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りぷろぐ

せつな系創作団体「Repro」のBlogです!

もうすぐ今年も終わりですね

2015年も残すところ後数時間。

年内の積み残しを一つでも消化出来るように頑張りたいと思っている淡夏です。

……まあ、この数時間で一体何が出来るんだという話ですが。

 

それにしても、今年も色々ありましたね。

Fateの再アニメ化完結に、Fateのソシャゲが始動して、そしてFate……って、もうFateの話はいいですかね^_^; 

いい加減『DDD』とか、『魔法使いの夜』の続きが読みたいぜ(それも違うだろ)。

 

私達Reproもこの一年で無事二冊の本を作ることが出来ました。

綾町くんが加入してから最初に作られた4号『恋は罪悪』。

Repro初の試みとして企画されたシェアワールドの始まりを告げる5号『ロスト・アイ』。

本当はもっと色々な活動をしたかったのですが、なかなかうまくいきませんでしたね。

まあ、その辺りのことは今後の課題ということで、来年こそは何かしら前に進めるようにしていきたいですね。

 

何よりもまず、“ロスト・アイ”という世界観共有企画。

当初設定していた期限も目と鼻の先。

だというのに、進捗状況は……。

何とかせねば……。

これを読んで気になった方は下記リンクを読んでみてください。

 

http://repro09.net/reproject/reproject-01-share-world/

 

公式twitter@reproject01 のフォローもお願いします。

 

 

それから、“Repro”連載小説の二作品――『汐の音-the murmuring of the sea-』、『光跡のアルケー~変わりゆく世界~』もいよいよ大詰め。

実は『アルケー』の方は何とか年内に書きあげてはいるのですが、何かしっくりこない部分があるので現在調整中です。

どれだけの方が認知してくれているかは分かりませんが、下記のリンクに一話・二話がありますので、読んであげても良いよという方はお願いします。

 

光跡のアルケー 一章 http://repro09.net/novels/tanka/kousekinoaruke-chapter1/

 

汐の音 1話 http://repro09.net/novels/shionone-the-murmuring-of-the-sea-episode1/

 

 

それでは、皆さまも残り少ない2015年を後悔なく過ごせますよう。

来年も、よろしくお願いいたします。

よいお年を!

ベスト・オブ・2015年by淡夏

どうも、淡夏です。

時間管理が下手過ぎて、久々の更新となってしまいました。

もっと計画的に作業が出来るようになりたい……。

 

さてさて、2015年も残すところ後五日を切ってしまいましたね。

そこで今回は、今年触れたもので、個人的に印象深かった作品を簡単に取り上げていきたいと思います。

 

Fate stay night〔Unlimited Blade Works〕』

型月信者としてこれは外せませんね。

9年ぶり(劇場版UBWからは5年ぶり)のアニメ化。

しかも、『劇場版 空の境界』、『Fate/Zero』を手掛けたufotableによる製作で、原作者、奈須きのこ完全監修と、ファンにとっては最大級のご褒美ぶり。

さらに、ただの再映像化ではなく奈須先生自らの新設定や追加エピソードの詰まった、生まれ変わったUBWということでもう……(言葉にならない歓喜の悲鳴)。

さて、観終わった結果として……。

本当に素晴らしい出来でした。

これ作画班何人犠牲になってんだよ! というぐらいに濃密な映像に、厨二心を刺激しまくるハイセンスな演出。

どれをとってもお腹いっぱいになるような内容でしたが、今回最大の見所は何といっても、今までの映像化では表現の難しかった、主人公“衛宮士郎”の真っ直ぐで歪な人間性。

奈須さん曰く「一生懸命、人間のふりをしているロボット」とされる彼ですが、今までの映像だとどうしてもただの“正義の味方を目指すなりふり構わない愚かな人間”に見えがちで、“ロボット”という部分を表現しきれていなかったように思えるんですよね。

本来、人の行動というのは何らかの感情や欲求を伴うもの。

例え辛いことであっても、その先に感情や欲求が満たされるから行動出来る。

けれど、士郎の持つ理想――誰もが笑っていられる世界を作るための、正義の味方になる――を実現するための行動は、決して彼自身の欲求を満たすものではない。

そも士郎の行動には、大災害で色んな人を見捨てて生き残ったのだから、何かを成し得なければならないという脅迫観念が根底にある。

そして、そこに上塗りされた“正義の味方”という理想は、士郎本人ではなく彼を救った切嗣が抱いていたものだ。

だからそこに、彼自身の感情や欲求はなく、ただ自動的に理想を叶えようとする“ロボット”。

それが、衛宮士郎という人間の在り方。

そこを、今回のUBWは映像で表現してくれた。

このことが、今までのアニメ版『Fate/stay night』と大きく違うところなんですよね。

あまり語り出すと自分でも収集がつかなくなるのでこの辺りにしておきますが、不満のある改変は少々あるものの、それでも原作『Fate/stay night』の持つ熱量を見事に再現してくれた作品であると言えるので、興味のある方は是非!!

なお、現在ufotableは劇場版『Fate/stay night〔Heaven’s Feel〕』も製作中です。

HFでは、UBWとは違った理想へのケリのつけ方が描かれているので、それをどう映像表現するのか、今から楽しみですね。

 

 

Fate/Grand Order』

また『Fate』かよ……。

はい、言わずと知れた、スマホソーシャルゲーム版『Fate』です。

正直なところ、発表を聞いた時は上記のような気持ちがないわけではありませんでした。

ただ今回の『Fate』は、奈須さんが手がけたシナリオの中で最も規模の大きい“世界を救う物語”となっています。

今までの奈須さんの作品世界では、語弊を恐れず言えば、世界を救うなんてことは出来るはずがありませんでした。

世界とは詰まるところその人の認識している範囲のものであり、その中にあるものですら一人の人間には背負えるものではない。

ましてや、その外側にあるものを救う力など、身に余るものだ、と。

それを踏まえた上での、“世界を救う物語”を作ると聞いて、これが興奮せずにいられるでしょうか! 

ただまあ、現在のところ、ひょんなことから“人類史の焼却”という危機に立ち向かうという王道RPGという印象が強いかなという所感。

そも“人類史”とは、それを支える“人理”とは、という話がより明確に見えてくれば、もっと型月らしさがアップするんじゃないかなと思うのですが。

そう言えば、鳴向さんのソシャゲ論とこの作品にずれがあるという話がありましたが、それは本当にその通りだと思います。

たぶん、FGOが目指したのはソシャゲ体験よりもJRPG路線なんでしょうし。

サーヴァントにしても、設定上の俺の“サーヴァント”という扱いはしにくいですしね(原作からして、ただの使い魔以上の存在で皆何者にも影響されないような個性をもっている人ばかりですし)。

何はともあれ、今後の展開に期待です。

課金も、しっかりします!

 

 

『我もまたアルカディアにあり』

ハヤカワ文庫から出た、江波光則の小説。

終末に備えて作られたアルカディアマンションを舞台に、終わりゆく世界とそこで暮らすとある血筋の人達の生き様を描いたSF。

うまい感想が出てこないのですが、何というか、人間の生き汚さが描かれていたんだろうなと思います。

生き汚いとはいっても、人間という生物の根底にあるものだから、そう悪いものではないのでしょうね。

うーん、自分の語彙力では感想を伝えられなくてもどかしい。

気になった人は是非! 

後、江波光則と言えばガガガ文庫から『ボーパルバニー』という小説も出てましたね。

こっちはひたすら悪いやつらが思うままに悪いことをして、思いきり死んでいくという、ある意味では気持ちの良い物語でした。

社会には受け入れられない衝動を抱えながら、それに忠実に生き切ったという点では、悪人である主人公達が酷く羨ましかったですね。

こちらもピカレスクロマン(とは少し違うかもしれませんが)系のお話が好きな方は是非。

 

 

『心が叫びたがっているんだ』

今年観に行った映画の中では、これが一番心に響いたかもしれません。

感想については、過去の記事を参照のこと。

http://repro09.hatenablog.com/entry/2015/09/23/231144

 

 

本当はもっと色んな作品を紹介したいのですが、今日のところはこの辺りで。

物書きをしたいのなら、色んなことを経験する必要があると痛感する今日この頃。

現実では絶対に出来ない経験をさせてくれる作品が数多くあるのは、本当に幸福なことだと思います。

願わくば、自分の書いた作品もそうしたものの一つとして数えられればと祈りを込めて、結びとしたいと思います。

以上、淡夏でした。

ソーシャルゲームと終わらない日常の話

こんばんは、鳴向です。

今回は特にまとまったネタというわけではないのでいつも以上にぐちゃぐちゃな文章なのですが、最近思っていることなどを書いておきます。

ここ最近いくつかのソシャゲがサービス終了するというニュースを聞きまして。これとかこれとか。
まあ、ソシャゲ戦国時代なのでサービス終了自体は珍しいことではないと思うんですけどね。
サービス終了カレンダーとか見てるとすごい虚無になれるのでおすすめ…しません。

しかし今回終わるって聞いたのはちょっと珍しい女性向けゲームだったので、サービスインした当初ポチポチやったりしてたんですが…
あのポータルに女性向けは馴染まなかったのかなぁとか、やっぱあのポータルで新しく何か始めるのは難しかったのかなぁとか、思っちゃいますね。

女性向けはネイティブアプリ?っていうんですか?アプリ単体で配信してるやつと、あとはこないだ教えてもらった「恋アリス」みたいな、アメーバ、グリーの系統が結構うまいこといってるみたいですね。
アメーバだとBF(仮)とかが代表格でしょうか。意外といっぱいあって驚きました。ユーザー層の違い…


blはBLobbyっていうポータルができてましたが、エレメンツリーのあなカレとか、俺!シリーズ、新しくリリースされたセカクレとかを見ていると最近はゲーム単位で配信してるのが多い気がしますね。


それはさておき、終わってしまうゲームに対してツイッターで、「終わらない日常話が続く内にキャラぶれを起こしてしまった」という旨のコメントを見かけて、ああなるほどなぁと思ったんです。
ちょっとその時はtl流し見しかしていなくて、誰かからRTで回ってきていたと思うのですが自分ではふぁぼRTしていなくて、もう元ツイートを見失ってしまったんですが…。

確かに、終わってしまうゲームはどちらもアイドルものの流行には乗っていたものの、中身は日常系だったんですよね。
ぶっ飛んだキャラと未知との遭遇をするんじゃなく、キャラクターとの自然な交流を軸にしていたというか…。

キャラゲーよりもシナリオゲー寄りだったって言うのがいいんでしょうか。

何というか、目に見えて難があったという感じはあまりしないんですよね。

きっとソシャゲ黎明期だったら普通にヒットしてただろうと思えるくらいには。

なんで、この辺りの不振の原因は、受け手のユーザー側の意識の変化にあるのかな~と思ったりします。

自分もいくつかソシャゲをやってますが、どうやってソシャゲと付き合っているかっていうのを考えてみると、ソシャゲの世界をAR=拡張現実として捉えてるかなという感じがします。

ARというと、ゲームに現実の画面を取り込むと、ゲームの中のキャラクターが現実の中で動いているように見せてくれるっていうvitaのゲームソフトのオプションとかがありましたが、そういう感じで、現実の上に虚構を重ねて楽しむタイプの虚構ですね。

たとえば現実ではハロウィン仮装大会ふざけんなって言いながら、ゲームの中のハロウィンイベントでは必死で走るみたいなことあるんじゃないかなって思うんですが。
現実でのイベントは楽しまないけど、ゲームでは、季節イベントがないゲームはないでしょって感じじゃないですか。
それってつまり、現実とは全く違う、切り離された仮想現実=VRを求めているのではなく、現実の延長として、現実を彩るものとしてゲームの世界を消費しているって言えるのかなと思います。


前にVRからARへというのを論じている人がいたんですが、まさしくそれだと。

VR=仮想現実、完全に現実とは別に構成されたもう一つの現実ではなく、現実の延長線上にあるAR=拡張現実。

 

ゲーム内でさらにリアルな日常を描くことは、ある意味仮想現実の構築なんじゃないかと思うんですよね。

現実という日常から、もう一つの日常への移動。

でも、終わらない日常はすぐに疲弊してしまう。

ゲーム体験ってある種お祭りみたいなとこありますからね。

ただ一方で、全くの非日常に没入するのも体力要るんですよね。

これ前に経験したんですけど、疲れてる時って造語の多いラノベとかSFが全然読めなくなって、日常を舞台にしたドラマとか少女漫画、ラブコメしか頭に入ってこないみたいな状態になるんですよ…。
それで、現状はそのちょうど中間くらいの、現実を拡張する、現状から少しだけ浮遊するような物語が求められてる、ということなのかなと思います。

あとちょっと思うのが、ブームって言われてた日常系自体に、そろそろ反作用が起こり始めている?って感じがしますね。
角川の新レーベル、

novel-zero.com

とか。

この辺の潮流が今後どうなっていくのかはやっぱり気になるところですね。

ゲームもかなり発展してきて、キャラゲーからシナリオゲーに比重が移ったりするんでしょうか。

その辺読めたら苦労しねーよって感じではありますが、もろもろ気にしつつ情報収集していきたいですね。

ではでは。

 

リプロで世界観共有企画やってます。

REPROJECT 01-世界観共有- | Repro

よろしければご参加ください。

【バレ有】青い瞳を見てきた話

 

お久しぶりです。鳴向です。

今回も観劇の話です。

先週、シアターコクーン「青い瞳」という舞台を観てきました。

以下、それについて思ったことなどをうにゃうにゃ言っています。

最後までネタバレしているので、ネタバレNGの方はお気を付けください。

 

公式サイトのあらすじはこんな感じでした。

『青い瞳』は、ある戦争終結後の地域社会が舞台。神経のすり減るような戦場での経験を抱えながらそれぞれの故郷に帰る兵士たち。両親と妹のもとに帰ったツトムもそうした一人だった。厳格だったはずの父は気弱な物言いしかしてこない。母は心から帰還を喜び、前のめりになるほどの勢いでツトムに「社会復帰」の大切さを説く。家族もまたどう扱っていいのか正解が見つけられず、どこか不自然だった。

そんな中、妹のミチルははつらつとした若さをぶつけるようにツトムに一点の曇りもない青春を見せてくれるが、ツトムの心は晴れない。戦場に真実があるというのではない。多くの失った戦友たちの魂を思う自分と、故郷での日々はあまりにも距離があるからだ。ミチルがチンピラグループの一員のサムとつきあっていることに気付いたが、胸にとどめることにした。

酒場で知り合ったそのグループのリーダー格の青年アライには、ばかにされたような思いと同時に敗北感さえ感じてしまう。自らの価値のありかを見失い、ふさぎ込むツトムの前に現れたのは、かつて子どものころ自分を心の迷いから救ってくれた「タカシマさん」だった…。

 

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何ゆえ私たちは働くのか~マイ・インターン感想~

 どうして働かなければいけないんだろう、と疑問に思うことがあります。

 

 世の中は21世紀。

 昔に比べて、様々なものが機械化されたし、肉体労働という意味では昔に比べてとても楽になったはずです。

 なのに、世の中からは仕事がなくなりません。減りもしてません。

 永遠に湧き出る泉のように、仕事はポンポンポンポン湧き出してきています。

 これ以上便利になんてならなくていいから、その分、仕事が減ればいいのに、と思っても悲しいかな、仕事がなくなることはありません。

 だって、資本主義社会では働かなきゃお金がもらえないから。そして、僕はまた辛い辛い労働生活へと戻っていくのです・・・。

 けれど、お金があっても働きたいと思う人もいます。

 そんな人が主人公である映画「マイ・インターン」を先日観てきました。

 

 映画「マイ・インターン」はロバート・デ・ニーロ演じる70歳元会社員のベンが衣服のネット販売会社に高齢者インターンとして応募する所から始まります。

 応募理由は時間を持て余していること、社会に居場所がないこと。そして、何より誰かに必要とされていないこと。

 彼は、アン・ハサウェイ演じる女社長ジュールズ直属のインターンとして採用されます。

 しかし、彼女は初日の面談で、あなたに任せられる仕事がないと言い放ちます。明らかに信用されていない、と感じたベンでしたが、行動あるのみと一つ一つ行動を積み重ねて、周りの信頼を勝ち得ていきます。

 一方、成功者として華々しく活躍しているジュールズも実は家庭と会社のバランスで悩んでおり・・・というのが導入部分でしょうか。

 

 正直、今年観た映画で一番!っていうくらい良い映画でした。

 まず、ロバート・デ・ニーロの渋さとかっこよさ! ハンカチは女性に貸すためにあるんだ、なんてきざな台詞に違和感がないくらいカッコいい!

 そして、アン・ハサウェイの女社長が似合いすぎる! スタイリッシュかつ少し見える弱さがすごく良かったです。

 この二人を見るだけでも十分満足できる映画でした。

 

 この映画で描かれている大きなテーマの一つは「働くこと」です。そして、この映画の登場人物にとって、それは決してお金のためだけなんかではありません。

 じゃあ、なんのため? といわれると難しいですが、この映画ではいくつもそれが描かれています。

 上司に認められるため、自分の居場所をつくるため、生活のため、自分の力を発揮するため。

 そして、主人公の一人であるジュールズにとって仕事はつまり人生です。

 ベンは映画の中でジュールズにこういいます。

「会社にとってあなたは必要で、あなたにとっても会社が必要なんだ」

 もちろん、そんな人は稀有だと思うし、そうだからこそ彼女は社長になったのです。けれど、この映画からは仕事本来の楽しさと仕事に人生を捧げることの困難さが描かれています。

 そして、ベンも映画の中では描かれてはいませんが、昔はそういう人間だったからこそ、ジュールズに共感し、応援しているのだと思います。そういう仕事に人生を捧げた孤独な二人が出会うことにこの映画の肝はあるのかもしれません。

 

 もちろん、お金のためもあるけれど、仕事ってそれだけじゃない。そして、仕事だけでもすまないのが人生だ。そういうことが分かった映画でした。

 あと、ベンに憧れて今後はハンカチを持つようにしたいと思います。

                                    綾町

小説におけるメールの終わり、LINEの始まり。

お久しぶりです。ふりゅうです。

ブログ更新を淡夏氏・鳴向氏・綾町氏に任せてサボってました・・・。

 

藤沢数希さんの『ぼくは愛を証明しようと思う。』という小説を読みました。

ざっくりあらすじを言いますと、主人公のわたなべ君(仕事はできるけど女性に全然モテない)が永沢さん(仕事の知り合い。えらくモテる)から恋愛工学(進化生物学や心理学の膨大な研究結果を基に、金融工学フレームワークを使って、ナンパ理論を科学の域にまで高めたもの・・・文中より引用)を学び、女性との付き合い方を学んでいく・・・そんな内容です。

安易な非モテサクセスストーリーと思うなかれ。思った以上に深くて読み応えのある小説でした。

 

また、『心が叫びたがっているんだ。』という映画も見てきました。

こちらの内容については淡夏氏が書いてくれているので割愛ということで。

 

『心が叫びたがってるんだ。』(以下、ここさけ)と『ぼくは愛を証明しようと思う。』(以下、ぼく愛)の共通点として、コミュニケーションのツールとしてLINEが大きく機能していることが挙げられます。

 

『ここさけ』の成瀬順は幼年時のショックで言葉を話せなくなります。

そのため周りとのコミュニケーションはほとんどがスマホを使った文字のやりとり。

LINEというワードは出てきませんでしたが、はっきりとLINEのトーク画面と思われる文字のやり取りが劇中に何度も登場しました。

 

『ぼく愛』のわたなべ君は永沢さんに連れられて夜の街へナンパに繰り出すのですが、そこで女の子から電話番号やメールアドレスなんか聞きません。連絡先として交換するのはLINEのIDなのです。小説内ではチャットのようにLINEでの会話が大量に登場します。

 

世代によって差はあるでしょうけど、若い人ほど携帯(スマホ)でメールする頻度は少ないんじゃないでしょうか。僕はほとんどメールする機会が無くなりました。LINEの方が会話のペースが速いし、スタンプも充実してるし、日常的なコミュニケーションはほとんどがLINEです。

 

これって、物書きさんにとって結構真剣に考えないといけない問題だと思うんですよ。

 

ひと昔前、携帯電話の登場、メールの登場によって、コミュニケーションの手段は大きく変化し、それに伴って小説でもそのようなアイテム・ツールを機能させる必要が出てきました。

 

例えば、現代(狭義的に2010年以降とします)日本が舞台の小説で、高校生や大学生くらいの年齢の恋人の二人が家の電話で家族の目を気にしながらデートの約束をしたりして、当日に駅の大きな柱の表裏で待っていてなかなか会えなくて・・・なんて展開は、もはや有り得ないわけです。

え、スマホは?なんですぐ連絡しないの?ってなってしまう。

 

それと同じような状況がメールとLINEにおいて起こり始めているように思うのです。

だって、今の中高生は好きな子へ送ったLINEトークの既読がついたつかないで悩むことがあっても、好きな子へ送るメールの件名で悩むことなんて、もう(ほぼ)無いんですから。

 

ここ2~3年でLINEがコミュニケーションツールとして席巻するようになりました。

僕(20代半ば)の中高生のころはメールがメインでしたから、つい簡単にメールアドレスを聞き出したり、メールを送ったりする表現を入れてしまうんですけど、これからはその辺に対して意識的になる必要が出てきているのかもしれません。

 

電話にもない、メールにもない、LINE特有のコミュニケーションのスピードとインスタント感を上手く小説に取り入れることが出来れば、そこはまだブルー・オーシャンなのかもね。

映画「バクマン。」感想-漫画家にはなれても、映画監督にはなれない-

 何にでも向き・不向きというものがある。

 

 僕は小学一年生から五年生までソフトボールをやっていたけれど、とにかく向いていなかった。

 練習も真面目に出ていたし、左目にボールをぶつけてパンダのような顔になるぐらいには一生懸命やっていたのだけれど、全くもって上手くならなかった(ボールをぶつけたのはある意味へたくそだったからだけれど)。

 当然、レギュラーにはなれず、自分よりも年下の子たちが試合に出ているのをひたすら応援している毎日だったけれど、それでもやめずにずっと続けていた。

 向いていないと気付いたのは五年生の頃だ。

 監督の気遣いで、練習試合に代打で出場した。案の定、ボールが速くて全く見えない。

「こりゃ打てないなー」と思いつつも、思いっきり振ってみると、偶然にもバットに当たった。ボールはそのままライト前まで飛んでいった。

 けれど、そのことに一番驚いていた僕は走ることを完全に忘れていて、結局、アウトになってしまった。

 そこで初めて、これは向いていないと気付いてやめた。

 けれど、それは単に向いていなかっただけなのだ。中学から始めた卓球はずっとレギュラーだったし、それなりに上達もした。ソフトボールは向いていなくて、卓球は向いていただけなのだ。

 

バクマン。」はそう言った意味で、映画に向いていない。なんせ話のメインである漫画はひたすら描く作業なのだ。アクションだったり、サスペンスだったり、ホラーだったり、そう言ったものと比べて圧倒的に画が地味だ。

 それは漫画の時も一緒だったけれど、読者と一緒に成長していく主人公、特徴的で個性あるキャラクター、パロディ、そして何より漫画家の話を漫画で描く、というところがすごく大きかったと思う。それに漫画は時間的な制限がない。映画は二時間程度の時間で完結させなければならない、という制限がある。

 だから、僕は「バクマン。」は映画に向いていないと思う。「デスノート」とは違う。わざわざ映画化する意味がそこまでないと思うのだ。

 けれど、だからと言って駄作か、というとそう言うわけではない。

 監督である大根仁は、音楽や漫画を使った映像効果を使って最大限に面白く調理していると思う。

 一番、良かったのはペンを走らせる音だ。ボールペンや鉛筆とは違う、紙を削るようなずりずりとした音が耳にすごく心地よかった。

 それに一番だれる漫画を描くシーンを比喩的な戦闘シーンに置き換えていたり、飽きさせない工夫を凝らしている。意味のないシーンは出来るだけ削って、それでもストーリーが分かるようにしている。

 役者だって、それぞれイメージにぴったりだった。特に平丸役の新井浩文は何度も笑いを取っていて、会場全体が笑いに包まれた。

 そして、細部に至るこだわりは本当にすごく、エンドロールのアイデアとこだわりは今まで観た映画の中で一番だった。

 

 やっぱりサイコ―やシュウジンは映画監督には向いていない。漫画家こそが彼らの転職だと思う。

 けど、それでも映画監督を目指してもいいんじゃないかと思う。それが成功してもしなくても。

                                   綾町 長