りぷろぐ

せつな系創作団体「Repro」のBlogです!

血界戦線とトライガンを見比べたにわかによるキャラクターとフレームの話

んばんは鳴向です。

最近途中から血界戦線のアニメを見始めたら面白くて、毎週の放送を心待ちにする生活を送っています。

そのつながりで、この土日、無料で電書全巻試し読みできるキャンペーンをやっていた同じ作者の前作トライガンを読んでみました。

いやーアツくて面白かったですね。

「カッコいい」とか「燃える」ってどういうことなのか~とか考えながら一気に読み切ってしまいました。

現物のコミックスも増刷かかったらしいので、今度書店で見かけたら買ってもう一回ゆっくり読みたい。

で、頭の中でこの二作品をなんとなく比較して、キャラクターとそれを活かすフレームについて考えた話などをメモしておこうとおもいます。

 

その前に、それぞれどんな話かをさくっとまとめ。

トライガン(1995-2007)

地球から遠く離れ、巨大な5つの月を持つ、さらに大きな砂漠の惑星。過酷な自然の中で、地球からの移民の子孫がどうにか暮している砂漠の星を舞台に、600億$$の賞金首、「人間台風(ヒューマノイド・タイフーン)」ことヴァッシュ・ザ・スタンピードが繰り広げるガン・アクション。

赤いコートにとんがった金髪がトレードマークのヴァッシュは、凄腕のガンマンで、とてつもなくタフで、そして筋金入りの平和主義者である気のいい青年。決して人の命を奪わず、相手が悪人であっても命を救おうと奔走し、お人好しな性格と強い信念からなる頑固さが災いして、結果として騒ぎを大きくしてしまう天性のトラブルメーカーでもあった。あまりの傍迷惑ぶりに、とうとう局地災害指定を受ける羽目になった彼には、保険会社からお目付け役が派遣される始末。しかし彼は、人類の滅亡を願う双子の兄ナイブズから、そして人間同士の諍いから、人類とその子孫を守るために荒涼とした世界を放浪していたのだった。たった一人の兄弟であるヴァッシュに執着するナイブズは、案内役として関西弁の牧師ウルフウッドを差し向け、ヴァッシュを仲間に引き入れようとする。信念の相容れない二人の兄弟の衝突は、全人類の存亡をかけた戦いを引き起こす。

 

血界戦線(2009-)

かつてニューヨークと言われた街は、異界と人界とが交差して一晩で変わり果てた。結果、異界ならではの超常日常・超常犯罪が飛び交う「地球上で最も剣呑な緊張地帯」となった街、「ヘルサレムズ・ロット」が構築される。この街は深い霧と超常現象により外界と隔離されているとはいえ、一歩間違えば人界は不可逆の混沌に飲み込まれてしまう。

そんな中、この街のいつ破れるとも知れぬ均衡を守るため、ひいては世界を守るために秘密裏に活動する者たちがいた。クラウス・V・ラインヘルツ率いる「秘密結社ライブラ」である。彼らはさまざまな能力を駆使し、吸血鬼「血界の眷属(ブラッドブリード)」を筆頭とする異界の住人と日夜戦っていた。

一方、偶然近くを訪れた半年前に巻き込まれた事件で異界のものに遭遇し、妹が自ら視力を犠牲にしたことによって救われた少年、レオナルド・ウォッチ。妹を救うすべを求めて単身でヘルサレムズ・ロットを再訪した彼は、「ライブラ」の新人と間違われたことをきっかけとして、魔神による無差別襲撃事件に巻き込まれる。異界のものから与えられた「神々の義眼」の力で事件を解決し、正式に「ライブラ」の一員に迎えられた彼は、今後妹の視力を取り戻すための情報を提供してもらうことと引き換えに、その力を使って、クラウスらとともに様々な事件(あるいは異界ならではの日常)へと挑んでいくのだった。

 

と、だいたいwikiの切り貼りですがこんな感じです。

 

トライガンを読んで最初に感じたのが猛烈な懐かしさで、未読だったはずなのになんでだろうと思ったらこの話のフレーム、ものすごくザ・90年代という感じなんですよね。良くも悪くも。

荒涼とした砂漠の星、あてのない旅、世界の滅亡、宇宙戦艦、男勝りで今は亡き年上の女性の影、天使の羽と最後の審判、戦う牧師と十字架、放浪する主人公…

一つ一つのモチーフは今でもあちこちで見られるものの、これを全部盛り込むと「あの時代の空気」から逃れられないなーというものを感じます。

なんせ連載開始が95年ですし。アニメの洗礼受けてた幼少時代…

これは古いと言いたいのではなくて、この話の面白さを最大限に享受できたのはこのフレームがぴったりくる時代だったのだろうなということです。

もちろん今読んでもめちゃめちゃ面白かったです、でも、仮にこれを今雑誌で連載を始めるのだとしたら、当時と同じだけウケるのは難しいと思います。さすがに’15ともなるとウケるフレームが変化してしまっているので。受け手側の変化の問題。

ということでもっと早く知っていればと後悔することしきり。

 

で、このトライガンに出てくる主人公ヴァッシュと相方のウルフウッドは、見ていると、血界戦線の「ライブラ」のリーダークラウスとその副官スティーブンの原形だなと思うんですよね。

ヴァッシュとクラウスは、高い理想と、それを実行する力を持つ、絶対的な理想主義者。

一方のウルフウッドとスティーブンは、掲げられた理想に共鳴しながらも、理想だけでは生きられない現実主義者で、いわゆるサポートポジション。

二組ともめちゃくちゃカッコいいんですけど、カッコよさの軸というか、キャラクターの構造は共通しているように思います。原形と言ったのはそういうことです。

で、作者はトライガンから血界戦線に移行するときに、キャラクターの構造はそのままにフレームを当代風に組み替えることで、今最適なカッコよさの演出をしているのではないかと思います。

カッコよさのアップデートを行った、という感じ。

 

トライガンは旅と星と世界の話でしたが、血界戦線のフレームは(異常な)日常、箱庭のように閉鎖された一つの街、主人公(語り部?)のレオナルドは後天的に特殊能力を与えられてはいるものの、生まれ育ちは平凡な一般人。

そしてレオナルドの動機は、与えられた「神々の義眼」の代償にされた妹の視力を取り戻すというごく個人的なもの。世界とはなんの接続も持たない。

世界を救おうとする二人のキャラクターは、そんなレオナルドがたまたま身を寄せることになる組織「ライブラ」の一員として立ち現われてきます。

 

血界戦線では、「個人」を体現したレオナルドを真ん中に置くことで「世界」を相対化している。

「世界」が自明のものではなくなって、それを直接の目的語に据えることができなくなった。

だから手に触れるものの実感で構成されたものを世界だと捉える感覚の中で、二人のキャラクターは一度レオナルドの世界に組み込まれ、その上で実体の掴めない「世界」というものを守ろうとしている、という描かれ方になっているのではないか。

というような。

たぶん、もうスマホの中に「世界」を得てしまった今となっては、ネット黎明期のあの砂漠の向こうに広大な世界が広がっていく感覚に共感することは難しくなっていて、だからヴァッシュのように彼らを主人公にするのは難しくて、むしろ一歩引きで見ることでそのカッコよさがよく分かるようになったのでは、という。

何かそんな感じの。

この辺り一番大事なのにうまく言語化できなくてもちゃもちゃ…

 

もちろん作者の中での前作との差別化とかそういう意識もあるだろうし、語り部と主人公を分けるというような手法は今までにもあることで、別に珍しいものではないです。

ただ見ていると作者はたぶん「カッコいい」についてすごく考えている人だと思うので、やはりこの見せ方は様々な角度から検討した上での最適と判断された見せ方なのではと思います。

逆にトライガンはあの時点での最適解で、だからこそ90‘sどストライクという形になったのでは、と言える気もします。

 

ということで、共通した軸を持つキャラクターだったとしても、それを取り巻くフレームをうまく組むことでもっともっとカッコよく見せることができるんだなぁと思ったのでした。

 

案外「カッコいいキャラ」の軸というのはすごく少なくて身近にあるのかもしれません。

まずはそれをしっかり捕まえねば、と思います。

それから、奇抜なキャラクターを作ろうと腐心するより、どう見たってカッコいいキャラクターの「カッコいい」を最大限活かせるフレームを考えられるようになりたいですね。

精進精進。

 

ところでトライガンの最後、「伝える」と「信頼する」ことの描き方がすごくて、キャラクターが、ただの街の人までみんな作者の手を離れて生きて動いている感じ、もしくは逆に、そういうキャラクターたちだったからこそ伝えること、信頼することがあれだけビビッドに伝わって来たのかも、と思います。

作者が解を下すのではなく、キャラクターたちを信頼して預けた、という感じ。

すごい。

あとウルフウッドの話は泣いたけど、それ以上にそのエピソードを受けてのリヴィオ編がめちゃくちゃ泣けた…あんな激アツな展開、いったいどうすれば書けるというのか…

まだまだ学べることは多そうです。

 

 

血界戦線 魔封街結社 (ジャンプコミックス)

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