ネタバレ解禁ということで "Fate/EXTELLA" 感想!
EXTELLA発売から二週間と聞いて正直なところ「嘘だろ……」という気持ちが真っ先に出てきた淡夏です。
やばいです。
自分のリアルに危機感しか覚えません。
けどEXTELLA良かったです。
そんなわけで!(どんなわけだろう?)
今日は二週間前に発売した無双っぽいアクションゲーム、『Fate/EXTELLA』のネタバレ解禁日だぜ!!
ツイッターでも呟けなかったネタバレ全開の感想を、ガシガシ書いていくぜ!!!
『Fate/EXTELLA』とは
言わずと知れた、TYPE-MOON原作の伝奇活劇ヴィジュアルノベル『Fate/stay night』の派生作品『Fate/EXTRA』シリーズの最新作。
しかも、『Fate』関連初のアクションゲーム!
書き出すと長いので、詳しい内容はぐーぐる先生に教えてもらって欲しいのですが。
『Fate』シリーズが増える度に思うところはある型月信者は多いと思いますが(特に『月姫R』や『魔法使いの夜』二部と三部、そして『DDD』等々)、何といっても今回は、ファンなら一度は考えたサーヴァントを自由に動かすことが出来るのが一番大きいのではないでしょうか!
格ゲーの『Fate/unlimited codes』もあったけど、やっぱり自由に戦場を掛け抜けたいという想いは強かった。
電子の海と特殊な部隊ではあるものの、敵を薙ぎ払いながら素早く動くサーヴァントを操作出来るというのはやはりくるものがありましたね。
ただ、EXTRAシリーズとは言っても厳密には続編ではないので注意が必要。
EXTRAのシナリオの骨格はそのままに、ネロ、玉藻、無銘と分かれていたルートを再構築して一つにした、新たなシナリオを基として書き起こされた内容になっております。
アクションゲームとして
正直なところ、キャラゲーということで「まあ動かすのは楽しそうだよね」と、そこまで期待はしていなかった。
けれど、意外や意外、スピード重視に多彩なサーヴァントの動きと、ゲームとしても十分楽しめる内容でしたね。
自分は無双ゲーをしたことがないので、他のものと比較は出来ないのですが、陣取りの要素も強く程々に緊張感を持って出来たのかなと。
ただ、メイン4+サブ13というキャラ数の割にステージ数が少なく、ミッションも同じようになってくるので後半の作業感が辛かったり。
セイバー陣営なんて、何回エリちゃんのライブ聞かせるんだよとだれてきた部分もありましたね……。
後、メインとサブでキャラの操作性が違い過ぎるのもマイナス。
サブのキャラはそこまで攻撃パターンが多くないんですよね。
人気キャラが多いだけに、何とも惜しいなと。
けどまあ、アクション目当てでやるゲームではないと思うので、そこを考慮すれば支障はないと思います。
キャラクターについて
これも詳しくは公式サイト等でチェックしてもらえれば良いかと。
キャラの魅力に関してはほんと折り紙付。
EXTRAから続投のネロや玉藻の前は当然として、サブに降格してしまった無銘にその他大勢のキャラも活き活きと描かれており、品質は安定していましたね。
そして何と言っても真ヒロイン、アルテラ!
製作の都合上、ソシャゲの『Fate/Grand Order』が初出となり、よく分からないけどとりあえず“文明を破壊する”人というネタキャラ扱いすら受けてしまっていたこのアルテラ。
当初がメインヒロインと聞いてもピンときませんでしたが、プレイし終えた今となってはネロや玉藻以上に型月ヒロインをしていてもうどうしたもんかと。
しかも、巨神アルテラに英霊アルテラ、極めつけはロリアルテラと様々な属性を網羅してしまったこの向かうところ敵なし感(個人的に、ロリアルテラは見てると複雑な気持ちになるんですけどね。この子と、今まで一緒に過ごしてきたアルテラは同じだけどやっぱり違うものだと思ってしまうので)。
EXTELLAという作品はアルテラのためにあるようなもの!
まあ話し出せばアルテラの話しかしなくなると思いますが、EXTRAシリーズの顔であるネロの活躍もまた素晴らしかった。
彼女がいなければアルテラは救われなかったと思うし、その器の大きさも垣間見ることが出来て良かったですね。
後はひたすら、メインが可愛く描かれていたので“これなんてギャルゲ?”状態で、ネロや玉藻が嫁な人は堪らないんじゃないでしょうか(※Fateは元々、大きく分類するならギャルゲです)。
ただまあ、キャラによる扱いの差があるのが玉に瑕。
サブに回ったサーヴァントはそれぞれのシナリオも短く、本当におまけ程度(前作で専用ルートがあった無銘やギルまでも)。
そればかりか、前述したEXTRAの再構築に伴い、ネロがメインサーヴァント、玉藻がサブサーヴァントいう立ち位置になってしまったので玉藻ファンはショックが大きかったようで。
メインシナリオでも、最終的にネロは大活躍するけれど玉藻はお留守番という立場。
このあたりのアゲサゲともとれる扱いは思うところある人多いでしょうねぇ。
扱いの差とは言っても、ネロ編は悲劇的に終わったのに対し、玉藻編は「何だこのイチャイチャ夫婦」っていうぐらい幸せに終わったので、蔑ろにされたわけでもないと思うんですよねぇ。
加えて、ネロや玉藻に関してはEXTRA、CCCと掘り下げはしっかりされてて、これ以上何すんだってとこまで来てたので新しいシナリオを用意する必要性は感じられなかった。
だから、アルテラをメインに据えた以上、これはまあ順当な扱いだったのではないかと思いますけどね。
シナリオについて
最初に難点から。
PV等を見る限り、三陣営の内からどれか選ぶという印象を受けた人も多いと思うんですが、ネロ→玉藻→アルテラ→trueとルートは固定されています。
シナリオ、設定上は仕方ないことなんですが、「俺は玉藻一筋だぜ!」という人はがっかりしたでしょうね。
しかも、ネロ、玉藻ルートはEXTELLAという枠組みを説明するようなシナリオで、アルテラが関わらないところではひたすらキャラが可愛いだけ。
がっつりシリアス求めていた人は「何だこれ……」と思ってしまうかもしれませんね(EXTRA自体マイルームの会話がギャルゲちっくだったので違和感は覚えなかったのですが、確かに前作はパートナーの心に踏み込んでいくという面もあったものなぁ)。
加えて、ネロ、玉藻は大きな展開がほとんど同じ。
お互いの陣営と戦う→決着が着く→アルテラ陣営出現→アルテラとの対決→セファールとの戦闘、と。
ミッションがあるとはいえやることが同じゲーム性とも相まって、ダレに繋がる要因だったように思いますね……。
この辺りがやっててストレス溜まってくるんですよね。
クソって程でもないのが、余計に惜しいなと。
とまあ、これくらい言っておけば、後はベタ褒めしても大丈夫でしょう。
以下、信者の一人ごとが始まります笑。
EXTELLAは何と言っても、アルテラのお話。
彼女は一万四千年前にやってきた文明を破壊する遊星の尖兵。
破壊するためだけに産み出され、人類と敵対することを余儀なくされた怪物。
そんな彼女だが、何の因果か地上に落し、敗北した分体が人間としての人生を送ってしまう。
その一生は、厳密には月に落とされた本体たる彼女には関係のないもの。
ただ、夢で見ただけの幻想。
それでも、彼女は地上を生きた別の“彼女”に己を重ね、憧れを抱いてしまう。
そして、一万と四千年に渡る孤独も。
だから主人公との出会いは、彼女にとっては得難い宝物のようなもの。
とある理由により、精神、魂、肉体に分かれたうちの肉体としての主人公。
空っぽの彼(彼女)は、真っ直ぐにアルテラと対話し、理解していく。
アルテラもまた、彼(彼女)に対する想いを強くしていく。
確かに、アルテラは人類、文明を持つ知性体にとっての敵だ。
けれど、それはあくまで遊星の尖兵としての役割に過ぎない。
なら、彼女の心は、気持ちはどうなのだろう。
本当に、文明の破壊を望んでいるのだろうか。
そのような想いを抱いた主人公は、アルテラを救う方法を模索していく。
この物語には奈須作品の美しさが多分に描かれています。
奈須作品の魅力は何といっても、何でもないことの尊さを描いていること。
確かに、奈須作品を語る上でそのハイセンスな厨二力、設定力、キャラの魅力というのは外せません。
ただ、それを踏まえた上で描かれる、超越者から見たちっぽけな人間のちっぽけな幸せ……何でもないことの尊さというのは非常にくるものがある。
こればかりは、説明して納得してもらうものではないと思うので、是非『空の境界』なり『月姫』なり『Fate』なりを通して実感してもらいたい!
……とまあ、たぶんこれは長くなるのでEXTELLAに話を戻しますが。
文明を破壊するということこそが存在理由なのに、アルテラはそれと相反するささやかな願い――かつて地上を生きた分体が歩いた空の下を歩いたり、主人公との何気ない触れ合いの時間を続けたいなどという想い――を抱くようになってしまう。
その切なさを、もうどう表現したものか。
このような想いに、何も思わずにいられようか!
しかも、最後までやったからといって、厳密に彼女の想いが叶えられることはない。
詳細は省くけれど、肉体の主人公はアルテラを救うために消えてしまい、アルテラ自身も、丸っきり同じカタチで残ることは出来なかった。
ただ、それでも。
アルテラの見た夢は、きちんと残った。
遊星の尖兵ではなく、セラフに新たな命として産まれ落ちたアルテラはこれからきっと、肉体の主人公と過ごしたアルテラでは叶えられなかったことをたくさん、叶えていくのだと思う。
そう、信じたい。
総評
ゲームとしては色々と改善点はあると思うし、キャラやシナリオにしても過去作からやり続けているからこそ思うところはあると思います。
けど、それを踏まえても十分に楽しめたし、何よりアルテラとの出会えたことが素晴らしかったですね。
「それってきのこが昔から描いてきたことと同じじゃない?」
「今更、同じ話読んでもつまんなくない?」
という意見も当然出てくるとは思うけれど、違う、そうじゃないんだ。
この感覚だけは、自分の拙い文章で伝えきれるものじゃないと思うので、気にはなるけどやってない人は是非プレイしてみてください。
きっと、アルテラを好きになるはず。
追記
ところで、FGOのアルテラピックアップはまたやらないんですか?
あのアルテラを通じた救いを求める妄想が止まらないんですが。
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見ると○○したくなる。『逃げるは恥だが役に立つ』の話。
お久しぶりです、ふりゅうです。
ブログの更新をサボっておりました。
サボっている間に何をしていたかというと、
今話題のドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』を見ていました。
内容を知らない人のためにあらすじをまとめると、
大学院を卒業して派遣社員になるも派遣切りにあった森山みくり(新垣結衣)が、
父親の紹介で父親の部下である津崎平匡(星野源)の家事代行サービスを行うことに。
気難しい性格の津崎だったが、みくりとは良好な関係を築いていく。
そしてある時みくりは津崎に「職業としての結婚」を持ち掛け、津崎はこれを了承。
2人は契約結婚の道を選ぶことに──
こんな感じです。(ウィキから少し端折ってまとめ)
このドラマが今有名な原因は間違いなく「恋ダンス」だと思うのですが
(圧倒的に新垣結衣が可愛い。星野源も可愛い)、ドラマ本編も面白いのです。
【公式】再生回数3800万超!!「恋ダンス」フルver.+第8話予告 11/29(火)『逃げるは恥だが役に立つ』【TBS】
「職業としての結婚」をした2人の関係には金銭のやりとりが発生します。
みくりの行う家事に対し、津崎は雇用主として給料を支払う。
必要な場合は時間外手当もつくし、新婚旅行はすなわち社員旅行。
結婚といいながら籍を入れているわけではない、いわゆる事実婚かつ契約結婚です。
その関係は面白さの一つの要素だとは思うのですが、
それだけではないように思います。
主人公であるみくりは、学生時代に就活が全くうまく行かず、
やっと見つけた派遣社員の仕事も派遣切りにあってしまいます。
「自分を必要としてくれる人がいない」寂しさを抱えていた中、
バイトのつもりだった家事代行サービスで、みくりの心遣いに気づき、
褒めてくれたのが津崎なのでした。
一方で津崎も、30代半ばでありながら今まで彼女ができたことがなく、
女性との接し方がよくわからない。
そんな中で自分とはまるで性格の違うみくりと出会い
「職業としての結婚」という突拍子もない提案を受け入れてからは
みくりに対して少しずつ心を開いていきます。
2人とも、今の社会では必ずしも珍しい存在ではないと思うのです。
このドラマはそんな2人がこれからの社会を生きていくための、
1つの生存戦略を示してくれているような気がします。
結婚って、1つの大きな契約のように思います。
愛(のようなもの)だけだと、最初のスタートは切れても長期的に関係を保つのは難しい。
「職業としての結婚」には、抽象的な「愛」が持たない現実的な力強さを感じます。
仕事としてお金をもらう。だからベストを尽くして家事を行う。
そこには相手への敬意と感謝があるし、より高いパフォーマンスへのモチベーションもある。
そんな結婚があってもいいんじゃないでしょうか。
『逃げるは恥だが役に立つ』の面白さは、
単なる新婚夫婦のイチャイチャということでなく、
合理的だけど不器用なみくりと津崎が色々と悩み、考えながら
自分の居場所と2人の関係性を作り出していく部分にあると思います。
みんなも毎週火曜22時はドラマ見よう。
原作の漫画(8巻まで発売中)も良かったよ。
恋ダンス覚えようね。
一人暮らしの話
どうも、お久しぶりです、鳴向です。
ブログの更新も随分さぼってしまっていたせいで、久しぶりに何か書こうとしても何もまとまらない……みたいな、空白の時間を過ごす羽目に……
私事ですが、夏の終わりから訳あって一人暮らしを始めました。
かつて高校生~就活の頃には狂おしいほど思い焦がれた一人暮らし……
当時はことごとく条件が整わず、いい加減諦めてもう自分は大阪に骨を埋める運命なんや……と思い始めた頃にまさかの実現という。。
ちゃんと生きていけるのか戦々恐々としてましたが、ところがどっこい生きてます。
自炊とかできる気がしなかったので近所にスーパーが3軒くらいあるところを選んだのですが、来て1ヶ月もしない内に、一番近くにあって一番頼りにしていたスーパーが閉店しました……
今度新しいスーパーが居抜きでオープンするようです。楽しみ。。
最寄りのスーパーがお亡くなりになった後、二番目に近いスーパーに通っていたのですが……
そこは生鮮食品がウリのお店で、「サラダ?食べたきゃ野菜がそこにあるだろ」みたいなスタンスのお店で、野菜を選んで買って洗ってという手間を面倒がって野菜を食べなくなったところ、熱出して倒れました。
野菜、だいじだいじ。
とりあえず、一人暮らしを始めてからあった話をひとつ。
越してきて次の日あたりのことだったと思うのですが、夜、エレベーターに乗ろうとしたら、扉のところに手の平より大きなくらいの巨大な蜘蛛が……
ヒェーッと思ってその日は階段で部屋に戻り、虫除けスプレーの類を買い集めることに。。
翌日、恐る恐るエレベーターを覗くと、蜘蛛の姿はなくなってました。
というか、それ以降、小さい蜘蛛や虫の姿すら滅多に見かけず、虫退治道具はすっかり埃をかぶっている現状で……
ふと思ったのですが、ご先祖の霊とかが蜘蛛に姿を変えて出るとかってあるらしいですね。
ちょうどここ数年、親族の不幸が続いていましたし……もしかして一人暮らしを心配した身内の誰かが様子を見に来てくれてたのでしょうか。
と言っておくと、怖さが紛れる気がします。
次回にはもう少し余裕を取り戻して、創作関係の話とかもできたらいいなと思うのですが、今回はここまでということで。
もどかしく、じれったい、けれど愛らしいSMな関係~『ナナとカオル』を読んで~
世の中うまくいかないことが多いですね。
具体的には原稿が思ったように書けなかったり、原稿が思ったように書けなかったり……。
どうも、ぐだぐだと日々を過ごしながら、FGOとEXTELLAに逃避しがちな淡夏です。
いやぁFate/EXTELLA思ったよりも面白いですね!
無双系のゲームは今までやったことがなかったのですが、思ってた以上にスピード感があって楽しめてます。
言うて本家本元が開発してたらもっとゲーム性も上がったのかなという気もしますが。
それにしても冒頭でも書いたように、世の中ほんとうまくいかない。
そりゃ色んな人が居る以上、何でも自分の思い通りになるとは限らないんですけどね。
さてさて今回は、そんな思い通りにならないことに諦め、それでも諦めきれずにSMという行為によって繋がってしまう恋愛漫画のご紹介を。
SMと聞くと、どのようなイメージを思い浮かべるだろう?
Sという相手の苦しむ姿に興奮を覚える人種が、Mという痛みや苦しみを快感に変える変態を苛める特殊なプレイ。
そういうイメージを持つ人の方が多いだろう。
かく言う自分も基本的にはそういう認識をしていた。
けど、こらから書く『ナナとカオル』という漫画を読んでSM、引いては恋愛やコミュニケーションについての考え方が変わってしまった……気がする。
『ナナとカオル』とは
作者は成年漫画を描いていたという甘詰留太で、今作が初の一般向け漫画らしい。
どんな話をざっくり紹介すると以下のようになる。
主人公は、低身長、勉強出来ない、SM妄想が趣味の高校生、杉村薫。
クラスでは“キモムラ”というあだ名をつけられる、所謂“陰キャラ”男子だ。
そんな彼には、同じアパートの隣に住む千草奈々という幼馴染がいる。
学年随一の優等生で陸上部のエース。加えて生徒会の副会長という完全無欠の美少女だ。
薫からすれば遠い場所にいる奈々だが、彼女にとって薫は昔から仲の良い友達。
いや、心の奥ではそれ以上の気持ちを抱いているのだが、当の本人は気付いてはいない。
もちろん、薫の方も奈々に対して並々ならない気持ちを抱いているのだが、自分ではもう届かない相手なのだとそれを押し殺している。
そんな気持ちがすれ違っている二人だが、ひょんなことから薫のコレクションであるボンテージを奈々が着てしまい、鍵がかかって抜けなくなるというアクシデントが発生する。
薫に頼みこんで何とか外してもらうのだが、奈々はボンテージを着ている時の束縛感や羞恥心に気持ちよさを見出してしまい、いつも優等生をしていることの気疲れを解消するための手段として同じようなことをして欲しいお願いしてしまう。
こうして、二人の“息抜き”が始まるのだが……。
はい、ここまで読んだ人の多くが「これなんてエロ漫画?」とお思いになることだろう。
確かに実際縛られている奈々はエロいし、放尿、スパンキングなど結構アレなプレイもしているのだけど、本番どころか局部を出すような行為は出てこないし、奈々が恥ずかしい格好をするような場合でも基本的に大事な部分は隠している(布越しの乳首は描かれているけど、ヤングアニマルだし多少はね。ブラックレーベルという本編のその後を描いた作品では、ある人物は普通に裸体、しかもピアッシングした胸が描かれているが、奈々はそういう風には描かれていない)。
あくまで、そんなソフトSMでの“息抜き”と、それに伴う二人のやり取りがラブコメ調で描かれている作品なのだ。
それだけでもアイデアとしては面白いのだが、実はこの作品、単行本で18巻まで続いた。
普段漫画を読まない方なのでこれが長いのか短いのかは判断に困るが、ただのエロラブコメがここまで続くことはないと思う。
巻数が出るのは読者の支持があるからこそだと思うのだが、ではこんなニッチなジャンルにどんな魅力があったのだろうか。
信頼関係の上に成り立つSM
冒頭で述べたように、SMは痛みや苦痛を快感として与え、与えられるものだと認識している人が多いと思う。
けれど今作では、S役の薫の徹底したケアによって、奈々が後々まで引きずるような痛みや苦しみを負うことはない。
まず緊縛をするにしても、奈々の肌に痕が残らないように、縄を煮込んだり、ささくれだった所を焼いたり、オイルを染み込ませて肌触りをよくしたりときっちりと準備をしてから行っている。
羞恥プレイにしても、一週間程、候補地の人通りを観察し人気の少ない時間帯を見つけ、誰も立ち入れないように細工をしてからやっている。
他にも道具の手入れは怠らず、衛生面にも気を使っている。
プレイの最中にも本当に奈々が嫌がることは極力せず、どうすれば奈々が気持ち良くなれるか、プレイに没頭出来るか。
奈々の身体に危害が及ぶことはないか、“息抜き”がばれて彼女の社会的地位が危うくなることはないか、などと心の底から彼女を労わって苛めている。
そこまでしておいて、薫は奈々に手間暇を掛けている素振りは全く見せない。
そう、S役に求められるのは相手をいたぶる嗜虐心だけでなく、相手が身体の芯から悦ぶポイントを探し出し、且つアフターフォローもきっちりこなす紳士力なのだ。
紳士力なのだ!(大事なことなので)
この紳士力があるからこそM役も安心(?)して没頭でき、そういう信頼関係があるからこそ“プレイとして”成立する。
とまあこれだけでも当初のイメージは薄れたと思うが、まだ足りない。
『ナナカオ』で描かれるSMは、ソフトではあるが単なる“ごっこ遊び”ではない。
奈々と薫のSMは、肉体を通じて行われる心の触れ合いだからだ。
SMというコミュニケーション
作中の台詞にこんなものがある。
好かれたい、嫌われたくない。
でも……関わりたい、自分のものにしたい。
そしてそれを言葉で伝えられない……。
そういう相反する気持ちの押し引き、それがSMですもの。
これは薫行きつけのSMグッズショップの美人店長、橘満子の言葉。
彼女は度々薫や奈々の相談に乗り、アドバイスをくれる。
薫がこの言葉を投げ掛けられたのは、奈々との関係に悩んでいた時だ。
薫は自分に自信がなく、何でも出来る奈々は遠い存在になってしまったと思っていた。
今は“息抜き”を通じて一緒の時間を作ることが出来るが、本来、奈々と並ぶような立場に自分はいない。
だから、自分が奈々のことを好きだとバレてしまったら、今の関係を続けることが出来るだろうか。
きっと自分のこと好きになることはないが、優しい奈々は気を使う。
そんなことを、薫は望んではいない。
そのようなことを橘さんに相談していると、彼女は薫にこんな提案をしてくる。
一度自分を客観視するために、相手から人間性を奪うようなプレイをしてみてはどうか。
そうして相手を肉の塊にまで貶め、自分の欲望に正直になってみてはどうか、と。
そして行動に移すのだが、ここでも薫は最後の最後まで葛藤している。
奈々にこんな酷いことをして良いのか、自分の欲望を押し付けて嫌われやしないだろうか。
しかし同時に、アダルトビデオのように女に酷いことをしてみたいという欲求も存在している。
思いきった薫は、今までよりも強い拘束で奈々の自由を全て奪い去り、その身体に欲望をぶつけようとする(ここの欲望をぶつけるというのが本番を強行するなどではなく、おっぱいを、それも恐る恐る踏むというのが薫らしいのだが)。
興奮は最高潮になり、彼は自分の欲望を解き放ち、そして認める。
自分が本当に欲しいのは、自分の好き勝手出来る肉としてのナナじゃなく、何事にでも努力する、優しい、前向きで、怒りっぽい、全部の千草奈々なんだ、と。
一方、奈々も薫の欲望を肌で感じ、理解する。
薫は今まで自分の欲望と戦い、自分自身から奈々を守ってくれていたのだ、と。
ちょっと奈々の方は男に都合よく考え過ぎな気もするが、とにかくこのシーンは号泣ものだ。
これを境に、薫は奈々に追いつこうと努力を始める。
手遅れかもしれないが勉強して、奈々と同じ大学に入り、ずっと奈々の隣にいても不釣り合いではない自分になるために。
こんな風に、SMを通じて二人は自分のこと、相手のことを考え、そして成長していく。
そんな二人の関係こそが、『ナナとカオル』最大の魅力なのだと思う。
上記以外にも心にくる“息抜き”はまだまだある。
家庭の事情、優等生故に周りから様々なものを押し付けられてイイ子の仮面が外せなくなってしまった奈々の顔をマスクで覆い、心の底に溜まったものを吐き出させるようなものや。
二人で作った首輪を使っての羞恥プレイ。
そして何と言っても、無印で描かれる最後の紙を使っての拘束、等々。
特に最後の紙拘束に関しては、最終巻の感想と共に別口で語りたい程凄い“息抜き”だと思う。
二人の、今までの積み重ねがあったからこそ出来ることだし、そこで交わされる、言葉にならない気持ちのやり取りが本当に胸にくるのだが……。
まああまりグダグダ書くのもあれなので、今回はこの辺までとしておく。
まとめ
とまあ拙いながらも『ナナとカオル』の魅力を綴ってみたのだが、いかがだっただろうか。
深い関係の話だけでなく、息抜き中に薫と奈々が巻き込まれるトラブルも本当に笑えてドキドキ出来るものなので、純粋にラブコメとしてもかなり面白い作品だと思う。
興味を持った人は、エロ漫画っぽいという偏見をかなぐり捨ててコミックを手にとって欲しい。
特に、ちょっとめんどくさい恋愛ものが好きな人は是非。
『ヨイコノミライ』(きづきあきら)がすごく刺さった話
『ヨイコノミライ』というオタサー漫画がマンガワンに上がってたので暇つぶしがてら読んでみようかな-、と思ったんですが読んでいるうちにぐいぐい引き込まれて結局最後まで読んでしまいました。
舞台は漫研なんですけれど、部誌を作る感じとかはやっぱりどこも一緒と言うか、あのぬるさとか痛さとかすっごい思い当たる節がありすぎてやばい。
オタク、特にオタサーでわちゃわちゃやってて人間関係でもめちゃったwww って人には超刺さります。
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あらすじ
端的に言うとぬるいオタサーから真面目にやる厳しいサークルにしようとしたら、結局誰もいなくなっちゃったよ!\(^o^)/オワタ っていう話。
『げんしけん』の暗黒面Ver.っていうと分かりやすいんだけれど、とにかくいろんなタイプの痛いオタクが出てくる。
批評家気取りで他人を叩いて優越感に浸る奴とか(その実、自分では何も生み出さない)、設定集とか頭の中でだけストーリーを考えて形にしないやつとか。
あるあるすぎて、心が……痛い……。
結構登場人物多くて、大体のキャラは網羅していると思うので、誰かしら思い当る奴はいるんじゃないだろうか。
詳しくはWikipedia参照。
結局、本気になると痛みが伴うし、いつまでも逃げられないよね。
読んでて結構共感したのが、他人の原稿を見て「おいおい、これは・・・」ってなった時の対応なんだけれど、あれってどうするのが正解なんでしょうね?
ぼろくそに言うと、傷付けちゃうかもしれないし、でも、このレベルの奴と自分のが一緒に載るのかと思うと……。(まあ、思ったことは大体言うタイプでしたけれど)
結局、素晴らしい内容の同人誌ってある程度の規模のサークルだと難しいんですよね。
やる気のある人とない人がいて、そこに技術のある人とない人がいて、そこにまた売れるジャンルと売れないジャンルがあって。
というか、ジャンル統一してなかったらそもそも売れないっていう。
本当に上手くなろうと思うと誰かにぼろくそ言われるの覚悟でアウトプットしていかざるを得ないんだけれど、それってめっちゃ辛いし、しんどいし、考えているだけの方が楽なんですよね。
でも、そこを乗り越えないと上手くならないっていうダブルバインド。
あー、耳に痛い……。
オタサーの人間関係
この漫画に出てくる人間は基本全員自分のことしか考えてないです。
他人との距離感がつかめない、とかじゃなくて他人との距離感をつかもうとすらしていない。まあ、ある程度強調して書いているからここまでひどくはないとは思うんだけれど……。
ヨイコノミライ(きづきあきら)の人間関係って未だにリアルなんだろうか - マイルドヤンキーにさよならを
この記事にも書いてますが、今のオタクとこの漫画に出てくるオタクは少し違うかもしれません。昔は人付き合いが苦手だから、オタサーに逃げ場を求めたけれど、今は結構リア充と呼ばれる人もいっぱい入ってくるし。この漫画が完結したのが10年前だから、僕はまだ中二で、オタサーにも入ってない。
個人的な偏見でいえば、僕がいたころも正直似たような所はあったけれど、もう少し他人に気は使っていたような。でも、やっぱり一般と照らし合わせると人間づきあいは苦手だったんだろうなー。というか、変わっている人が多かった。
変わり者も受け入れる土壌はあって、けれどその分外部とは少し違った場所だったんだろうな、と。
綾町 長
ランボー VS 蘇我入鹿 in 奈良―ランボー怒りの改新感想―
奈良はどうして変態変則的な作家を産み出すのか?
人間の人格に生まれ育った土地は大いに干渉していると私は考えている。
例えば、私は「松原」と呼ばれる大阪の中でも立ち位置のよく分からない土地に生まれた。
大阪市と堺市に面しており、立地としてはなかなか良いと思うのだが、いかんせん知名度はない。
名産は「金網」と「真珠核(真珠を作る際に貝に入れる、その名の通り真珠の核となるもの)」と超マイナー。
その割に市の木は「松」、花は「薔薇」と受けを狙っているのが、逆に哀愁を漂わせている。
この様な土地に生まれたもんだから、私自身もよく分からない立ち位置で、少し哀愁を漂わせながら自虐をする「ヒロシ」みたいな人間になってしまったのだ。
とすれば、逆説的に『森見登美彦』と『前野ひろみち』なる新人作家を産み出した奈良という土地はいかなる土地なのか?
森見登美彦氏は特異的な文体で、京都を舞台とするファンタジーチックな世界観の作品を世に送り出している変態変則的作家だが、実は奈良の生れである。
その森見氏が自身のブログで「先手を打たれた!」と嘆いたとされるのが、前野ひろみち氏の『ランボー怒りの改新』である。
前野氏も森見氏に負けず劣らず、変則的な作家である。何せ表題作のあらすじがおかしい。
ベトナム戦争帰りのランボーが奈良にて蘇我入鹿らを倒し、大化の改新を行う!
ランボーって言っても本当のランボーとかじゃなくて、村上春樹がよく言う『概念的』なランボーなんでしょ!とかそういうことはなく、本当にそのまんまランボーである。
いやいや、この時点でおかしいだろ!とあらすじを見れば思うのだが、それが上手い具合に混じり合って読んでいる上では違和感はない。中臣鎌足が銃持ってたりするけど、そこに疑問なんか抱かないのだ。
このあたりの聞いている上でははちゃめちゃなんだけれど、読んでいるうちにその世界が当たり前のように感じられる辺りは森見氏によく似ている。というか、ぶっちゃけ文体も結構似ている。*1
こちらは短編集になっていて、他にも奈良を舞台とした作品が入っているのだが、どれも少しずつおかしい作品になっている。
個人的には『満月と近鉄』が一押し。小説家を目指す少年の甘酸っぱい想いと、けれど、ひたむきに努力しようとする思いが書かれていて、そして最後に思いもよらぬ所へ着地する。
甘酸っぱい想いとかせつない感情とか、青臭すぎてともすれば陳腐な青春劇になりそうなものだが、舞台となっている奈良が上手い具合に全て丸めて鹿のえさにしてくれる。
突拍子のない設定だとか、そう言ったものもすべて含めて最後は「阿呆やなー」と笑って、それから少し泣きそうになって。
このあたりが森見氏と本当に似ている。こういったところが奈良の土地柄なのだろうな、と。
綾町 長
*1:巷では森見氏が別名義で書いているのでは?という疑いの声が絶えない
“くそったれなゲーム”をプレイして思ったこと~『Chaos;Child』~
2017年1月からアニメが始まるということで、それまでにはと思い色んなやるべきことよりも優先してクリアしてしまいました。
残念ながらある程度のネタバレは知ってしまっていた(むしろ知ったせいで興味もった)のですが、それでも十分に入り込めたかなと。
これで知らずにやったら、もっと凄かったんだろなぁ。
○『CHAOS;CHILD』とは
『CHAOS;HEAD』(以下『カオヘ』)、『STEINS;GATE』(以下『シュタゲ』)などに続く科学ADVシリーズ第4段。
科学ADVシリーズは全部世界観を共有していますが、今回は第1段と同じ“妄想科学ADV”となっており、名前からも分かる通り『カオヘ』との繋がりを濃くしいる。
あらすじは以下の通り。
物語の舞台は、2009年に発生した大地震から6年が経ち、復興しつつある渋谷。
そこで始まった連続猟奇殺人事件。
それらの事件は日付やその異常性から、6年前に起こった“ニュージェネレーションの狂気”の再来と呼び人々の関心を引いていく。
自らを“情強”と自負する碧朋学園新聞部部長、宮代拓留は抑えられない好奇心故に事件を追うことにするのだが……。
“ニュージェネレーションの狂気”や“渋谷地震”は、いずれも『カオヘ』で起こった出来事だ。
どちらも『カオヘ』の物語の根幹に関わってくる事柄なので、気になった人は是非そちらを。
また、起こった出来事以外にも“ギガロマニアックス”と呼ばれる特殊能力も『カオス』シリーズを繋ぐ重要なキーワードとなってくる。
○「“ニュージェネレーションの狂気”の再来」とは
地震が起こる前の2009年の渋谷では、“ニュージェネレーションの狂気”と呼ばれる不可解な連続猟奇殺人事件が起こっていた。
詳しくは省きますが、男性の遺体の中に胎児が埋め込まれていたり、全身から血を抜かれていたり、果ては脳味噌を生きたまま掻きだされていたりと、どれも常識を逸したものばかり。
そして2015年の渋谷でも、6年前に負けず劣らずな以下の6つの事件が起こることとなる。
・“こっちみんな”
ニコニヤ動画生主の男性が、生放送中に自身の右腕を食べて窒息死した事件。
その有様が「こっちみんな」のAAに似ていることから、ネット上ではそのまま通称となった。
・“音漏れたん”
路上ライブ中に一人の女性が亡くなった事件。
亡くなった後も歌は聞こえ続けていたが、それは生前裂かれた腹に埋め込まれたスピーカーから流れていたという。
・“回転DEAD”
ラブホテルの一室にて、首をワイヤーで固定され、ベッドの回転に合わせて男性が首を絞められ殺害された事件。
事件のことをいち早く聞きつけた拓留は現場に向かい、実際にねじ切られる死体を目の当たりにしてしまう。
・“ごっつぁんデス”
人気ネット記者、渡部友昭が碧朋学園の文化祭のステージにて、大量の力士シールを嘔吐して死亡。
遺体には、食堂から胃の中まで、みっちりと力士シールが詰まっていた。
・“上手に焼けました”
マンションの一室にて、鉄筋で串刺しにされた女性の焼死体が発見された。
しかし部屋には犯人を示す証拠もなく、出火の原因になるものも見つからなかった。
・“非実在青少女”
渋谷郊外にて、一つ一つのパーツを箱に詰められ、人体のカタチになるように並べられたバラバラ死体が発見された。
この事件は他のものと違い、拓留や乃々にとって大きな意味を持つものとなる。
一見バラバラに見える今回の事件だが、現場に“力士シール”と呼ばれるものが残っている、事件の起こった日付が、6年前の事件の時と一致しているなどの共通点がある。
『CHAOS;CHILD』東京ゲームショウ2014公開トレイラームービー
○「力士シール」とは
『カオチャ』のシンボルとも言える、「太った男の顔が三つ目になるように重なっている」イラストのシール。
実は現実の渋谷にも存在しており、2007年に街のいたるところに貼られていたそうふだ。
デザインは様々なものがあり、類似品も多いですが元の製作者は不明。
グラフィティみたいなものだとか、はたまた何かの組織が使っている目印だとか様々な説がありますが、未だに謎のまま。
『カオチャ』ではある設定に関わってくるものとして描かれているが、もちろん実際のシールとは全く関係ない。
もし渋谷に行く機会があれば、今も残っているのか探しに行きたいものだ。
○「ギガロマニアックス」とは
簡単に言うと、“妄想を現実にする能力”を持った人達のこと。
自分の妄想を他の人間にも認識させ、共通の認識とすることで現実化(リアルブート)することが出来る。
力を行使するには“ディソード”と呼ばれる妄想の剣を手に入れる必要がある。
『カオヘ』の登場人物は割と自由に妄想を操ることが出来たが、『カオチャ』では一人一人異なる、限定的な能力の行使に留まっている。
また、『カオチャ』でのギガロマニアックスは、渋谷地震が原因となっている一種のPTSD“カオスチャイルド症候群”の患者ばかりである。
○登場人物
・宮代拓留
主人公。碧朋学園三年生で新聞部部長。
自身のことを“情強”、“真のリア充”と豪語するが、知らない人の前では口ごもる等コミュ障な一面も。
地震の際に両親を失くし、医者の佐久間亘が経営している“青葉寮”という施設にて度学年の来栖乃々、中学生の橘結衣、小学生の橘結人と共に“家族”として暮らしていたが、とある事情により家を飛び出し、公園のトレーラーハウスに一人で住んでいる。
“情強”としての自負か、色んな事件に首を突っ込みたがり、それを乃々に咎められる日々を送っている。
・尾上世梨架
メインヒロイン。碧朋学園二年生で新聞部所属。
拓留の幼馴染で、気がつけば二人で行動している。
天然だが時折優れた洞察力を発揮する。
口癖は「う?」や「おっけい」。
『CHAOS;CHILD』キャラクター紹介プレイ動画「宮代拓留・尾上世莉架」編
・来栖乃々
もう一人のメインヒロイン。碧朋学年三年生で生徒会長兼新聞部副部長。
明るく人当たりも良いので人気も高いが、怒ったら誰も叶わない為“女帝”と呼ばれている。
“青葉寮”で暮らす皆を“家族”として何よりも大切にしている。
そのせいか、拓留には周囲からブラコン扱いされる程のお節介を焼いている(もちろん、血は繋がっていない)。
『CHAOS;CHILD』キャラクター紹介プレイ動画「来栖乃々」編
・有村雛絵
ヒロインの一人で碧朋学年二年生。
“回転DEAD”の事件現場におり、重要参考人とされていた。
“ギガロマニアックス”であり、人の言葉の真偽が分かる能力を有している。
お調子者で如何にも女子高生然としているが、内心は嘘ばかりの人間関係に辟易している。
「チャオっす!」、「あでぃおすぐらしあ~」など独特な挨拶をよくする。
『CHAOS;CHILD』キャラクター紹介プレイ動画「有村雛絵」編
・香月華
ヒロインの一人。碧朋学園一年生の新聞部部員。
部室でいつも『エンスー2』というネトゲをしており、ゲームにのめり込み過ぎてよく壁を殴っている。
特に身体的な問題があるわけではないのだが、「ん」という言葉(?)しか発しないため他人に興味がないように見られるが、よく見ると周囲のことを大切にしているような行動が見受けられる。
『CHAOS;CHILD』キャラクター紹介プレイ動画「香月華」編
・山添うき
ヒロインの一人。
能力研究が行われていた“AH総合病院”の地下にて、被験者の世話係をしていた女の子。
拓留達が地下に忍び込んだ時に出会い、連れ出した。
橘結衣の同級生らしいが、外見は結衣よりも幼く見える。
地下生活が長かったためか、スマホ等の機械のことを全く知らない。
『CHAOS;CHILD』キャラクター紹介プレイ動画「山添うき」編
・伊藤真二
碧朋学園三年生で新聞部部員。
拓留の親友で、負けず劣らずの情報好き。
猟奇マニアではあるが善人で、拓留のことを信頼している。
・久野里澪
年齢は拓留達とそう変わらないが、脳科学の研究者で独自に“ニュージェネレーションの狂気”の再来を追っている。
高圧的な態度が目立ち、ギガロマニアックスを人間以下のものと見ている節がある。
利害関係から、拓留達と強力するようになる。
『CHAOS;CHILD』キャラクター紹介プレイ動画「久野里澪」編
・神成岳志
“ニュージェネレーションの狂気”の再来を追っている刑事。
作品一の良心。
事件が常識では捉えられないものだと考えており、警察組織とは別に久野里と協力して調査を行っている。
・佐久間亘
“青葉寮”を経営している医者。
拓留や乃々達の“父さん”。
ぶっきらぼうだが、気の良い人柄で患者にも好かれ、“青葉寮”の“家族”からの信頼も厚い。
・和久井修一
碧朋学園の国語教師で、新聞部顧問。
どこか飄々としており、頼りない印象を受ける。
・南沢泉理
地震が起こるよりも以前、能力開発のため、“AH総合病院”の地下にて実験という名の拷問を受けていた少女。
幼い拓留は世梨架の二人が、都市伝説の真相を調べる為に地下に忍び込んだ際に発見した。
助けを求められたのに逃げてしまったことを、拓留は今でも後悔している。
実は乃々の昔の親友で、地震の際に亡くなったとされているのだが……。
・橘結衣
“青葉寮”で暮らす中学生。
“家族”の中ではしっかり者の“次女”。
結人とは実の姉弟であり、いつも気に掛けている。
震災の際に恐い目にあったらしく、寮に引き取られた時は男性恐怖症だった。
乃々が落ち込んでいる時も、自分が家族を支えるのだという程強い子だが、拓留がいなくなったことを寂しく思うなど歳相応の一面も見せる。
・橘結人
“青葉”で暮らす小学生。
“家族”の中では気弱な“次男”。
結衣とは実の姉弟であり、いつもくっついている。
彼も震災の際のことがトラウマとなり、暗いところを極度に恐がっている。
弱気だが優しく、また物語が進むにつれ少しずつ逞しくなっていく姿が見れる。
○感想(※ネタバレあり)
この作品は最後まで、“情報”というテーマに拘り抜いていたように感じる。
情強と情弱、当事者と傍観者。
最初の内はこれらが対応するものとして進んでいましたが、物語が進むにつれ、その関係は崩壊していく。
誰もが皆、自分の持っている“情報”に縋り自分にとって心地好い現実を作っている。
当事者だろうが傍観者だろうが、それはきっと同じなのだ。
それがこの作品の言いたかったことなんじゃないかなと思う。
Trueの“silent sky end”は言うに及ばず、個別ルートもそのことを補強するためにあったのかな、と。
例えば雛絵編。
雛絵は最後、発狂した母親が殺してしまった拓留の死体を抱きしめながら、彼が帰ってきて楽しい日々が続くという妄想の中に引きこもった。
例えばうき編。
エンディングにもよるが、うきにより作られた幸せな妄想から現実に帰還するも、それも妄想なのではないかという感想を抱いて終わる。
例えば乃々編。
乃々――泉理は自分が来栖乃々という嘘を吐き続けることを止め、本当の自分として現実を生きることを選択する。
しかしtrueまで見ると、彼女達にとっての現実もまた、カオスチャイルド症候群による妄想だったということが判明する。true以外で、真の意味で彼女達が現実に帰ってくることはないのだと理解している。
それでも、だ。
それでも彼女達のルートや共通ルートで拓留や彼女達が行ってきたこと、感じたものに意味はなかったのだろうか。
答えは否だ。
それはプレイヤーが一番よく知っている。
よく、trueで明かされる真実――カオスチャイルド症候群の患者達は能力の行使により身体が老化しているのに、お互いをそうと認識していない。そればかりか、自分達の共通妄想を作りだし、綺麗な自分達の暮らしを築き上げていること――は意味のないことだとする感想を見かける。
例えそれが判明したからといって物語に支障はないし、起こった出来事が変わるわけでもないから、と。
だが待って欲しい。
自身達の姿の認識が違うということは、とても大切なことだ。
カオスチャイルド症候群ではなかった人――久野里さんや神成さん、百瀬さんなどの人からは、拓留達が真実の姿で見えていることになる。
彼女らとの関わりがないまま物語が作られたのなら、確かに意味はなかったのだろうが、彼女らも関わっている時点で無意味なものではないと思う。
なのに、カオスチャイルド症候群の設定はどちらでも良いものと判断した。
そこに“プレイヤーにとって都合の良い情報の取捨選択が発生した”と、そう考えることは出来ないだろうか。
“都合の良い情報で物語を作る”ということは、つまりは“妄想する”ということである。
なら“妄想上の物語”を認めることとなり、拓留やヒロイン達の物語や引いては雛絵が逃げ込んだ妄想すらも肯定出来るはずだ。
だから、拓留や彼女達の感じたことには意味があるのだ。
まあ物語のことを語る時点で妄想を語るのと同じことなのだが、それでも人は語ることを止めない。
きっと、その妄想語りこそが現実を構築していくのだから。
ちなみに、ここまで書いて筆者はこの文章の着地点を見失ってしまっている。
と言うのも、本当に書きたかったはずのことと、大きくずれてしまったからだ。
自分が書きたかったこと、知りたかったことは、『Chaos;Child』というゲームプレイをして感じた、あの嵐の後の静けさのような気持ちだ。
なのに、どう書こうとしてもそれが書けない。
そこで色々考えているうちに出て来たのが上記のような考えなのだが……。
もし、ここまで読んで少しでも気になった人はゲームをプレイして欲しい。
そして、出来れば一緒に語り合いたい。
一応1月からアニメも始まるが、それでこの作品が表現出来るとは正直思えない。
とはいえ、万人に勧められる作品ではないと思うので、気が向けば感想を書こうとしてただのストーリー紹介になってしまったものを載せるかもしれない。
その時は「何やってんだ」と呆れつつ、この作品に感じたもの探しているのだなと、生温かく見守って欲しい。
この感情を処理出来れば、何か得られそうな気はするのだが……。