りぷろぐ

せつな系創作団体「Repro」のBlogです!

映画「バクマン。」感想-漫画家にはなれても、映画監督にはなれない-

 何にでも向き・不向きというものがある。

 

 僕は小学一年生から五年生までソフトボールをやっていたけれど、とにかく向いていなかった。

 練習も真面目に出ていたし、左目にボールをぶつけてパンダのような顔になるぐらいには一生懸命やっていたのだけれど、全くもって上手くならなかった(ボールをぶつけたのはある意味へたくそだったからだけれど)。

 当然、レギュラーにはなれず、自分よりも年下の子たちが試合に出ているのをひたすら応援している毎日だったけれど、それでもやめずにずっと続けていた。

 向いていないと気付いたのは五年生の頃だ。

 監督の気遣いで、練習試合に代打で出場した。案の定、ボールが速くて全く見えない。

「こりゃ打てないなー」と思いつつも、思いっきり振ってみると、偶然にもバットに当たった。ボールはそのままライト前まで飛んでいった。

 けれど、そのことに一番驚いていた僕は走ることを完全に忘れていて、結局、アウトになってしまった。

 そこで初めて、これは向いていないと気付いてやめた。

 けれど、それは単に向いていなかっただけなのだ。中学から始めた卓球はずっとレギュラーだったし、それなりに上達もした。ソフトボールは向いていなくて、卓球は向いていただけなのだ。

 

バクマン。」はそう言った意味で、映画に向いていない。なんせ話のメインである漫画はひたすら描く作業なのだ。アクションだったり、サスペンスだったり、ホラーだったり、そう言ったものと比べて圧倒的に画が地味だ。

 それは漫画の時も一緒だったけれど、読者と一緒に成長していく主人公、特徴的で個性あるキャラクター、パロディ、そして何より漫画家の話を漫画で描く、というところがすごく大きかったと思う。それに漫画は時間的な制限がない。映画は二時間程度の時間で完結させなければならない、という制限がある。

 だから、僕は「バクマン。」は映画に向いていないと思う。「デスノート」とは違う。わざわざ映画化する意味がそこまでないと思うのだ。

 けれど、だからと言って駄作か、というとそう言うわけではない。

 監督である大根仁は、音楽や漫画を使った映像効果を使って最大限に面白く調理していると思う。

 一番、良かったのはペンを走らせる音だ。ボールペンや鉛筆とは違う、紙を削るようなずりずりとした音が耳にすごく心地よかった。

 それに一番だれる漫画を描くシーンを比喩的な戦闘シーンに置き換えていたり、飽きさせない工夫を凝らしている。意味のないシーンは出来るだけ削って、それでもストーリーが分かるようにしている。

 役者だって、それぞれイメージにぴったりだった。特に平丸役の新井浩文は何度も笑いを取っていて、会場全体が笑いに包まれた。

 そして、細部に至るこだわりは本当にすごく、エンドロールのアイデアとこだわりは今まで観た映画の中で一番だった。

 

 やっぱりサイコ―やシュウジンは映画監督には向いていない。漫画家こそが彼らの転職だと思う。

 けど、それでも映画監督を目指してもいいんじゃないかと思う。それが成功してもしなくても。

                                   綾町 長

弱さを描いた、拙い物語~『心が叫びたがってるんだ』を観て~

連投ですが、淡夏です。

この間観たアニメ映画が思った以上に良かったので、鑑賞して感じたことを今の内に書き留めておきたいと思い更新します。

さて、今回観に行ったのは先週土曜から公開が始まったアニメ、『心が叫びたがってるんだ』です。

それでは以下感想です。

 

 

おしゃべりが大好きで夢見がちな女の子成瀬順。

幼い頃、彼女が何気なく口にした言葉がきっかけで両親は離婚してしまう。

自分が喋ると人を傷つけると思った順は、それから言葉を発せなくなり、自分の殻に閉じこもってしまうようになる。

そんな彼女は、ひょんなことからクラスメイトの坂上拓実、仁藤菜月、田崎大樹と共に高校の「地域ふれあい会」の実行イベントに任命される。

最初は嫌がっていた順だが、拓実との会話の中で、歌でなら自分の伝えたいことを表に出せることに気付き、担任の提案もあって彼女の実体験を基にしたミュージカルをすることになる。

当初はやる気のないクラスメイト達も、熱心な順達の姿に感化されクラス一丸となってミュージカルの成功へ向けて準備を進めるようになる。

その中で、順の中で少しずつ、拓実への想いが募っていくのだが……。

 

 

監督:長井龍雪、脚本:岡田磨里、キャラクターデザイン:田中将賀という『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(以下『あの花』)を生みだした面々によって作られた本作。

あの花』が万人向けの泣かせる作品だったので、そっち方面を期待した人は多かったのではないでしょうか。

しかし『ここさけ』は万人向けの作品ではなかったと思います。

そう感じたのは、登場人物が全員繊細過ぎるからです。

 

主人公の順からして、過去のトラウマから言葉を発するとお腹が痛くなってしまう程の神経の細さなのですが、拓実も菜月も、表に出せない、自分ですらしっかりと理解出来ていない面倒くさい感情を抱え込んでいます。

彼女らの抱えるこの“言葉に出来ない、心の叫び”というのは、恐らく、どんな物事も整理して論理立てて考えることの出来る“大人”な人達には決して理解できるものではありません。

それ故に、そういう人達からすれば本作は、自分の感情を優先するクズばかりが出てくる、苛々するアニメに見えるかもしれません。

 

けれど、それこそが『ここさけ』のミソなのだとも思います。

この作品のテーマは前述した“言葉に出来ない、心の叫び”。

だから、登場人物の台詞はどれもこれも、“後、一言二言が足りない”ものばかり。

それは言っている本人達も自覚しており、だからこそもどかしさを感じ、周りにも自分にも苛々し、行き場のない想いを胸の内に燻ぶっている。

そしてそのどうしようもない想いが、論理的な積み重ねを無視し、声にならない叫びとなって物語を動かしていく。

これは、そういう作品だと思います。

 

この“言葉に出来ない、心の叫び”というのがしっかり“台詞”として活きているのが素晴らしい。

脚本家の岡田磨里さんはTVアニメ『true tears』、『花咲くいろは』、『凪のあすから』の脚本、シリーズ構成も担当されているのですが、それらの作品でも登場人物達は「何かわかんねぇけど」と曖昧な言葉を使うことが多々ありました。

曖昧ではあるんですが、そこには確かな想いがあって、しっくりとくる言葉がないからこそ、何かしらの行動に繋げていくことしか出来ない。

そういう計算だけでは再現出来ない物語展開がマリー脚本の魅力であり、それが存分に発揮されたのがこの『ここさけ』なのだと感じました。

 

『ここさけ』のマリー脚本感は主人公のキャラ造形等、随所に見られるのですが、語り出すと長くなるので今日のところはこの辺で。

万人向けの作品ではないと言いましたが、それでも僕はこの作品が大好きです。

多くの作品が人間の、心の強靭さを描く中、こういう弱さ、脆さをしっかりと愛を以て描いてくれる作品というのは、作中の彼女らと同じように弱い人にとってはある種の救いになると思うからです。

全ての人間が強いわけではないのですが、社会で生きる以上、強さこそが必要不可欠なものとして扱われ、弱いものは存在すら許してはくれません。

だからといって弱いものが強くなれるかと言えば、そうでなないでしょう。

もっと言えば、社会の求める強さが、自身の安らぎとは全く結びつかない負担の大きいだけのものとなることすらあります。

そんな人達に必要なのは、強さを押し付けることではなく、弱さを認めることです。

弱さを認めるということは、自分を認めてあげるということでもあり、自分を認めてやっと、人は自分を生きることが出来るようになるのです。

『ここさけ』のような作品は、そのきっかけになるんじゃないかなと。

なので、周囲を気にし、“言葉に出来ない、心の叫び”を抱えている人には是非観て欲しいと、そう思います。

第三回文フリ大阪終了! & 世界観共有企画『ロスト・アイ』

どうも淡夏です。

遅くなりましたが、9月22日の第三回文学フリマ大阪お疲れ様でした!! 

冊子を手にしてくださった方々はありがとうございました(^O^)/ 

願わくば、私達の作った本が皆さまのより良い時間と共にありますように。

 

今巻にはいつもの連載小説に加え、Repro初となる世界観共有企画の設定とメンバーによる小説を掲載しています。

その世界観共有企画、『ロスト・アイ』に関しては特設ページを設けましたので、是非下記のリンクを見てみてください!!

 

 REPROJECT 01-世界観共有- | Repro

 

公開方法等の情報に関しては、特設ページ、もしくは企画用ツイッターアカウント(@reproject01)にて随時報告していきますので、興味のある方はフォローよろしくお願いします!!

 

 

それにしても、文フリ大阪も今年で三年目になるんですね……。

元々このReproは、当時のメンバーが卒業記念で第一回文フリ大阪に参加するために作られたサークルでして、文フリ大阪と共に歩んできたと言っても過言ではありません。

メンバーの入れ替わりもあり、発足当時のメンバーは淡夏一人となりましたが、活動自体はこうして続いていると思うと感慨もひとしおです。

文フリ大阪の方も参加サークルが280を超える数となり、会場の盛り上がり方も一回目とは比べ物にならない程。

来年の第四回にも参加し、今よりもっと多くの人に私達の作品を読んでもらえるように頑張っていかなければなりませんね。

 

それでは、またどこかで。

企画ものの方も、参加したいと思った方は是非お願いします!!

9月20日、文フリ大阪参加告知!! & 「きっと青春が聞こえる」作品の紹介

どうも淡夏です。

久しぶりのブログ更新となりますが、まずは宣伝から。

 

Reproでは9/20(日)第三回文学フリマ大阪に参加します!!

ブース位置はB-46(堺市産業振興センター イベントホール)、カテゴリは小説|エンタメ・大衆小説。

今回持参予定の新刊には、何とRepro初の世界観共有企画の情報が……!? 

その名も、『ロスト・アイ』

舞台は大阪。

そこに集められた特殊な目を持つ能力者達の日常や非日常。

それらを皆で作っていきませんか?

詳細は後日、公式HP(http://repro09.net/)及び公式ツイッターアカウント(@repro09)、もしくは企画用のツイッターアカウント(@reproject01)にて公開します。

興味を持たれた方はフォローよろしくお願いします!!

 

もちろん、連載中の『汐の音-the murmuring of the sea-』や『光跡のアルケー~変わりゆく世界~』の新章の公開も。

まだ読んでないという方は、こちらから一話を読むことができますので、どうぞよしなに。

『汐の音』一話(http://repro09.net/novels/shionone-the-murmuring-of-the-sea-episode1/)

光跡のアルケー』一話(http://repro09.net/novels/tanka/kousekinoaruke-chapter1/)

 

 

さてさて、宣伝はこの辺にしとくとして、最近何となく考えていることについて少しお話をば。

“青春”と聞くと、どのようなイメージが浮かびますか?

甘酸っぱい恋愛? 

友情、努力、勝利の部活もの?

恐らく、多くの人がこのような煌びやかな印象を抱いているでしょうが、どうしてこの言葉がそこまで特殊なものになったのでしょうか。

思うに、“青春”という言葉には「“今”しかない」という切実な気持ちがあり、そこにしかない“本物”を感じることが出来るからなんじゃないかなと。

そこで今回は、そのような“青春”を感じ取れる作品を少し紹介したいと思います。

もしかすると何回も話に出しているものもあるかもしれませんが、好きなものはとことん好きになる性分なので、どうかご容赦を。

 

 

・『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』

さっそく前にブログで書いた作品ですが、“本物”といえばこれでしょう。

自称“プロぼっち”の比企谷八幡が、生徒の抱える問題を解決する奉仕部に入部させられる。その部長である孤高の美少女雪ノ下雪乃や、ひょんなことから入部することになった、上位カーストに所属しながらもその人間関係に違和感を抱いている由比ヶ浜結衣と共に部活をすることになる。

その仲で彼らの距離は少しずつ近づいていくのだが、比企谷八幡はその関係に疑問を持つようになる。今の自分が気付いた関係は、自分が今まで嫌ってきた“欺瞞”ではないのかと。

自分の中の理想の相手像を押し付けた、偽物の関係なのではないかと。

人によってはこういう考えをめんどくさいと感じる方もいるでしょう。

もしかしたら、思春期の頃にだけ患う病気のようなもので、社会に出ると何の意味もなくなるちっぽけなものかもしれません。

けど、こういう悩みがあるからこそ私達は“自分”を知り、“他人”を知ります。

“青春”時代の“今”だからこそ必死に考え、自分の世界が広がっていくのではないでしょうか。

 

 

・『ラブライブ! School idol project』

もはや知る人はいないアイドルもののプロジェクト。

当初はCDとキャラの設定だけがあった雑誌企画だったのだが、アニメ版が放送されると少しずつ人気が上がっていき劇場版の動員数が150万を超える程のヒット作に。

何故ここまでの人気になったのかと言えば、オタクが盛り上がりやすい企画だったというのが大きいでしょう(実際のμ’sのライブがあったり、スクールフェスティバルというソシャゲがあったり、ユーザー投票でグループが結成されたり……etc.)。

では、その物語はどうだったかというと、こちらも色んな人の共感を呼ぶような、ベタだけど切実なものになっているように感じられます。

国立音ノ木坂高校に通う二年生、高坂穂乃果は学校が廃校になってしまうことを知る。

それを防ぐために自分達に出来ることはないかと考えた穂乃果は、親友の南ことり園田海未を誘い、スクールアイドルになることで学校の知名度を上げ、入学希望者を増やす計画を始めた。

しかし、生徒会長である絢瀬絵里の反対や、予想以上に集まらない観客に悪戦苦闘の日々を送る。

それでもスクールアイドルを続けた穂乃果達は、小泉花陽星空凛西木野真姫の一年生三人、矢澤にこ東條希、そして反対していた絵里を加えた9人で新生μ’sを結成し、少しずつ人気を集めていく。

そして、廃校という危機をくい止めた9人の許に、スクールアイドルの祭典“ラブライブ”が開催されるという情報が届く。

新たな目標を見つけた穂乃果達は、ラブライブ出場に向けて努力を続けるのだが……。

そんな9人は、紆余曲折を経て、2期でようやくラブライブへの切符を手にするのですが、そんな時に生じた問題が一つあります。

3年生3人が卒業すると、今の9人ではなくなる。

それでも、μ’sを続けていくべきか、否か。

この9人が揃ってこそのμ’sであり、メンバーが出たり入ったりするのは、自分達の大切な“今”を蔑ろにしてしまうのではないか。

それでも、せっかくここまできたμ’sを簡単に潰してしまって良いのか。

自分達を応援してくれる人達の気持ちを、裏切ることにはならないだろうか。

そんな葛藤の末、9人は3年生3人が卒業に伴い、μ’sを解散させることに決めます。

この、辛いこともあるけれど、楽しい“今”を大切にしたいという気持ちが、アニメ版『ラブライブ!』が色んな人の心に届いた原因なんじゃないかと思います。

たぶん、自分を見失いがちな社会の中で、安心して自分でいられるμ’sの皆に感じ入るものがあったのではないかと。

荒削りな部分も多く、やはり萌えアニメとしての印象も強くありますが、それでも、切ないものがこの作品には込められているのです。

 

 

とまあ、紙幅と淡夏の体力の都合上、結局有名どころ二つの紹介となりました。

“青春”もの大好きっ子としては、もっともっと知ってもらいたい作品がたくさんあるので、追々語っていきたいですね。

さて、そんな淡夏は、上記でも触れましたが、現在青春ゴーレムファンタジー『光跡のアルケー』という小説を書いています。

今、自分の考え得る“青春”を目いっぱい詰め込んだ作品なので、興味の湧いた方は是非上のリンクからお読みください。

それでは。

熱海殺人事件を見てきた話+文フリ大阪宣伝

こんばんは、鳴向です。

この週末に「Patch stage EX 熱海殺人事件http://www.west-patch.com/event/atami/)を見てきたので、今日はその話を。

 

演目としての熱海殺人事件は、2年ほど前に京都の南座で見たことがあったので、とりあえず話の内容は知った状態での観劇でした。

初めて見た時はただただ圧倒されてしまいましたが、今回は展開を知っていたので多少は落ち着いて見ることができたと思います。

ということで、以下はどんな感じだったかと雑感のメモです。

一回見たのみの記憶で書いているので、「」の中含め記憶違い等あるかもですがご容赦ください…あと長いです。物語のラストまで言及しますので、ネタバレNGな方はお気を付けください。

 

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又吉直樹「火花」感想ー本格派小説と世間の目ー

www.amazon.co.jp

何事においても『本格派』っていうものは一番難しいものだと思います。

野球でいえば、恵まれた体躯をもっていて、ストレートを軸に鋭い変化球も投げられるマー君。

歌手でいうなら、ミスチルとかサザンだし、政治家で言えば小泉進次郎で、俳優なら藤原竜也

珈琲だったらいちいち豆から挽かなきゃならない。

小手先のテクニックや意外性でごまかすことなく、真正面から実力で勝負しなければならないため、そこには確かな実力と才能が必要です。

それは小説であっても同じで、その呪縛から逃れるために、多くの人達があえて異端になって目立とうと、奇を衒って小難しい文章を綴ってみたり、逆にハイカラで親しみやすいように横文字を使ってみたり、

エログロ、メタフィクション、楽屋落ちetc・・・

 

今回、芥川賞を受賞した又吉直樹の「火花」はその出自自体は非常に異端です。

元々、人気のある芸人が小説を出版し、それが芥川賞を受賞する。

そこに出版社のあれやこれやが絡んでいて、なんてゲスな憶測はどうしたって生まれてきて、ストレートどころかあのパーマみたいにうねうね変化しちゃっている。

本格派の端くれにも置けない目立ちようです。

 

けれども、この「火花」というお話自体はダルビッシュぐらいの本格派。

堂に入った情景描写と深く練られたエンタメ論への考察、どうしようもない切なさと笑いへの情熱が痛いほど伝わってきます。

 

売れないお笑い芸人の「僕」と先輩芸人「神谷」は花火会場のイベントで出会い、そこから二人の交流が始まります。お笑いの才能を持っていて、誰のことも気にすることなく、純粋に面白さだけを追求する「神谷」を「僕」は恐れながらも尊敬し、憧れます。

けれど、いくら面白くても人付き合いやタブー、周りの目、つまりは世間を気にしない「神谷」は売れることはありません。

作中にこういう一文があります。

僕達は世間から逃れられないから、服を着なければならない。何を着るかということが絵画の額縁を選ぶだけのことであるなら、絵描きの神谷さんの知ったことではない。だが、僕たちは自分で描いた絵を自分で展示して誰かに買って貰わなければいけないのだ。

小説も、この「火花」という作品も、一緒で全ての作品は世間の目にさらされる。レッテルを貼られる。お笑い芸人が書いた芥川賞を取った流行の作品だ、という目で見られる。

けれど、それは仕方のないことで、それが嫌なら小説という形で世に出すべきではないのです。実際に、私もどうしても主人公の像が又吉に頭の中で置き換わってしまう。この芸風はどこかピースに似ているとか考えてしまう。

けれど、そういうものを乗り越えて、私はこの「花火」という作品がそのレッテルを超えることの出来る作品だと感じました。

もちろん、お笑い芸人という一番身近で最高の題材を使ってしまったため、又吉さんは次作は苦戦するかもしれないですが、それでも今後の活躍が期待できると思います。会話のセンスとか描写の巧みさとかは素晴らしかったです。

今後、自分自身が書くときも色々なものを超えられる作品を書いていきたいですね。

 

そんなわけで(?)、私、綾町が所属しているこのReproは「第三回文学フリマ」に本格派小説(の予定)が掲載された新刊を引っ提げて参加します。

ブース位置はB-46(イベントホール)

カテゴリは小説|エンタメ・大衆小説です。

今回は企画として世界観共有企画を計画しており、それに基づいた小説やキャラ案などについて掲載する予定です!

どうぞよろしくお願いいたします!

「バケモノの子」感想ー“バケモノ”と“ニンゲン”(軽いネタバレ注意)

 お久しぶりです、綾町です。

 

 細田守作品「バケモノの子」鑑賞してきました!

 簡単なあらすじとしては以下の通り。(少しですがネタバレあるので、気になる人はブラウザバック推奨)

 

www.bakemono-no-ko.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 母親が交通事故で亡くなり、父親は以前に離婚しており行方がしれず、という境遇で一人ぼっちとなってしまった少年「蓮」は街で「熊徹」という熊のバケモノに出会い、弟子にならないかと誘われます。その後、偶然にもバケモノの世界に迷い込んでしまった蓮は一人でも生きていける強さを得るために、熊徹の弟子となることを決意し、バケモノの世界での生活を始めます。

 8年後、成長した蓮はある日、偶然にも渋谷(人間の世界)に戻ってしまいます。ふらっと立ち寄った図書館で女子高生の楓と出会い、様々なことについて教えてもらううちに勉強に対して興味を持ち始めた蓮。楓はそんな蓮に大学への進学を勧めます。

 前向きに大学への進学を考え始めた蓮は父親と再会し、戻ってきて一緒に暮らそう、と誘われます。

 そんな中、蓮は熊徹を捨てて、人間の世界に戻るのか、それともバケモノの世界に居続けるのか葛藤して・・・というのが簡単なあらすじ。

本当に簡単なあらすじなので、具体的に知りたい人はwikipediaとか見れば、驚くぐらい詳しく載ってます(笑)

 

 

 

 

 感想としては、蓮と熊徹という異種だけど同質な存在が出会い、互いに影響を与え、成長していく部分にワクワクしたり、単純に異世界のものに出会って成長していく話としても面白かったです(多々良、百秋坊という二匹のバケモノと一緒に4人で各地の達人を訪ねるところは西遊記みたいだなとか思ったり・・・)。

 こういう異世界が中国っぽいデザインだったりするのは結構鉄板なのかなーとか考えたり(イノセンスとか最近見たので、まさに)・・・

 ずっと一緒にいたのに素直になれない熊徹の想いとずっと離れていたのに蓮のことを思い続けていて「一緒に住もう」と言う本当の父親の想いの対比とか泣かされる場面もいっぱいあって、全体的には個人的には良かったと思います。

 逆に細かい所では、高卒程度認定試験だとか、戸籍とか、リアリティ溢れる設定が急に出てきて少し冷めてしまう部分があったり(どうせファンタジーなら逆にそういう話は出さない方が違和感を覚えなかったと思います)、散々熊徹にそれをしてはいけないと言っていた人が・・・とか、そういう育て方でそうなっちゃうの? みたいなものとか正直、こじつけみたいな部分があって、戸惑いがありました。

 ストーリーのためにキャラクターが動いていると感じさせられるっていうのはこの監督の悪癖なのかなー。

 

 思うところは色々ありましたが、特に気になったのは「人間はバケモノの世界へ連れてきてはいけない」という設定。

 人間には闇があり、それがいつの間にか大きくなり、災いを引き起こす。だから、人間を連れてきてはいけない。

 この設定について、作中では正直、そこまで詳しい説明はないんですが、その割には結構大きなテーマというか主題です。

 人間は心の中に闇を持っていて、それは誰にでもあてはまる。けれど、その闇にのまれないようにいつもみんな闘っている。そして、その支えになるのが大事な人・周りの人、っていうのが監督が伝えたかったことなんじゃないかなーと思います。

 

 でも、じゃあ、逆にバケモノは闇にのまれないのー?というところが気になったり・・・

 作中の設定を見ますと、バケモノと人間の大きな違いは、神様になれるかなれないか、というところです。人間は神様にはなれない。バケモノはなることが出来る。

また、バケモノ達は動物の姿形をしています。

 

 人間は頭で様々なことを考えることが出来ます。けれども、それは逆に言えば考えすぎるということで、様々な悩みを持ってしまい、時にはそれが原因で立ち止まったり、誰かを傷つけてしまうことも。

 一方、動物はその様な悩みを持たずに、まさに「一生懸命」生きてます。

 そういう意味ではある意味、生物としては人間よりも動物たちの方が上である部分もあるのではないかなと感じたり。だから、動物(バケモノ)は闇を抱え込まないし、神様にだってなれる。

 監督はこんなこと考えてないとは思いますが、そんなことを鑑賞して考えさせられました。でも、だからこそ人間は面白いし、神には出来ないことができるんじゃないか、とも思いました。

 

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