又吉直樹「火花」感想ー本格派小説と世間の目ー
何事においても『本格派』っていうものは一番難しいものだと思います。
野球でいえば、恵まれた体躯をもっていて、ストレートを軸に鋭い変化球も投げられるマー君。
歌手でいうなら、ミスチルとかサザンだし、政治家で言えば小泉進次郎で、俳優なら藤原竜也。
珈琲だったらいちいち豆から挽かなきゃならない。
小手先のテクニックや意外性でごまかすことなく、真正面から実力で勝負しなければならないため、そこには確かな実力と才能が必要です。
それは小説であっても同じで、その呪縛から逃れるために、多くの人達があえて異端になって目立とうと、奇を衒って小難しい文章を綴ってみたり、逆にハイカラで親しみやすいように横文字を使ってみたり、
エログロ、メタフィクション、楽屋落ちetc・・・
今回、芥川賞を受賞した又吉直樹の「火花」はその出自自体は非常に異端です。
元々、人気のある芸人が小説を出版し、それが芥川賞を受賞する。
そこに出版社のあれやこれやが絡んでいて、なんてゲスな憶測はどうしたって生まれてきて、ストレートどころかあのパーマみたいにうねうね変化しちゃっている。
本格派の端くれにも置けない目立ちようです。
けれども、この「火花」というお話自体はダルビッシュぐらいの本格派。
堂に入った情景描写と深く練られたエンタメ論への考察、どうしようもない切なさと笑いへの情熱が痛いほど伝わってきます。
売れないお笑い芸人の「僕」と先輩芸人「神谷」は花火会場のイベントで出会い、そこから二人の交流が始まります。お笑いの才能を持っていて、誰のことも気にすることなく、純粋に面白さだけを追求する「神谷」を「僕」は恐れながらも尊敬し、憧れます。
けれど、いくら面白くても人付き合いやタブー、周りの目、つまりは世間を気にしない「神谷」は売れることはありません。
作中にこういう一文があります。
僕達は世間から逃れられないから、服を着なければならない。何を着るかということが絵画の額縁を選ぶだけのことであるなら、絵描きの神谷さんの知ったことではない。だが、僕たちは自分で描いた絵を自分で展示して誰かに買って貰わなければいけないのだ。
小説も、この「火花」という作品も、一緒で全ての作品は世間の目にさらされる。レッテルを貼られる。お笑い芸人が書いた芥川賞を取った流行の作品だ、という目で見られる。
けれど、それは仕方のないことで、それが嫌なら小説という形で世に出すべきではないのです。実際に、私もどうしても主人公の像が又吉に頭の中で置き換わってしまう。この芸風はどこかピースに似ているとか考えてしまう。
けれど、そういうものを乗り越えて、私はこの「花火」という作品がそのレッテルを超えることの出来る作品だと感じました。
もちろん、お笑い芸人という一番身近で最高の題材を使ってしまったため、又吉さんは次作は苦戦するかもしれないですが、それでも今後の活躍が期待できると思います。会話のセンスとか描写の巧みさとかは素晴らしかったです。
今後、自分自身が書くときも色々なものを超えられる作品を書いていきたいですね。
そんなわけで(?)、私、綾町が所属しているこのReproは「第三回文学フリマ」に本格派小説(の予定)が掲載された新刊を引っ提げて参加します。
ブース位置はB-46(イベントホール)
カテゴリは小説|エンタメ・大衆小説です。
今回は企画として世界観共有企画を計画しており、それに基づいた小説やキャラ案などについて掲載する予定です!
どうぞよろしくお願いいたします!