バックグランドの大切さ ~『この世界の片隅に』監督トークイベントinマチアソビに参加して~
どうもお久しぶりの淡夏です。
テストラッシュから解放され、ようやく夢に向かっての活動に本腰を入れられそうです。
とは言っても、勉強なんてちっともしてなかったから無駄な時間を過ごしただけなんですけどね!
さて、今回も前回に引き続き、マチアソビで感じたこと第二弾!
“ありがとう!クラウドファンディング目標額達成『この世界の片隅に』――作品の魅力を最新資料でご紹介”
のイベントレポートというか、感想です。
今更感はあるかもしれませんが、気になる方はどうぞお付き合いください。
それでは以下、一カ月前の記憶を頼りにしているので、少し事実とは違うこともあるかもしれませんが、ご了承ください。
――調べました!
この日、片渕監督の口から何度この言葉を聞いたのだろう。
スクリーンに映っていたのは原作漫画の1コマ。
だがその後に映し出されたのは、膨大な資料の数々。
そのほとんどが、先に出された一コマをアニメ化するために集められたものだという。
それだけでも違う本が書けそうだと語る監督は、一体、何を作ろうと言うのだろうか。
実を言えば、このトークイベントに参加するまで私は『この世界の片隅に』という作品を知らなかった。
イベントに赴いたのも、マチアソビで最低一つは新しい作品に出会うという個人的な信条と、クラウドファンディングで製作費を集めるということに興味を持ったからだ。
思えば、全く何の情報もなし参加すると言うのは大変失礼なことだったのだが、そこも含めてのマチアソビらしさということで勘弁して欲しい。
それに、こうしてきちんと、この作品のファンになることができたのだから。
さて、話を『この世界の片隅に』に戻そう。
この漫画は、第二次世界大戦に向かう時代の、広島呉市で暮らす女性、北條すずの生活を描いたものだ。
内容について今回は詳しく触れないが、決して明るいとは言えない時代に、それでもこの世界で生きた人々の想いが描かれた素晴らしい作品だ。
憲法9条改正が騒がれるこのご時世だからこそ、色んな人が読むべき作品の一つだと想う。
どうしてこの作品がここまで想いのこもった作品足り得ているのか。
キャラやストーリーの良さというのももちろんあるが、それ以上に凄いのが背景描写だ。
この漫画、巻末に記されているものだけでも実に48の参考文献が使用されている(他にも大和ミュージアム等の施設が紹介されていたりする。恐らく、実際はもっと多くの文献が使われたのだろう)。
そこまで調べられているだけあって、ほんわかとした前半の空気の中にあっても、すずの暮らしは地に足ついたものとなっている。
例えば、すずが広島市から呉にお嫁に行った後、「隣組」という昭和15年の曲の歌詞をコマの外に書いて一日の流れを描くという話があるのだが、回覧板やご近所づきあいの様子などが絵で見ただけで伝わってくる程しっかりと描かれているのだ。
他にも食べ物であったりとか、防空壕を作る様子であたりとか、とにかく戦前の空気感をしっかりと描いているように感じる。
作者自身は戦争経験者ではないのだが、ないからこそ、すず達の暮らしを真実のものとするために徹底的な取材の下創作を行ったのだろう。
さて、そんな意思を受け継いでか、アニメ版の製作も凄いことになっている。
トークイベントが始まり、まず原作漫画の1コマが映し出された。
監督の話では、漫画を映画アニメ化する時、画面の比率からそのコマの外にあるべき風景も描かなければいけないそうだ。
漫画とはいえこの作品は現実の世界が舞台となるので、その場所を特定し絵に落とし込まなければならない。
監督は広島に赴き、調査を開始した。
しかし今は平成。
作品の時代である昭和9年(原作漫画の冒頭部は幼い頃のすずの話から始まる)とは何もかもが違っている。
手がかりなどないように思われたが、コマの角に描かれている一本の松を頼りにその場所を探しあてた。
そして現地での聞き込みや、景観を残すための活動で作られた写真集を下に、今は失われてしまった昭和9年の広島の光景の再現を始めたそうだ(おかげでその辺りの地形にはすっかり詳しくなったようで、資料にも映されていない神社にまで話は飛んでいた)。
他にも原作10頁4コマ目の町の風景。
絵で描かれている部分の特定もさることながら、その向こう側に見えるであろう建物にも監督は目をつけた。
何でも、漫画では遠景で見えないが、原爆の際に崩れずに残り、今でも使用されている建物があるという。
監督はせっかくアニメ版を作るのだから、その建物もどうにかして登場させたい。
しかし、そのためには原爆で消えてしまった周辺の状況も再現しなくてはならない。
結果として……調べたそうである、今は失われてしまった建物までも。
まず現存する建物の写真や記録を手に入れ、その写真で見切れてしまっている建物の端っこを手掛かりに、当時そこに住んでいた人達を探し出し、何回も絵を描いて当時の光景を再現したそうだ。
そして極めつけは次の1コマ。
原作112、113頁にまたがって描かれている戦艦ヤマトの入港シーン。
義理の家族との関係からストレスを抱え、一度実家に帰ったすずが再び呉に戻り、落ち込んでいるところに夫が現れ、二人でヤマトを見ることで少しだけ距離が埋まるという印象的なシーンなのだが、これを見て監督は思ったそうだ。
本当に呉にヤマトが入港した事実はあったのか、またそれは何月何日なのか。
――調べました!
監督は、当時の全入港記録を手に入れexcelファイルに記入し、あまつさえ当時の気象記録から天気まで追記し、そのシーンの日付まで割り出したそうだ。
ただ、自分達はここまで調べたのだが、原作者のこうの史代は調べたのだろうか。
そんな疑問が監督の内に沸き起こり、対談の際に質問した。
すると、返ってきた答えが次のものである。
――調べました!
天気の記録まではどうか分からないが、とにかく、1コマ1コマに至るまでしっかりと時代が反映されていることが分かるエピソードである。
他にも、もはや歴史資料が作れそうな程様々な研究成果(もはやアニメ作りのための資料の域を超えている)が、先日のマチアソビのイベントで披露されていた。
時間の関係上、これでも他で行われたイベントよりも少ないというのだから驚きだ。
ここまでして何を描きたかったのか。
監督は、トークイベントの終盤でこのようなことを言っていた。
「この作品は、“この世界の片隅”から描かれたものだ。だから、その世界を描くべきだと思った」と。
これは何も現実を舞台にした作品にのみ当てはまるわけではないと思う。
架空の世界を描いたファンタジーだって、オーバーテクノロジーで描かれたSFだって、そこに生きる人々を描く以上はその人にとっての現実というものを描くことが大切なのだ。
でなければ、その人が抱いた想いというものもどこか虚ろなものとなり、真実のものにはできない。
設定を詰めるというのは、決して厨二病的な満足感を得たり、創作のルールを作るためだけに行うものではないのだ。
我々リプロでも、現在“世界観共有創作”の企画が検討されている。
まだどんな世界ができるのかは分からないが、できるだけ設定が面白い、以上の世界を作り上げたい。
そして、参加してくれた方々には、そこに生きる人々の想いを描いて欲しい。
もう一カ月も前のマチアソビの記憶を辿りつつ、そんなことを思ったのだった。