ランボー VS 蘇我入鹿 in 奈良―ランボー怒りの改新感想―
奈良はどうして変態変則的な作家を産み出すのか?
人間の人格に生まれ育った土地は大いに干渉していると私は考えている。
例えば、私は「松原」と呼ばれる大阪の中でも立ち位置のよく分からない土地に生まれた。
大阪市と堺市に面しており、立地としてはなかなか良いと思うのだが、いかんせん知名度はない。
名産は「金網」と「真珠核(真珠を作る際に貝に入れる、その名の通り真珠の核となるもの)」と超マイナー。
その割に市の木は「松」、花は「薔薇」と受けを狙っているのが、逆に哀愁を漂わせている。
この様な土地に生まれたもんだから、私自身もよく分からない立ち位置で、少し哀愁を漂わせながら自虐をする「ヒロシ」みたいな人間になってしまったのだ。
とすれば、逆説的に『森見登美彦』と『前野ひろみち』なる新人作家を産み出した奈良という土地はいかなる土地なのか?
森見登美彦氏は特異的な文体で、京都を舞台とするファンタジーチックな世界観の作品を世に送り出している変態変則的作家だが、実は奈良の生れである。
その森見氏が自身のブログで「先手を打たれた!」と嘆いたとされるのが、前野ひろみち氏の『ランボー怒りの改新』である。
前野氏も森見氏に負けず劣らず、変則的な作家である。何せ表題作のあらすじがおかしい。
ベトナム戦争帰りのランボーが奈良にて蘇我入鹿らを倒し、大化の改新を行う!
ランボーって言っても本当のランボーとかじゃなくて、村上春樹がよく言う『概念的』なランボーなんでしょ!とかそういうことはなく、本当にそのまんまランボーである。
いやいや、この時点でおかしいだろ!とあらすじを見れば思うのだが、それが上手い具合に混じり合って読んでいる上では違和感はない。中臣鎌足が銃持ってたりするけど、そこに疑問なんか抱かないのだ。
このあたりの聞いている上でははちゃめちゃなんだけれど、読んでいるうちにその世界が当たり前のように感じられる辺りは森見氏によく似ている。というか、ぶっちゃけ文体も結構似ている。*1
こちらは短編集になっていて、他にも奈良を舞台とした作品が入っているのだが、どれも少しずつおかしい作品になっている。
個人的には『満月と近鉄』が一押し。小説家を目指す少年の甘酸っぱい想いと、けれど、ひたむきに努力しようとする思いが書かれていて、そして最後に思いもよらぬ所へ着地する。
甘酸っぱい想いとかせつない感情とか、青臭すぎてともすれば陳腐な青春劇になりそうなものだが、舞台となっている奈良が上手い具合に全て丸めて鹿のえさにしてくれる。
突拍子のない設定だとか、そう言ったものもすべて含めて最後は「阿呆やなー」と笑って、それから少し泣きそうになって。
このあたりが森見氏と本当に似ている。こういったところが奈良の土地柄なのだろうな、と。
綾町 長
*1:巷では森見氏が別名義で書いているのでは?という疑いの声が絶えない