りぷろぐ

せつな系創作団体「Repro」のBlogです!

何ゆえ私たちは働くのか~マイ・インターン感想~

 どうして働かなければいけないんだろう、と疑問に思うことがあります。

 

 世の中は21世紀。

 昔に比べて、様々なものが機械化されたし、肉体労働という意味では昔に比べてとても楽になったはずです。

 なのに、世の中からは仕事がなくなりません。減りもしてません。

 永遠に湧き出る泉のように、仕事はポンポンポンポン湧き出してきています。

 これ以上便利になんてならなくていいから、その分、仕事が減ればいいのに、と思っても悲しいかな、仕事がなくなることはありません。

 だって、資本主義社会では働かなきゃお金がもらえないから。そして、僕はまた辛い辛い労働生活へと戻っていくのです・・・。

 けれど、お金があっても働きたいと思う人もいます。

 そんな人が主人公である映画「マイ・インターン」を先日観てきました。

 

 映画「マイ・インターン」はロバート・デ・ニーロ演じる70歳元会社員のベンが衣服のネット販売会社に高齢者インターンとして応募する所から始まります。

 応募理由は時間を持て余していること、社会に居場所がないこと。そして、何より誰かに必要とされていないこと。

 彼は、アン・ハサウェイ演じる女社長ジュールズ直属のインターンとして採用されます。

 しかし、彼女は初日の面談で、あなたに任せられる仕事がないと言い放ちます。明らかに信用されていない、と感じたベンでしたが、行動あるのみと一つ一つ行動を積み重ねて、周りの信頼を勝ち得ていきます。

 一方、成功者として華々しく活躍しているジュールズも実は家庭と会社のバランスで悩んでおり・・・というのが導入部分でしょうか。

 

 正直、今年観た映画で一番!っていうくらい良い映画でした。

 まず、ロバート・デ・ニーロの渋さとかっこよさ! ハンカチは女性に貸すためにあるんだ、なんてきざな台詞に違和感がないくらいカッコいい!

 そして、アン・ハサウェイの女社長が似合いすぎる! スタイリッシュかつ少し見える弱さがすごく良かったです。

 この二人を見るだけでも十分満足できる映画でした。

 

 この映画で描かれている大きなテーマの一つは「働くこと」です。そして、この映画の登場人物にとって、それは決してお金のためだけなんかではありません。

 じゃあ、なんのため? といわれると難しいですが、この映画ではいくつもそれが描かれています。

 上司に認められるため、自分の居場所をつくるため、生活のため、自分の力を発揮するため。

 そして、主人公の一人であるジュールズにとって仕事はつまり人生です。

 ベンは映画の中でジュールズにこういいます。

「会社にとってあなたは必要で、あなたにとっても会社が必要なんだ」

 もちろん、そんな人は稀有だと思うし、そうだからこそ彼女は社長になったのです。けれど、この映画からは仕事本来の楽しさと仕事に人生を捧げることの困難さが描かれています。

 そして、ベンも映画の中では描かれてはいませんが、昔はそういう人間だったからこそ、ジュールズに共感し、応援しているのだと思います。そういう仕事に人生を捧げた孤独な二人が出会うことにこの映画の肝はあるのかもしれません。

 

 もちろん、お金のためもあるけれど、仕事ってそれだけじゃない。そして、仕事だけでもすまないのが人生だ。そういうことが分かった映画でした。

 あと、ベンに憧れて今後はハンカチを持つようにしたいと思います。

                                    綾町

小説におけるメールの終わり、LINEの始まり。

お久しぶりです。ふりゅうです。

ブログ更新を淡夏氏・鳴向氏・綾町氏に任せてサボってました・・・。

 

藤沢数希さんの『ぼくは愛を証明しようと思う。』という小説を読みました。

ざっくりあらすじを言いますと、主人公のわたなべ君(仕事はできるけど女性に全然モテない)が永沢さん(仕事の知り合い。えらくモテる)から恋愛工学(進化生物学や心理学の膨大な研究結果を基に、金融工学フレームワークを使って、ナンパ理論を科学の域にまで高めたもの・・・文中より引用)を学び、女性との付き合い方を学んでいく・・・そんな内容です。

安易な非モテサクセスストーリーと思うなかれ。思った以上に深くて読み応えのある小説でした。

 

また、『心が叫びたがっているんだ。』という映画も見てきました。

こちらの内容については淡夏氏が書いてくれているので割愛ということで。

 

『心が叫びたがってるんだ。』(以下、ここさけ)と『ぼくは愛を証明しようと思う。』(以下、ぼく愛)の共通点として、コミュニケーションのツールとしてLINEが大きく機能していることが挙げられます。

 

『ここさけ』の成瀬順は幼年時のショックで言葉を話せなくなります。

そのため周りとのコミュニケーションはほとんどがスマホを使った文字のやりとり。

LINEというワードは出てきませんでしたが、はっきりとLINEのトーク画面と思われる文字のやり取りが劇中に何度も登場しました。

 

『ぼく愛』のわたなべ君は永沢さんに連れられて夜の街へナンパに繰り出すのですが、そこで女の子から電話番号やメールアドレスなんか聞きません。連絡先として交換するのはLINEのIDなのです。小説内ではチャットのようにLINEでの会話が大量に登場します。

 

世代によって差はあるでしょうけど、若い人ほど携帯(スマホ)でメールする頻度は少ないんじゃないでしょうか。僕はほとんどメールする機会が無くなりました。LINEの方が会話のペースが速いし、スタンプも充実してるし、日常的なコミュニケーションはほとんどがLINEです。

 

これって、物書きさんにとって結構真剣に考えないといけない問題だと思うんですよ。

 

ひと昔前、携帯電話の登場、メールの登場によって、コミュニケーションの手段は大きく変化し、それに伴って小説でもそのようなアイテム・ツールを機能させる必要が出てきました。

 

例えば、現代(狭義的に2010年以降とします)日本が舞台の小説で、高校生や大学生くらいの年齢の恋人の二人が家の電話で家族の目を気にしながらデートの約束をしたりして、当日に駅の大きな柱の表裏で待っていてなかなか会えなくて・・・なんて展開は、もはや有り得ないわけです。

え、スマホは?なんですぐ連絡しないの?ってなってしまう。

 

それと同じような状況がメールとLINEにおいて起こり始めているように思うのです。

だって、今の中高生は好きな子へ送ったLINEトークの既読がついたつかないで悩むことがあっても、好きな子へ送るメールの件名で悩むことなんて、もう(ほぼ)無いんですから。

 

ここ2~3年でLINEがコミュニケーションツールとして席巻するようになりました。

僕(20代半ば)の中高生のころはメールがメインでしたから、つい簡単にメールアドレスを聞き出したり、メールを送ったりする表現を入れてしまうんですけど、これからはその辺に対して意識的になる必要が出てきているのかもしれません。

 

電話にもない、メールにもない、LINE特有のコミュニケーションのスピードとインスタント感を上手く小説に取り入れることが出来れば、そこはまだブルー・オーシャンなのかもね。

映画「バクマン。」感想-漫画家にはなれても、映画監督にはなれない-

 何にでも向き・不向きというものがある。

 

 僕は小学一年生から五年生までソフトボールをやっていたけれど、とにかく向いていなかった。

 練習も真面目に出ていたし、左目にボールをぶつけてパンダのような顔になるぐらいには一生懸命やっていたのだけれど、全くもって上手くならなかった(ボールをぶつけたのはある意味へたくそだったからだけれど)。

 当然、レギュラーにはなれず、自分よりも年下の子たちが試合に出ているのをひたすら応援している毎日だったけれど、それでもやめずにずっと続けていた。

 向いていないと気付いたのは五年生の頃だ。

 監督の気遣いで、練習試合に代打で出場した。案の定、ボールが速くて全く見えない。

「こりゃ打てないなー」と思いつつも、思いっきり振ってみると、偶然にもバットに当たった。ボールはそのままライト前まで飛んでいった。

 けれど、そのことに一番驚いていた僕は走ることを完全に忘れていて、結局、アウトになってしまった。

 そこで初めて、これは向いていないと気付いてやめた。

 けれど、それは単に向いていなかっただけなのだ。中学から始めた卓球はずっとレギュラーだったし、それなりに上達もした。ソフトボールは向いていなくて、卓球は向いていただけなのだ。

 

バクマン。」はそう言った意味で、映画に向いていない。なんせ話のメインである漫画はひたすら描く作業なのだ。アクションだったり、サスペンスだったり、ホラーだったり、そう言ったものと比べて圧倒的に画が地味だ。

 それは漫画の時も一緒だったけれど、読者と一緒に成長していく主人公、特徴的で個性あるキャラクター、パロディ、そして何より漫画家の話を漫画で描く、というところがすごく大きかったと思う。それに漫画は時間的な制限がない。映画は二時間程度の時間で完結させなければならない、という制限がある。

 だから、僕は「バクマン。」は映画に向いていないと思う。「デスノート」とは違う。わざわざ映画化する意味がそこまでないと思うのだ。

 けれど、だからと言って駄作か、というとそう言うわけではない。

 監督である大根仁は、音楽や漫画を使った映像効果を使って最大限に面白く調理していると思う。

 一番、良かったのはペンを走らせる音だ。ボールペンや鉛筆とは違う、紙を削るようなずりずりとした音が耳にすごく心地よかった。

 それに一番だれる漫画を描くシーンを比喩的な戦闘シーンに置き換えていたり、飽きさせない工夫を凝らしている。意味のないシーンは出来るだけ削って、それでもストーリーが分かるようにしている。

 役者だって、それぞれイメージにぴったりだった。特に平丸役の新井浩文は何度も笑いを取っていて、会場全体が笑いに包まれた。

 そして、細部に至るこだわりは本当にすごく、エンドロールのアイデアとこだわりは今まで観た映画の中で一番だった。

 

 やっぱりサイコ―やシュウジンは映画監督には向いていない。漫画家こそが彼らの転職だと思う。

 けど、それでも映画監督を目指してもいいんじゃないかと思う。それが成功してもしなくても。

                                   綾町 長

弱さを描いた、拙い物語~『心が叫びたがってるんだ』を観て~

連投ですが、淡夏です。

この間観たアニメ映画が思った以上に良かったので、鑑賞して感じたことを今の内に書き留めておきたいと思い更新します。

さて、今回観に行ったのは先週土曜から公開が始まったアニメ、『心が叫びたがってるんだ』です。

それでは以下感想です。

 

 

おしゃべりが大好きで夢見がちな女の子成瀬順。

幼い頃、彼女が何気なく口にした言葉がきっかけで両親は離婚してしまう。

自分が喋ると人を傷つけると思った順は、それから言葉を発せなくなり、自分の殻に閉じこもってしまうようになる。

そんな彼女は、ひょんなことからクラスメイトの坂上拓実、仁藤菜月、田崎大樹と共に高校の「地域ふれあい会」の実行イベントに任命される。

最初は嫌がっていた順だが、拓実との会話の中で、歌でなら自分の伝えたいことを表に出せることに気付き、担任の提案もあって彼女の実体験を基にしたミュージカルをすることになる。

当初はやる気のないクラスメイト達も、熱心な順達の姿に感化されクラス一丸となってミュージカルの成功へ向けて準備を進めるようになる。

その中で、順の中で少しずつ、拓実への想いが募っていくのだが……。

 

 

監督:長井龍雪、脚本:岡田磨里、キャラクターデザイン:田中将賀という『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(以下『あの花』)を生みだした面々によって作られた本作。

あの花』が万人向けの泣かせる作品だったので、そっち方面を期待した人は多かったのではないでしょうか。

しかし『ここさけ』は万人向けの作品ではなかったと思います。

そう感じたのは、登場人物が全員繊細過ぎるからです。

 

主人公の順からして、過去のトラウマから言葉を発するとお腹が痛くなってしまう程の神経の細さなのですが、拓実も菜月も、表に出せない、自分ですらしっかりと理解出来ていない面倒くさい感情を抱え込んでいます。

彼女らの抱えるこの“言葉に出来ない、心の叫び”というのは、恐らく、どんな物事も整理して論理立てて考えることの出来る“大人”な人達には決して理解できるものではありません。

それ故に、そういう人達からすれば本作は、自分の感情を優先するクズばかりが出てくる、苛々するアニメに見えるかもしれません。

 

けれど、それこそが『ここさけ』のミソなのだとも思います。

この作品のテーマは前述した“言葉に出来ない、心の叫び”。

だから、登場人物の台詞はどれもこれも、“後、一言二言が足りない”ものばかり。

それは言っている本人達も自覚しており、だからこそもどかしさを感じ、周りにも自分にも苛々し、行き場のない想いを胸の内に燻ぶっている。

そしてそのどうしようもない想いが、論理的な積み重ねを無視し、声にならない叫びとなって物語を動かしていく。

これは、そういう作品だと思います。

 

この“言葉に出来ない、心の叫び”というのがしっかり“台詞”として活きているのが素晴らしい。

脚本家の岡田磨里さんはTVアニメ『true tears』、『花咲くいろは』、『凪のあすから』の脚本、シリーズ構成も担当されているのですが、それらの作品でも登場人物達は「何かわかんねぇけど」と曖昧な言葉を使うことが多々ありました。

曖昧ではあるんですが、そこには確かな想いがあって、しっくりとくる言葉がないからこそ、何かしらの行動に繋げていくことしか出来ない。

そういう計算だけでは再現出来ない物語展開がマリー脚本の魅力であり、それが存分に発揮されたのがこの『ここさけ』なのだと感じました。

 

『ここさけ』のマリー脚本感は主人公のキャラ造形等、随所に見られるのですが、語り出すと長くなるので今日のところはこの辺で。

万人向けの作品ではないと言いましたが、それでも僕はこの作品が大好きです。

多くの作品が人間の、心の強靭さを描く中、こういう弱さ、脆さをしっかりと愛を以て描いてくれる作品というのは、作中の彼女らと同じように弱い人にとってはある種の救いになると思うからです。

全ての人間が強いわけではないのですが、社会で生きる以上、強さこそが必要不可欠なものとして扱われ、弱いものは存在すら許してはくれません。

だからといって弱いものが強くなれるかと言えば、そうでなないでしょう。

もっと言えば、社会の求める強さが、自身の安らぎとは全く結びつかない負担の大きいだけのものとなることすらあります。

そんな人達に必要なのは、強さを押し付けることではなく、弱さを認めることです。

弱さを認めるということは、自分を認めてあげるということでもあり、自分を認めてやっと、人は自分を生きることが出来るようになるのです。

『ここさけ』のような作品は、そのきっかけになるんじゃないかなと。

なので、周囲を気にし、“言葉に出来ない、心の叫び”を抱えている人には是非観て欲しいと、そう思います。

第三回文フリ大阪終了! & 世界観共有企画『ロスト・アイ』

どうも淡夏です。

遅くなりましたが、9月22日の第三回文学フリマ大阪お疲れ様でした!! 

冊子を手にしてくださった方々はありがとうございました(^O^)/ 

願わくば、私達の作った本が皆さまのより良い時間と共にありますように。

 

今巻にはいつもの連載小説に加え、Repro初となる世界観共有企画の設定とメンバーによる小説を掲載しています。

その世界観共有企画、『ロスト・アイ』に関しては特設ページを設けましたので、是非下記のリンクを見てみてください!!

 

 REPROJECT 01-世界観共有- | Repro

 

公開方法等の情報に関しては、特設ページ、もしくは企画用ツイッターアカウント(@reproject01)にて随時報告していきますので、興味のある方はフォローよろしくお願いします!!

 

 

それにしても、文フリ大阪も今年で三年目になるんですね……。

元々このReproは、当時のメンバーが卒業記念で第一回文フリ大阪に参加するために作られたサークルでして、文フリ大阪と共に歩んできたと言っても過言ではありません。

メンバーの入れ替わりもあり、発足当時のメンバーは淡夏一人となりましたが、活動自体はこうして続いていると思うと感慨もひとしおです。

文フリ大阪の方も参加サークルが280を超える数となり、会場の盛り上がり方も一回目とは比べ物にならない程。

来年の第四回にも参加し、今よりもっと多くの人に私達の作品を読んでもらえるように頑張っていかなければなりませんね。

 

それでは、またどこかで。

企画ものの方も、参加したいと思った方は是非お願いします!!

9月20日、文フリ大阪参加告知!! & 「きっと青春が聞こえる」作品の紹介

どうも淡夏です。

久しぶりのブログ更新となりますが、まずは宣伝から。

 

Reproでは9/20(日)第三回文学フリマ大阪に参加します!!

ブース位置はB-46(堺市産業振興センター イベントホール)、カテゴリは小説|エンタメ・大衆小説。

今回持参予定の新刊には、何とRepro初の世界観共有企画の情報が……!? 

その名も、『ロスト・アイ』

舞台は大阪。

そこに集められた特殊な目を持つ能力者達の日常や非日常。

それらを皆で作っていきませんか?

詳細は後日、公式HP(http://repro09.net/)及び公式ツイッターアカウント(@repro09)、もしくは企画用のツイッターアカウント(@reproject01)にて公開します。

興味を持たれた方はフォローよろしくお願いします!!

 

もちろん、連載中の『汐の音-the murmuring of the sea-』や『光跡のアルケー~変わりゆく世界~』の新章の公開も。

まだ読んでないという方は、こちらから一話を読むことができますので、どうぞよしなに。

『汐の音』一話(http://repro09.net/novels/shionone-the-murmuring-of-the-sea-episode1/)

光跡のアルケー』一話(http://repro09.net/novels/tanka/kousekinoaruke-chapter1/)

 

 

さてさて、宣伝はこの辺にしとくとして、最近何となく考えていることについて少しお話をば。

“青春”と聞くと、どのようなイメージが浮かびますか?

甘酸っぱい恋愛? 

友情、努力、勝利の部活もの?

恐らく、多くの人がこのような煌びやかな印象を抱いているでしょうが、どうしてこの言葉がそこまで特殊なものになったのでしょうか。

思うに、“青春”という言葉には「“今”しかない」という切実な気持ちがあり、そこにしかない“本物”を感じることが出来るからなんじゃないかなと。

そこで今回は、そのような“青春”を感じ取れる作品を少し紹介したいと思います。

もしかすると何回も話に出しているものもあるかもしれませんが、好きなものはとことん好きになる性分なので、どうかご容赦を。

 

 

・『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』

さっそく前にブログで書いた作品ですが、“本物”といえばこれでしょう。

自称“プロぼっち”の比企谷八幡が、生徒の抱える問題を解決する奉仕部に入部させられる。その部長である孤高の美少女雪ノ下雪乃や、ひょんなことから入部することになった、上位カーストに所属しながらもその人間関係に違和感を抱いている由比ヶ浜結衣と共に部活をすることになる。

その仲で彼らの距離は少しずつ近づいていくのだが、比企谷八幡はその関係に疑問を持つようになる。今の自分が気付いた関係は、自分が今まで嫌ってきた“欺瞞”ではないのかと。

自分の中の理想の相手像を押し付けた、偽物の関係なのではないかと。

人によってはこういう考えをめんどくさいと感じる方もいるでしょう。

もしかしたら、思春期の頃にだけ患う病気のようなもので、社会に出ると何の意味もなくなるちっぽけなものかもしれません。

けど、こういう悩みがあるからこそ私達は“自分”を知り、“他人”を知ります。

“青春”時代の“今”だからこそ必死に考え、自分の世界が広がっていくのではないでしょうか。

 

 

・『ラブライブ! School idol project』

もはや知る人はいないアイドルもののプロジェクト。

当初はCDとキャラの設定だけがあった雑誌企画だったのだが、アニメ版が放送されると少しずつ人気が上がっていき劇場版の動員数が150万を超える程のヒット作に。

何故ここまでの人気になったのかと言えば、オタクが盛り上がりやすい企画だったというのが大きいでしょう(実際のμ’sのライブがあったり、スクールフェスティバルというソシャゲがあったり、ユーザー投票でグループが結成されたり……etc.)。

では、その物語はどうだったかというと、こちらも色んな人の共感を呼ぶような、ベタだけど切実なものになっているように感じられます。

国立音ノ木坂高校に通う二年生、高坂穂乃果は学校が廃校になってしまうことを知る。

それを防ぐために自分達に出来ることはないかと考えた穂乃果は、親友の南ことり園田海未を誘い、スクールアイドルになることで学校の知名度を上げ、入学希望者を増やす計画を始めた。

しかし、生徒会長である絢瀬絵里の反対や、予想以上に集まらない観客に悪戦苦闘の日々を送る。

それでもスクールアイドルを続けた穂乃果達は、小泉花陽星空凛西木野真姫の一年生三人、矢澤にこ東條希、そして反対していた絵里を加えた9人で新生μ’sを結成し、少しずつ人気を集めていく。

そして、廃校という危機をくい止めた9人の許に、スクールアイドルの祭典“ラブライブ”が開催されるという情報が届く。

新たな目標を見つけた穂乃果達は、ラブライブ出場に向けて努力を続けるのだが……。

そんな9人は、紆余曲折を経て、2期でようやくラブライブへの切符を手にするのですが、そんな時に生じた問題が一つあります。

3年生3人が卒業すると、今の9人ではなくなる。

それでも、μ’sを続けていくべきか、否か。

この9人が揃ってこそのμ’sであり、メンバーが出たり入ったりするのは、自分達の大切な“今”を蔑ろにしてしまうのではないか。

それでも、せっかくここまできたμ’sを簡単に潰してしまって良いのか。

自分達を応援してくれる人達の気持ちを、裏切ることにはならないだろうか。

そんな葛藤の末、9人は3年生3人が卒業に伴い、μ’sを解散させることに決めます。

この、辛いこともあるけれど、楽しい“今”を大切にしたいという気持ちが、アニメ版『ラブライブ!』が色んな人の心に届いた原因なんじゃないかと思います。

たぶん、自分を見失いがちな社会の中で、安心して自分でいられるμ’sの皆に感じ入るものがあったのではないかと。

荒削りな部分も多く、やはり萌えアニメとしての印象も強くありますが、それでも、切ないものがこの作品には込められているのです。

 

 

とまあ、紙幅と淡夏の体力の都合上、結局有名どころ二つの紹介となりました。

“青春”もの大好きっ子としては、もっともっと知ってもらいたい作品がたくさんあるので、追々語っていきたいですね。

さて、そんな淡夏は、上記でも触れましたが、現在青春ゴーレムファンタジー『光跡のアルケー』という小説を書いています。

今、自分の考え得る“青春”を目いっぱい詰め込んだ作品なので、興味の湧いた方は是非上のリンクからお読みください。

それでは。

熱海殺人事件を見てきた話+文フリ大阪宣伝

こんばんは、鳴向です。

この週末に「Patch stage EX 熱海殺人事件http://www.west-patch.com/event/atami/)を見てきたので、今日はその話を。

 

演目としての熱海殺人事件は、2年ほど前に京都の南座で見たことがあったので、とりあえず話の内容は知った状態での観劇でした。

初めて見た時はただただ圧倒されてしまいましたが、今回は展開を知っていたので多少は落ち着いて見ることができたと思います。

ということで、以下はどんな感じだったかと雑感のメモです。

一回見たのみの記憶で書いているので、「」の中含め記憶違い等あるかもですがご容赦ください…あと長いです。物語のラストまで言及しますので、ネタバレNGな方はお気を付けください。

 

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