

☆(単行本p6)歴とした実力派俳優として確立できていた彼はまた主演映画を獲得し、このドキュメンタリー番組はその映画の宣伝も兼ねていた。

→(文庫版p8)実力派俳優としての地位を確立できていた彼はまたしても映画の主演に抜擢され、その宣伝も兼ねてこのドキュメンタリー番組は白木蓮吾にスポットを当てた。

 

☆(単行本p33)あれから一ヶ月半ほど経った小学五年生の十一月十九日、その日は獅子座流星群が到来した。あの頃、どのニュース番組でも獅子座流星群の訪れを予言していて、それを知ったクラスメイトの皆は獅子座流星群の話題で持ち切りだった。

→(文庫版p39)あれから一ヶ月半ほど経った十一月の中旬。ニュース番組はどこも獅子座流星群の訪れを予言していて、クラスはいつもその話題で持ち切りだった。

 

☆(単行本p209)その太ったプロデューサーが誰か思い出せずにいたが、彼のきつい関西弁が思い出させた。それは七年前、

→(文庫版p240)その太ったプロデューサーが誰なのか思い出せずにいたが、きつい関西弁でピンと来た。彼は七年前、

 

これに関してはコメントせずともどう直ったか一目瞭然という感じですが、出来事を文章に書き起こそうとするとき、一発で綺麗な整理された文にするのって本当に難しいんですよね……

 

③表現

他に、上の②と似てますが、文章をより適切な表現に置き換えているように思われる箇所がありました。

ニュアンスの調整というところでしょうか。

 

☆(単行本p31)わざとらしく楽しそうに言った。

→(文庫版p36)わざと楽しそうに言った。

 

☆(単行本p215)ごっちの母は大げさに驚いた。

→(文庫版p247)ごっちの母はやけに驚いた。

 

ちょっと癖のある「、」の使い方も直されていますね。

 

④漢字

漢字の表記について、全編に渡って修正されているものと、一部分だけ直されているものなどがありました。

 

全編に渡って修正されているもの:

「降りる」→「下りる」

「散りばめる」→「ちりばめる」

「~の割りには」→「~の割には」

「コの字型」→「コの字形」

 

「型」はフォーム、鋳型などのような意味を含み、一方の「形」はものの姿という意味が中心なので、机や団地がコの字形という場合には、机や団地の一棟一棟の型があって、それがコの字の形に並んでいるのだ、ということで漢字が修正されたのでしょう。

 

他に、

「応えづらい質問ばかり」→「答えづらい質問ばかり」

「ベッドはふたつだった」→「ベッドは二つだった」

「うしろの方で」→「後ろの方で」

など、あえてひらがなや変わった方の字にしていた部分を普通の漢字使いに戻している箇所がいくつか見られました。

 

一方、

「時折顔を擦るような音と鼻をすするような音が耳元から聞こえた。」→「時折顔を擦るような音とはなをすするような音が耳元から聞こえた。」

という部分は鼻がはなとなっており、ここは印象に残るようにわざとひらがな表記に直した……のでしょうか。

 

全体としては基本的に一般的な漢字表記で合わせて、ここぞというところだけわざとひらがなで、という印象で、やはり読みやすさが念頭に置かれている気がします。

 

⑤誤字?

☆(単行本p33)彼の目を真っ直ぐに据えると、

→(文庫版p39)彼の目を真っ直ぐに見据えると、

 

☆(単行本p249)「ハイカット―。蓮吾さん、どうしました?」

→(文庫版p284  )「はいカット―。蓮吾さん、どうしました?」

 

そういうときもある。

 

最後に、今回調べた章のページあたりの修正箇所の数を割り出してみたり。

(章番号……修正箇所の数/その章のページ数/1ページあたりの修正箇所の量)

第一章……7/11p/1.5

第二章……47/32p/1.4

第三章……0/2p

第十一章…3/14p/0.2

第十二章…15/20p/0.75

第十三章…1/8p/0.1

第十四章…18/61p/0.29

 

こうして見ると、やはり最初の方の手を加えた率が高いですねー。

 

さて、こうやって修正された箇所を見てみると、改稿箇所を通じて見えてきた加藤シゲアキの考えは、文庫版あとがきにあるとおり、「シンプルで読みやすい文章に変えても、この作品で伝えたかった本質が損なわれることはないんだと気がついた」ということのようです。

その気付きは、文章を書き続け、ある程度自信のついた人でないと分からないことだと思うので、その感覚を筆者が得たというのはとてもいいなぁと思います。

また、最終章にも修正が入っているので、全編くまなくチェックしたというのも、本当なのだなぁと思えます。

 

ただ、一番最後の修正がP291(文庫版、全298頁)で、最後の最後の7ページには修正がなかったというのを見て、この最後の辺りは本当に何かに憑りつかれながら書いていたのでは、という風な気もしてきますね…。

「憑りつかれる」とは?と思った方は是非本文をどうぞ。

 

ということで、雑なまとめになりましたが今回はこれで。

修正箇所リスト完全版できたらうpしていいですか?

 

リプロHPもよければ覗いてみてください。→http://repro09.net/

それでは。

 

 

ピンクとグレー

ピンクとグレー

 

 

ピンクとグレー (角川文庫)

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