もどかしく、じれったい、けれど愛らしいSMな関係~『ナナとカオル』を読んで~
世の中うまくいかないことが多いですね。
具体的には原稿が思ったように書けなかったり、原稿が思ったように書けなかったり……。
どうも、ぐだぐだと日々を過ごしながら、FGOとEXTELLAに逃避しがちな淡夏です。
いやぁFate/EXTELLA思ったよりも面白いですね!
無双系のゲームは今までやったことがなかったのですが、思ってた以上にスピード感があって楽しめてます。
言うて本家本元が開発してたらもっとゲーム性も上がったのかなという気もしますが。
それにしても冒頭でも書いたように、世の中ほんとうまくいかない。
そりゃ色んな人が居る以上、何でも自分の思い通りになるとは限らないんですけどね。
さてさて今回は、そんな思い通りにならないことに諦め、それでも諦めきれずにSMという行為によって繋がってしまう恋愛漫画のご紹介を。
SMと聞くと、どのようなイメージを思い浮かべるだろう?
Sという相手の苦しむ姿に興奮を覚える人種が、Mという痛みや苦しみを快感に変える変態を苛める特殊なプレイ。
そういうイメージを持つ人の方が多いだろう。
かく言う自分も基本的にはそういう認識をしていた。
けど、こらから書く『ナナとカオル』という漫画を読んでSM、引いては恋愛やコミュニケーションについての考え方が変わってしまった……気がする。
『ナナとカオル』とは
作者は成年漫画を描いていたという甘詰留太で、今作が初の一般向け漫画らしい。
どんな話をざっくり紹介すると以下のようになる。
主人公は、低身長、勉強出来ない、SM妄想が趣味の高校生、杉村薫。
クラスでは“キモムラ”というあだ名をつけられる、所謂“陰キャラ”男子だ。
そんな彼には、同じアパートの隣に住む千草奈々という幼馴染がいる。
学年随一の優等生で陸上部のエース。加えて生徒会の副会長という完全無欠の美少女だ。
薫からすれば遠い場所にいる奈々だが、彼女にとって薫は昔から仲の良い友達。
いや、心の奥ではそれ以上の気持ちを抱いているのだが、当の本人は気付いてはいない。
もちろん、薫の方も奈々に対して並々ならない気持ちを抱いているのだが、自分ではもう届かない相手なのだとそれを押し殺している。
そんな気持ちがすれ違っている二人だが、ひょんなことから薫のコレクションであるボンテージを奈々が着てしまい、鍵がかかって抜けなくなるというアクシデントが発生する。
薫に頼みこんで何とか外してもらうのだが、奈々はボンテージを着ている時の束縛感や羞恥心に気持ちよさを見出してしまい、いつも優等生をしていることの気疲れを解消するための手段として同じようなことをして欲しいお願いしてしまう。
こうして、二人の“息抜き”が始まるのだが……。
はい、ここまで読んだ人の多くが「これなんてエロ漫画?」とお思いになることだろう。
確かに実際縛られている奈々はエロいし、放尿、スパンキングなど結構アレなプレイもしているのだけど、本番どころか局部を出すような行為は出てこないし、奈々が恥ずかしい格好をするような場合でも基本的に大事な部分は隠している(布越しの乳首は描かれているけど、ヤングアニマルだし多少はね。ブラックレーベルという本編のその後を描いた作品では、ある人物は普通に裸体、しかもピアッシングした胸が描かれているが、奈々はそういう風には描かれていない)。
あくまで、そんなソフトSMでの“息抜き”と、それに伴う二人のやり取りがラブコメ調で描かれている作品なのだ。
それだけでもアイデアとしては面白いのだが、実はこの作品、単行本で18巻まで続いた。
普段漫画を読まない方なのでこれが長いのか短いのかは判断に困るが、ただのエロラブコメがここまで続くことはないと思う。
巻数が出るのは読者の支持があるからこそだと思うのだが、ではこんなニッチなジャンルにどんな魅力があったのだろうか。
信頼関係の上に成り立つSM
冒頭で述べたように、SMは痛みや苦痛を快感として与え、与えられるものだと認識している人が多いと思う。
けれど今作では、S役の薫の徹底したケアによって、奈々が後々まで引きずるような痛みや苦しみを負うことはない。
まず緊縛をするにしても、奈々の肌に痕が残らないように、縄を煮込んだり、ささくれだった所を焼いたり、オイルを染み込ませて肌触りをよくしたりときっちりと準備をしてから行っている。
羞恥プレイにしても、一週間程、候補地の人通りを観察し人気の少ない時間帯を見つけ、誰も立ち入れないように細工をしてからやっている。
他にも道具の手入れは怠らず、衛生面にも気を使っている。
プレイの最中にも本当に奈々が嫌がることは極力せず、どうすれば奈々が気持ち良くなれるか、プレイに没頭出来るか。
奈々の身体に危害が及ぶことはないか、“息抜き”がばれて彼女の社会的地位が危うくなることはないか、などと心の底から彼女を労わって苛めている。
そこまでしておいて、薫は奈々に手間暇を掛けている素振りは全く見せない。
そう、S役に求められるのは相手をいたぶる嗜虐心だけでなく、相手が身体の芯から悦ぶポイントを探し出し、且つアフターフォローもきっちりこなす紳士力なのだ。
紳士力なのだ!(大事なことなので)
この紳士力があるからこそM役も安心(?)して没頭でき、そういう信頼関係があるからこそ“プレイとして”成立する。
とまあこれだけでも当初のイメージは薄れたと思うが、まだ足りない。
『ナナカオ』で描かれるSMは、ソフトではあるが単なる“ごっこ遊び”ではない。
奈々と薫のSMは、肉体を通じて行われる心の触れ合いだからだ。
SMというコミュニケーション
作中の台詞にこんなものがある。
好かれたい、嫌われたくない。
でも……関わりたい、自分のものにしたい。
そしてそれを言葉で伝えられない……。
そういう相反する気持ちの押し引き、それがSMですもの。
これは薫行きつけのSMグッズショップの美人店長、橘満子の言葉。
彼女は度々薫や奈々の相談に乗り、アドバイスをくれる。
薫がこの言葉を投げ掛けられたのは、奈々との関係に悩んでいた時だ。
薫は自分に自信がなく、何でも出来る奈々は遠い存在になってしまったと思っていた。
今は“息抜き”を通じて一緒の時間を作ることが出来るが、本来、奈々と並ぶような立場に自分はいない。
だから、自分が奈々のことを好きだとバレてしまったら、今の関係を続けることが出来るだろうか。
きっと自分のこと好きになることはないが、優しい奈々は気を使う。
そんなことを、薫は望んではいない。
そのようなことを橘さんに相談していると、彼女は薫にこんな提案をしてくる。
一度自分を客観視するために、相手から人間性を奪うようなプレイをしてみてはどうか。
そうして相手を肉の塊にまで貶め、自分の欲望に正直になってみてはどうか、と。
そして行動に移すのだが、ここでも薫は最後の最後まで葛藤している。
奈々にこんな酷いことをして良いのか、自分の欲望を押し付けて嫌われやしないだろうか。
しかし同時に、アダルトビデオのように女に酷いことをしてみたいという欲求も存在している。
思いきった薫は、今までよりも強い拘束で奈々の自由を全て奪い去り、その身体に欲望をぶつけようとする(ここの欲望をぶつけるというのが本番を強行するなどではなく、おっぱいを、それも恐る恐る踏むというのが薫らしいのだが)。
興奮は最高潮になり、彼は自分の欲望を解き放ち、そして認める。
自分が本当に欲しいのは、自分の好き勝手出来る肉としてのナナじゃなく、何事にでも努力する、優しい、前向きで、怒りっぽい、全部の千草奈々なんだ、と。
一方、奈々も薫の欲望を肌で感じ、理解する。
薫は今まで自分の欲望と戦い、自分自身から奈々を守ってくれていたのだ、と。
ちょっと奈々の方は男に都合よく考え過ぎな気もするが、とにかくこのシーンは号泣ものだ。
これを境に、薫は奈々に追いつこうと努力を始める。
手遅れかもしれないが勉強して、奈々と同じ大学に入り、ずっと奈々の隣にいても不釣り合いではない自分になるために。
こんな風に、SMを通じて二人は自分のこと、相手のことを考え、そして成長していく。
そんな二人の関係こそが、『ナナとカオル』最大の魅力なのだと思う。
上記以外にも心にくる“息抜き”はまだまだある。
家庭の事情、優等生故に周りから様々なものを押し付けられてイイ子の仮面が外せなくなってしまった奈々の顔をマスクで覆い、心の底に溜まったものを吐き出させるようなものや。
二人で作った首輪を使っての羞恥プレイ。
そして何と言っても、無印で描かれる最後の紙を使っての拘束、等々。
特に最後の紙拘束に関しては、最終巻の感想と共に別口で語りたい程凄い“息抜き”だと思う。
二人の、今までの積み重ねがあったからこそ出来ることだし、そこで交わされる、言葉にならない気持ちのやり取りが本当に胸にくるのだが……。
まああまりグダグダ書くのもあれなので、今回はこの辺までとしておく。
まとめ
とまあ拙いながらも『ナナとカオル』の魅力を綴ってみたのだが、いかがだっただろうか。
深い関係の話だけでなく、息抜き中に薫と奈々が巻き込まれるトラブルも本当に笑えてドキドキ出来るものなので、純粋にラブコメとしてもかなり面白い作品だと思う。
興味を持った人は、エロ漫画っぽいという偏見をかなぐり捨ててコミックを手にとって欲しい。
特に、ちょっとめんどくさい恋愛ものが好きな人は是非。