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せつな系創作団体「Repro」のBlogです!

「漁港の肉子ちゃん」感想~チョウチンアンコウの生き方~

「漁港の肉子ちゃん」を知ったのはアメトークの読書芸人で又吉が絶賛していたからで、多分そうじゃなかったらこの本を手に取ることはなかったと思う。

 

漁港の肉子ちゃん (幻冬舎文庫)

漁港の肉子ちゃん (幻冬舎文庫)

 

 だって、タイトルが「漁港の肉子ちゃん」だ。すたいりっしゅ、とか、はいせんす、とかそういったものから一番遠いんじゃないだろうか。

でも、読み終わって思うのはそういうところも含めてぴったりのタイトルだってこと。それとこの本を読めて良かったということだ。

 

あらすじはある意味すごく分かり易い。

関西出身で、朗らかかつ豊満すぎる肉体を持つ肉子ちゃん(本名 喜久子)はついつい駄目男を好きになり、貢いでしまう。それに簡単に人に騙される。すごく人情味にあふれるけれど、服のセンスは凄くダサいし、決して美人とはいえない。関西のおばちゃん、とはまた違うのだけれど、どこか実家のおかんちっくなものを継ぎ足し継ぎ足し煮詰めたものみたいな存在だ。

そんな肉子ちゃんとその娘であるきくりんは肉子ちゃんを捨て、消えた男を追っかけて漁港に来た。しかし、その男は実はその漁港ではなく、別の所にいた。しかも、そこでよろしくやっているらしい。

行き場を無くした二人はその漁港に根を下し、漁港にあるお肉屋さんで働き始めた。漁港の肉子ちゃんの誕生である。

 

そんな強烈なキャラクターの母親を持った思春期真っ盛りのきくりんがこの話の主人公だ。

きくりんは肉子ちゃんとは似ても似つかず、美人でおとなしい。他人を傷つけるぐらいなら自分が傷つく方がずっと楽、とか思っちゃうタイプだ。

そんな彼女が「あー、こんなやついるいる」って人たちと関わりながら、自分の自意識と戦いながら生きていくさまが書かれている。

 

この話の登場人物はみんな生きている。キャラクターの要素として強烈なんじゃなく、まるで本当の知り合いみたいに目の前にその人たちが浮かぶ。

これは作者の西加奈子さんの力だと思う。気取っていなくて、ちゃんと地に足がついていて、けれど、しっかりと心に残る人たち。

テラスハウス、とかみたいなおしゃれさはないのだけれど、こたつみたいにずっと入っていたくなる暖かさを持っている。

 

そんな人たちが実際に苦しみながら生きている姿は凄く勇気づけられる。みんな、みっともなくて、かっこ悪くて、けれどもがきながら生きている。

そんな姿を漁港の自然が包み込む。東京に憧れて、かっこつけようとしてもやっぱりみんな田舎者で、ダサいのだ。けれど、それでもなんだかんだ生きている。

 

色々と心に残った部分はあったのだけれど、僕はチョウチンアンコウのエピソードがすごく心に残った。

チョウチンアンコウはメスだけが大きい。ちょうちんを持っているのもメスだけだ。オスはすっごく小さくて、まったく別種の魚みたい。

オスはメスの出すフェロモンを頼りにメスを探す。そして、見つけた時にメスのお腹にかぶりつくのだ。そのかぶりついた口はどんどん退化し、いつの間にかメスの身体とくっついてしまう。それどころかオスは生殖器以外の機能が退化して、やがて完全にメスの身体の一部となり、ただの臓器と成り下がる。

このエピソードをきくりんは何かの本で読む。こういう風にメスの身体の一部となってしまうオスを、そしてオスを取り込んでしまうメスを想ってきくりんは泣くのだ。

 

このメスは肉子ちゃんかもしれない、と僕は思った。様々な不幸な過去を身にまとい泳ぎ続ける肉子ちゃんは確かに端から見たら可哀想かもしれない。

けれど、きっと肉子ちゃんならそんな風になっても笑いながら「また太ったわ! 大に点で太るやねんから!」と言ってくれる気がするのだ。