りぷろぐ

せつな系創作団体「Repro」のBlogです!

【バレ有】青い瞳を見てきた話

 

お久しぶりです。鳴向です。

今回も観劇の話です。

先週、シアターコクーン「青い瞳」という舞台を観てきました。

以下、それについて思ったことなどをうにゃうにゃ言っています。

最後までネタバレしているので、ネタバレNGの方はお気を付けください。

 

公式サイトのあらすじはこんな感じでした。

『青い瞳』は、ある戦争終結後の地域社会が舞台。神経のすり減るような戦場での経験を抱えながらそれぞれの故郷に帰る兵士たち。両親と妹のもとに帰ったツトムもそうした一人だった。厳格だったはずの父は気弱な物言いしかしてこない。母は心から帰還を喜び、前のめりになるほどの勢いでツトムに「社会復帰」の大切さを説く。家族もまたどう扱っていいのか正解が見つけられず、どこか不自然だった。

そんな中、妹のミチルははつらつとした若さをぶつけるようにツトムに一点の曇りもない青春を見せてくれるが、ツトムの心は晴れない。戦場に真実があるというのではない。多くの失った戦友たちの魂を思う自分と、故郷での日々はあまりにも距離があるからだ。ミチルがチンピラグループの一員のサムとつきあっていることに気付いたが、胸にとどめることにした。

酒場で知り合ったそのグループのリーダー格の青年アライには、ばかにされたような思いと同時に敗北感さえ感じてしまう。自らの価値のありかを見失い、ふさぎ込むツトムの前に現れたのは、かつて子どものころ自分を心の迷いから救ってくれた「タカシマさん」だった…。

 

 

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というわけで、話の大筋は青年の社会への適応の物語だったと思います。いろいろ複雑ではありましたが。

舞台は戦争の傷から復興しつつあり、地下鉄の建設が続く町。周囲は帰還兵であるツトムを見かけ上は歓迎しつつも、内心では鬱陶しがっている。

母はツトムの過去=いちばん良かった時を知るタカシマさんに会って、元のツトムに「戻って」ほしいと言う。しかし母が語る「昔の自分」は母の中で理想化された存在であり(観ている側には母の思い描く過去のツトムが真実かどうか判別できないし、ツトム自身もおそらく分からなくなっている)、ツトムはそれに同化することに抵抗を覚えている。一目で戦争で負ったと分かる手の傷も残したままにして過ごしている。

タカシマさんはそんなツトムに、手の傷を治せば、みんな幸せになれるんじゃないかと告げ、何かを考えるツトム。

 

二幕ではツトムは病院へ行って手の傷を治療し、さらに地下鉄の工事現場で働くことにしたという。

劇中でしばしば、「完成すれば便利になる」と言われていた地下鉄、その建設に参加すること。そして、ツトムの日常生活への没入や不良グループたちへの同化を妨げていた手の傷=戦争の痕跡を消すこと。それはツトムが完全に社会復帰しようと決めたことを表すのだろうと思われます。

 

同時期に、不良グループたちは問題を起こして町から去っていく。

不良たち、中でも最も親密だったサムを救えなかった妹は、派手に髪を染め、「今の自分は過去の自分とは髪の色が違う。過去の自分のことは嫌いだが、今の自分は過去の自分とは違うのだから、そんな自分を認めてあげたい」と言う。

そしてそれを受け入れるツトム。

 

妹は長らく通っていなかった学校へ向かい、ツトムは地下鉄の工事現場へ向かう。

――と、ここまでなら完全にクリーンな青年の適応の物語です。

 

しかし、最後にはそれを真っ向から否定するようなオチが訪れる。

不良グループの一員で妹の彼氏であり、ツトムにもやや共感を示していたように見えたサムが、彼らを町から排除しようとする警官と揉み合いになった末、警官から奪った銃でその場に居合わせたツトムを撃つ。それも、不慮の事故ではなく、明確な攻撃の意志を持って、複数発。

そして、「あんたの選択(地下鉄建設のために働く)が俺たちの道を塞いでるんだ!」と叫ぶ。

 

その瞬間に、ツトムを溺愛し、「元に戻」そうとしていた母は居合わすことができない。鉄条網に遮られ、その場面を見ていることしか許されなかった。

やがて人が誰もいなくなってから、母はすでに姿を消したツトムの背を撫でながら、かつてツトムと父を置いて家を出たときに歌っていた歌を口ずさみ始める。

 

そこへ現れる「タカシマさん」。実はそのタカシマさんは本物ではなく、似たような経歴をもつ別人が成りすましていたのだった。ツトムも妹もそのことに気付いており、そして、他人の幸せのために自らの存在を偽る「タカシマさん」に感謝すらしていた。

ただ一人そのことを知らない母は、その人物に向かって「あなたはタカシマさんですか」と問いかける。彼は、彼らの過去の信頼と希望の象徴であるその名前に頷き、そこで幕が下りる。

 

結局、青年が過去の傷を消して社会に復帰することを是としているのか否としているのか、よく分からない。

ツトムにフォーカスして見るならば、彼の社会への適応は完全に否定された。ツトムを撃った後、サムは「お前(ミチル=ツトムの妹)の兄さんはここが戦場だということを忘れていたのかもしれない」と言い残し、町を出て自分たちの居場所を探しに行く。

一方、タカシマさんの「人を幸せにするための、自己否定の嘘」は肯定されているように見える。彼がタカシマを名乗ることは、「自分を排除するということなのか」とミチルが問うにも関わらず。過去の自分を排除し、少しでもマシに思える今の自分を認めてあげる――

ミチルとタカシマにはそれが許され、ツトムには許されなかったのは何故?ツトムがまだ戦場にいるから?それともツトムが消そうとした過去が「戦争」だからなのか?

 

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謎。

で、確かに難解な気がします。

けれど、これは「冬眠する熊に添い寝してごらん」の難解さとは少し毛色が違うと思います。

冬眠~の方は、社会の構造の変化まで全部物語の大きな流れに含まれていて、まるであまりにも巨大な樹の根っこを掘っていくのが大変、というイメージ。

こちらは台詞の言い回しや比喩、対応関係が複雑で、特に人物の感情がぶわーっと行き過ぎてから、「で、なんでしたっけ」と戻る場面が多くて、そこについていくのが大変でした。けれど背景がどうとかよりも、起こっていることを素直に追って、今ここで見えているものを見るのがいいという感じがします。掘るんではなく、上を見上げて、あまりにも葉が茂った樹の枝を見分けるのが難しい、というイメージ。

 

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あとはいくつかのキーワードについて、ぽろぽろと。

 

◎地下鉄と感情の筋道

劇中で建設中の地下鉄が何度か話題に上るシーンがある。

地下鉄が完成すれば便利になる。地下鉄はみんなの都合がいいように、みんなが眠っている夜に建設する。

非常に印象的なシーンにも関わらず、地下鉄そのものは物語の筋にはあまり関係がなく、ある意味異様とも言える。地下鉄とはいったい何か?

 

同時に頻出するキーワードとして、「感情の筋道」がある。

ツトムは時に執拗なまでに、「なぜ笑ったのか」「それはどういう感情なのか」と問う。

それはツトムが戦争のせいで人間らしい感情を忘れたからなのか、もともとそういう気のある人物だったのか。

しかしツトムが求めているのは、「どういう時に笑えばいいのか」「どうやってその感情を持てばいいのか」という、共通認識、あるいはマニュアルのようなもののように思える。

人とコミュニケーションをとる時には、ある程度の共通認識、感情の基盤の共有が必要となる。それがあることでスムーズにコミュニケーションをとることができる。決まった感情の筋道は便利なのだ。そしてそれはみんな知らない間に、無意識のうちに形成している。それがうまくできなければ排除される。

つまり、地下鉄とは、コミュニケーションに必要な、「感情の筋道」の定型を指しているのではないか。

 

ツトムが地下鉄の建設に参加するということは、それまで拒んでいた社会を受け入れ、円滑なコミュニケーションのための基盤を自分の中に築くことを受け入れ、またそれを構築するのを助けることを受け入れたということになる。

それは、ただ職を得たということ以上の、概念的な社会復帰を意味するはず。

 

では、それを拒んだサムとは何か。

サムは恋人(?)であるミチルに対して、「何の意味もなくただ名前を呼ぶために声をかける」という未来を夢見ていた。

名前を呼ぶだけで何かが伝わる=既存の、定型化されたコミュニケーションの基盤に依らない、独自のコミュニケーションの形を指す?

だから「あんた(ツトム)の選択が俺たちの未来を塞いでいる」となるのか。

しかしこのコミュニケーションは非常に閉鎖的で、一対一でしか通用しない形でもある。

 

サムは同時に、「そんな未来はあるのか?」とミチルに問う。

ミチルの名前が「青い鳥」のチルチルとミチルからきているのだとすれば(勝手な妄想です)、ミチルはどこにもない理想郷を追い求めているのであり、それが彼女の言う「平和な場所」なのだと考えると、最後のオチと符合して面白い気がする。兄、ミチル、タカシマさんの三人でお弁当をやり取りし、「三人っていいね」と笑ったあの瞬間が、ミチルにとって青い鳥を見つけた瞬間なのではないか。

けれど三人というのは、私、あなた、彼つまり社会の最小単位である。

ここでサムの求める一対一のコミュニケーションの理想と、ミチルの描くコミュニケーションの理想が食い違い、二人は決別しなければならなかったのではないかと思ったりしたり。

 

◎青い瞳

タイトルでもあるこのキーワードは、劇中では二つ出てくる。

一つ目は、昔母が、父とツトムを置いて家を出たとき、その母を追いかけたツトムが、母の手を掴んで彼女を見上げたとき、月明かりで青く光る瞳で彼女を見たと言われる。

二つ目は、ツトムから見たその時の記憶の中で、母に連れられていた妹が追いついたツトムを青い瞳でじっと見つめていたと語られる。

 

妹はツトムからその話を聞かされ、「やめて」「私を私のままで生きさせて」と言う。

「青い瞳」は、英語では「権力者のお気に入り、体制にべったりの人間」を指す軽蔑的な意味を持つ言葉である。妹のリアクションはこれを踏まえていると考えると腑に落ちる感じがする。

 

兄から見て、母に選ばれ、連れられていた妹がそういう風に見えていた。という可能性。

実際、この妹のキャラは個人的にはすごくリアルに感じる。天真爛漫で、時に小うるさくこちらの世話を焼き、可愛くて小悪魔的で、親から目を掛けられていて、全てを見透かし知っているような目をしていて、でも実際は現実に翻弄される一人の女の子でもあり、こちらからはよく見えないが彼女には彼女なりの意志や目標があったりする…

自分から見た妹像がかなりそのまんまという感じで(もちろん世の中にはいろいろな妹像があることは承知の上で、自分から見たうちの妹に似ているという勝手な感想です)、前田さんは可愛いし、語尾をちょっと伸ばすときのミステリアスな雰囲気と普通の少女っぽいときの差がとてもよかったと思います。

 

と、話が逸れましたが、つまりはあまりにうまく適応した人間のことを指しているのではないかと思うんです「青い瞳」は。適応というテーマにも合うし。

そう考えると、最後のタカシマさんの目は何色だったかなぁ、と…

 

◎語られない「戦争」

ツトムは戦争からの帰還兵であり、劇中でも戦争で町が廃墟になっただとか、戦争未亡人がいたりだとかするにも関わらず、戦争がどんなものだったかは具体的には語られない。戦争の名残のような白い煙は、今はごみ焼却場の煙であると説明される。そこで起こった戦争が何なのかについては何も説明されない。

そのまま最後まで見ていると、戦争というのは何かの比喩なのでは?という気がしてくる。もっと精神的な荒廃を招く、思春期とか、就職とか、そういうものの例えとしての戦争。もっともこれは観ている自分のメンタルが影響している可能性がかなりあるのだけれど。

 

戦争が比喩だとしたら、「戦争で荒廃した町」そのものが誰かの心の中で、登場人物一人一人が実在の人物ではなく、心のなかの機能を表している、という見方もできそうに思う。

心の被支配を受け入れる自分、それを拒否する自分、大人の自分、子どもの自分。

なんとなく、戦争の語られなさにそんなことを思ったりしました。

 

ちなみに何が見たくて行ったかと言えばサム役の上田さんが目当てだったんですが、上田さんって「永遠の0」以降、何かしら戦争にかかわる作品に出続けているし、しかもどの作品でも戦争を呼ぶ存在なんですよね。

 

永遠の0(映画)の小山は、主人公宮部の「絶対に生きて帰る」思想に反発する生粋の戦争渦中の人間で、話の中で一番最初に宮部と真っ向から異を唱える存在で。同時に、宮部の思想によって死ぬ最初の人物でもある(どの道特攻して死のうとしてはいたけれど、宮部の言葉を受け入れたためにああいう死に方になったということを宮部が意識しないわけはない)。若干の贔屓目はあるかもしれないが、小山の死が宮部の思想に戦争のリアルを突き付けたと考えられる。

 

添い寝熊の多根彦は、大いなる熊と犬の呪いによって、兄を脈々と続くエネルギー戦争へ巻き込む。(と自分は解釈している)

 

そして今回のサムも同じく、「ここが戦争であることを忘れていた」ツトムに銃を向け、戦争の傷を消し去ろうとしていたツトムを永遠に日常から切り離す。

 

これはいったい何なんだろう。

それぞれキャラクターは異なるにも関わらず、上田さんの何かがそうさせるのか。ただ単に厳ついだけではない、葛藤のような含みのある複雑さが共鳴するんでしょうか。

 

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何はともあれ青い瞳は上田さんの「殺すぞ!」が最高なのでそれだけで見に行ってよかったなって思います。あの音声だけ着メロにして配信してほしい…

 

色々書きましたが帰りの新幹線で同行してくれた友人と話しただけでも全然解釈違いがあったので、たぶん人によってかなり感じ方が違うし取りこぼしも多いと思います。感想打ち終わるまで読まんとこと、と思って戯曲もまだ読んでないですし。

また他の方がどういう風にこの舞台を見たのかも聞きたいなあと思います。

ではまとまりないですが言いたいことも尽きたのでこの辺で。

 

 

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