りぷろぐ

せつな系創作団体「Repro」のBlogです!

久々の更新&『Fate/stay night〔Heaven's Feel〕1.presage flower』感想

 お久しぶりです、淡夏です。

 いつもこの件から始まるのは気のせいでしょうか(反語)。

 

 少し肌寒くなり、いよいよ冬が迫ってきましたね。

 毎年この時期になると、「お前はこの一年で何をしてきた」という自問自答が始まります。

 個人的に今年は色々と環境が変わり新たなスタートを切った年ではあるのですが、スタートから少しだけ進んだところで足踏みしている気がして、どうもまだまだ積み残しがあるように感じます。

 そうは言ってももう十一月。

 泣き言をほざく暇があるならば、少しでも前へ進まないと何も終えられないなと、気持ちを入れるだけでも入れておかなければなりませんね。

 

 そんなこと言って実際どうなのさ、リプロの活動とかきちんとやってんの?

 というハナシになると思いますが、活動はしています!

 9月には毎年恒例“文学フリマ大阪”があり、来年5月に大阪で開催予定の“コミックシティ”にも参加予定です。

 具体的な日程はまた追って告知しますので、是非ごひいきに。

 ちなみに、次回新刊のテーマは“致死量の鼓動”。

 メンバーで出し合った単語を組み合わせたテーマで、この言葉からどんな物語を生み出すか各自思案中です。

 少しでも気になった人はツイッター等もしていますので、そちらもご覧ください。

 更新が滞っていますが、そちらもきちんとしますよ、ええ(自分に言い聞かせるように)。

 

 

 さてさて、気付けば十一月という話をしましたが、いつの間にか二週間が過ぎていました。

 何の話かと言うと、そう、『劇場版Fate/stay night[Heaven’s Feel] 1.presage flower』が公開されてからの時間です。

 2014年の“Fate Project”発表会でのサプライズ告知から三年。

 待ちに待った三つ目の物語、桜ルートの映像化ですよ。

 まだ二回しか観に行けてませんが、少しだけその感想をば。

 

 

初見には厳しいが、往年のファンからすれば丁寧な再構成

 

 FGOから初めてFateに触れて気になっている、という人たちも多いかと思いますが、はっきり言います。

 予備知識なしで鑑賞するのは些か厳しいかなと。

 と言うのも、原作からしてセイバールート、凛ルートを通じて語られた設定やテーマをひっくり返すような物語構成となっているので、その二つを押さえておく必要があるのです。

 映画だから親切になっているかと言えば、逆に尺の都合上カットされている部分も多くありましたし(原作者からも「何度目だナウシカ」とコメントされるセイバー召喚からの一連のシーンは、OP映像として処理されていましたね)。

 なので、気になる人は、せめて少し前にやっていたTVアニメ『Fate/stay night[Unlimited Blade Works]』くらいは予習しておいた方が良いのかなと。

 特にこの桜ルートは、セイバールートで提示され、凛ルートで一つの答えが描かれた主人公の衛宮士郎の理想に対し、また別の解が導き出される物語でもあります。

 なので、衛宮士郎という男が何を背負っているのかを知っているか知らないかで話が変わってくるので注意が必要です。

 もちろん、「サーヴァントの戦いが熱い!」、「桜が可愛い!!」という楽しみ方はあるのですが、どうせなら士郎、そして桜がどんな人物なのかを理解した上で見て欲しいというのが一ファンとしての希望です。

 その見方をすれば、この作品がどれだけ丁寧に作りこまれているかが見えてきますので、是非。

 

 

 

【重大な原作ネタバレ注意】心に刺さる“日常”の描き方や、桜の表情や仕草に込められたもの

 

 さて、ここからは原作のネタバレも含んだ感想を。

 繰り返しますが、カットされているところはかなりカットされているけれど、丁寧に描写されるところは本当に息を忘れるくらい丁寧なのがこの作品。

 どういうところが丁寧なのかと言うとまず冒頭から。

 何と、原作では少し話に出てくるくらいだった、桜が衛宮邸に来るようになったその過程が描かれているではありませんか。

 衛宮低と言えば、士郎や桜が作った料理を藤ねぇが余計なことをしてちょっとした騒ぎが起こる、賑やかな食卓というイメージが強くあります。

 しかも物語が進行するにつれ食卓を囲む人数が増え、コメディシーンと共に聖杯戦争を離れた彼ら、彼女らの素や意外な一面が垣間見える空間でもあります。

 そんなファンとしては実家のような安心感すら抱く場所が、冒頭では士郎以外誰もいない、伽藍とした雰囲気で描かれています。

 もちろん藤ねぇはたまにやってくるようなのですが、後で顔を見せるというメモを残す程度。

 ファンが知っているような賑やかな衛宮邸は、どこにも見えません。

 ところが、そこにケガをした士郎を気遣って桜がやってきます。

 最初の内は友人の妹に世話を妬かせるわけにはいかないと断る士郎ですが、桜の頑なさに折れ、家事を手伝ってもらうようになります。

 そう、ここ。

 ここがあの賑やかな衛宮邸の始まりなのです。

 原作ゲーム本編が始まった時には出来上がっていたあの穏やかな日常は、けれど決して、当たり前のものではなかったのだと実感させられました。

 間桐桜という少女は、他ルートでも藤ねぇと並び“日常”の象徴そのもの。

 その“日常”の有難さを知ることは、桜ルートをより魅力的に、尊いものにしてくれます。

 監督はそのことを誰よりも理解してくれているようで、本当に驚かされました。

 

 監督の拘りはそういった話の構成ばかりではなく、桜の表情や仕草にもしっかりと表れています。

 遠坂の家から間桐の家に連れていかれ、蟲による魔術的な肉体改造を施され人としての感情を失ってしまった桜。

 衛宮邸に来たばかりの頃は笑顔を見せず、暗い目をしていました。

 けれど士郎や藤ねぇと過ごす時間が増え、士郎の前では遂に笑顔を見せるようになっていきます。

 

「私、先輩のお家以外では、ご飯、美味しく食べられなくなっちゃったんですよ」

 

 PVでも使われているこの台詞ですが、実情を知っている人からすれば凄く辛い。

 食べられなくなったというよりも、やっとご飯を美味しく食べられる場所が出来たと、そういう意味ですからね……。

 ほんと、桜の表情の変化が、この台詞を物語ってくれていましたよ。

 

 他にも、桜がリボンを触るその仕草。

 それを彼女がしたのは、一度目は藤ねぇが「桜ちゃんにはヒーローっている?」と何気なく聞いた時。

 二度目は、士郎との会話でとある女生徒の話になった時。

 そう、どちらも姉である遠坂凛を意識してのことなんですよね。

 桜にとって凛は眩しい存在であり、自分には与えられなかったものを持っていった憎しみをも抱きうる存在。

 輝かしい人生だけならまだしも、士郎の心すらも凛に持っていかれるのではと思った時の桜の黒い気持ちとか、その一端がリボンに触れるあの仕草に込められていたのは流石。

 ただ、羨望や嫉妬はあれど、桜にとって凛はやっぱりヒーローなんですよね。

 だからこそ、HFラストで黒化した桜を正気に戻したのは、士郎ではなく凛だったのだと。

 この日常の何気ないシーンが、そこに繫がっていくのかと。

 

 こんな感じで色々分かってからだろ、桜の表情や仕草全てに意味があるという恐ろしいまでの拘りが見えるんですよ。

 だからこそ余計に、原作を知った上で観て頂きたい。

 そうすれば桜への思い入れが深まり、引いてはその桜が居る日常を過ごした士郎が二章で選ぶだろう“桜だけの正義の味方になる”という選択の重みが増していくと思います(ついでに言うと、これを観たせいで、原作にある、桜を切り捨てて正義の味方を貫く“鉄の心”エンドの重みがとてつもないことになりましたね。桜の居る日常って士郎にとっても、正義の味方を実行するためのロボットではなく、人としての喜びを感じることの出来る大切な場所だったと思うんですよ。喜びを感じる度に彼を責める心の声が聞こえるけれど、それでも士郎が今の士郎で居るためには必要な場所だったんだなと。それを切り捨てるということは、完全に人として生きる道を捨てることで……。はぁ、士郎はほんと、考える度にしんどくなってきてかないませんよ)。

 

 まだまだ語りたいところはありますが、まだまだ長くなりそうなので今回はこの辺で。

 後半はもはやどの層に対して書いたものか分からなくなりましたが、原作好きなら共有出来る気持ちはあると思いますので、是非!!

 Fateを知らずにここまで読んでしまった人は、とりあえず原作かアニメのUBWを。

 そこで感じ入るものがあったのなら、まず間違いはないと思いますよ。