りぷろぐ

せつな系創作団体「Repro」のBlogです!

マチアソビvol.14参戦レポート!!by淡夏

どうも淡夏です。

今回の更新はちょっとプライベートなことになります。

 

5月3日から3日間、徳島にてGW恒例のマチアソビがありました!! 

今回は自分の体験したものをダイジェストで記しておきたいと思います。

本当は一つ一つ、感じたことを書いていきたいのですが、どれもこれも内容が濃いものばかりで^^; 

また余力があれば、別個に紹介していきたいと思います。

 

 

○5月2日

 Fate/stay nightUnlimited Blade Works〕#17リアルタイム視聴会のために、予定より早く徳島入り。

 とは言っても、整理券戦争に勝ち残らなければ見れないのがマチアソビの鉄則。

 果たして、運命の女神は淡夏に微笑むのか……。

 

・「Fate/stay nightUnlimited Blade Works〕#17リアルタイム視聴会」

 ……整理券戦争、敗北。

 これについては語ることなし。

 100人ちょっとの会場に、300人超えの行列はないって……。

 

 

○5月3日

 気を取り直してマチアソビ初日。

 個人的にはメインとなるのはFate UBW #18のAパート先行上映くらいだったので、割とゆっくりできると思っていたのですが……。

 

・「整理券戦争」

 上記イベントの整理券を無事ゲット。

 前日の雪辱は果たしたぜ……。

 

・「君がいなくちゃだめなんだ」

 花澤香菜主演の実写映画。

 別にマチアソビでなくても見れるのですが、この機会なのでと。

 内容についてはまたいずれ。

 

・「星海社パラソルショップ」

 『アリス・エクス・マキナ』サイン入り2、3巻、そして『空の境界 美術集』をゲット。

 他の型月関係のものは列を見た瞬間に諦めてしまったので、概ね目的のブツは手に入れることができました。

 

・「ufotable café」

 実は今まで一回も行けなかったので、今回は一時間待ちの時を狙って突入。

 ただ、次のイベントの兼ね合いで滞在時間は10分^^; 

 凛のエビチリ丼とドリンク「士郎と凛」を5分で食し、店を後にしました。

 

・「Fate UBW #18 Aパート先行上映」

 ギリギリまで何話の上映か知らなかったので驚きました。

 あんまり言うと本放送のネタバレとなるので控えますが、これだけ一言。

 ……背景美術、やべぇよ。

 

・「TOHOパラソルショップ」

 ケイオスドラゴンのガラガラ抽選でスアローのチロルチョコゲット。

 さすがに台本なんて当たりませんよねぇ。

 

・「『この世界の片隅に』――作品の魅力を最新資料でご紹介」

 原作も全く知らなかったのですが、クラウドファンディングで製作費を調達したというのが気になって。

 それにしても、製作に使われた資料の量も質も半端ないですね……。

 やっぱりモノづくりはここまで作り込まないといけないな。

 そうすれば、単なるエンターテイメント以上のものが見えてきそうな気もしますね。

 

 この後、前々回のマチアソビで知り合った方と飲み会をして初日は終了。

 宿に帰ってソッコーで寝落ちました。

 

 

○5月4日

 一番大勝負の日。

 だと言うのに夜中に目覚めて体調最悪。

 それでも8時の整理券戦争に参加するため、7時くらいにはボードウォークに到着。

 さてさて、勝敗はいかに……。

 

・「整理券戦争」

 大・勝・利!!

 『翠星のガルガンティア』と『ケイオスドラゴン』のイベント、どちらの整理券もゲット!! 

 ただ二つとも時間が被っているので、断腸の思いで『ガルガンティア』を他の人に譲り、自分は『ケイオスドラゴン』の方に参加することに。

 

 整理券戦争が終わり、次のホテルに荷物をチェックインした後、限界が来て小休止することに。

 本当はこの時間にロープウェイや橋の下美術館に行きたかったんですけどね……。

 公開結婚式に参加することも出来ませんでしたが、まあ気を取り直して次のイベントへ。

 

・「ポッポ商店街」

 シルバーリンクの今夏放送アニメ展示と、美少女ゲームアート展を見に商店街へ。

 

・「綾野ましろ ライブ」

 楽しみにしていたイベントの一つ。

 計らずもかなりステージに近い席を確保できました。

 こんなにアーティストとの距離が近いライブもないですよね。

 綾野さんも可愛く、しかも想像以上に歌声に迫力があって驚きました。

 『vanilla sky』もかっこよくて好きですが、やっぱり『ideal white』はテンションが上がりますよね。

 

・「ボードゲーム『ケイオスドラゴン 覇王春秋』トークイベント」

 今回の目玉イベント。

 最終日にも同プレジェクトのトークイベントがあるのですが、そちらはアニメとスマホゲームの話で、こちらはボードゲームがメイン。

 のはずだったのですが、蓋を開けてみれば他の話もしていたような。

 内容についてはここで書き切れるものではないので、また別途機会があれば。

 ただ、太田さん、しまどりるさんを594しすぎじゃね?

 後、この企画頭おかしいよ!(褒め言葉)

 

・「チャリティオークション」

 マチアソビ恒例行事の一つ。

 とは言っても、生で見たのは今回が初めて。

 それにしても、これが噂の“札束の殴り合い”ですか……。

 何で6,000円のゲーム+サイン入りのカードが30万に化けるのかと。

 ちなみに『Fate/hollow ataraxia』のvita版です。

 最後は女性同士の争いだったのですが、何と言いますか、時代は変わりましたねぇ。

 だってこれ、一応エロゲ原作ですよ? 

 こうしてファン層が広がることは、語れる人が増える一方で一抹の寂しさもあったり……(意訳:また整理券の倍率が増えてるじゃねぇか、どうしてくれるんだ!)

 

・「Aimer ライブ」

 マチアソビでは珍しい、しっとりとした素敵なステージでした。

 Aimerさんの歌声が夜の静けさの中に沁み渡っていく様は非常に聞き応えがありました。

 

 ライブが終わり、徳島ラーメンを食べてホテルへ帰還。

 川沿いを歩きながら、後一日かとしんみりとした気分に浸ってしまいました。

 本当に、楽しい時間はあっと言う間ですね。

 

 

○5月5日

 いよいよ最終日、本日のメインは引き続き『ケイオスドラゴン』。

 前日の整理券戦争は倍率は7倍だったそうで、今回もどうなることやらと心配していたのですが、さて……。

 

・「整理券戦争」

 大・大・勝・利!!! 

 ふう、敗北が知りたい……(知らないとは言ってない)。

 え、UBWリアルタイム上映会? 知らない子ですね……。

 後、原恵一監督の新作、『百日紅 –Miss HOKUSAI-』の整理券もゲット。

 楽しみにしつつ、とりあえず腹ごしらえしに。

 

・「チェインバー搭乗体験」

 『ガルガンティア』のチェインバーのコックピットをVRで再現。

 想像以上の臨場感で驚きました。

 ただ、乗り物酔いしやすい人は要注意ですが。

 ヤマトの方も体験したかったなぁ。

 

・「TVアニメ『ケイオスドラゴン 赤竜戦役』×スマホゲーム『ケイオスドラゴン 覇王春秋』トークイベント」

 前日に引き続き、『ケイオスドラゴン』プロジェクトのトークイベント。

 これまた密度が濃かったので、内容は割愛。

 色々設定は変わっているものの、昔からの『レッドドラゴン』ファンに納得してもらうものを作るという意気込みは伝わってきたので、今から楽しみです。

 けど、やっぱり頭おかしいよ、この企画!(褒め言葉)

 

・「映画『百日紅 ~Miss HOKUSAI~』公開直前先行上映会&原恵一監督トークイベント」

 映画クレヨンしんちゃんの監督の新作。

 これまた原作知らずに、興味だけで参加してしまいました。

 葛飾北斎の娘、お栄を主人公とした浮世エンターテイメント。

 一話完結式の話を、お栄の妹の死を中心に繋げたものなので、最後の方はぶつ切り感がありましたが、良かったと思います。

 5月9日公開ということで、興味のある方は足を運んでみてはいかがでしょう?

 

・「ロープウェイガイドアナウンス」

 最後の最後で何とか滑り込み。

 これまたマチアソビ恒例行事ですね。

 眉山に向かうロープウェイの中、アニメキャラや声優さんが眉山や徳島の歴史を教えてくれるといういつもの企画。

 今回は、行きは我らが英雄王ギルガメッシュ、帰りはデレマスの渋谷凛。

 それにしてもこの英雄王、ノリノリである

 何でも、ロープウェイを支えるロープは天の鎖程の強度があるとかw 

 やべぇよ、ヘラクレスさんが綱渡りしても千切れねぇよ、それ。

 眉山には毎回訪れているのですが、やはり絶景。

 徳島市を訪れたのなら、一度は行ってみた方が良いかと。

 

・「ufotable café」

 最後は、ここで少し早い晩御飯を食べてマチアソビ終了。

 アーチャーの双剣カレーと、ドリンク士郎、士郎をイメージしたマンゴーワッフルを食べました。

 どんだけ士郎好きなんだよ、俺。

 一応、一番好きなキャラと聞かれれば、凛と答えるのですけどね。

 

 こんな感じで三日間を終え、和歌山へとフェリーで無事帰還。

 これを書いているのはその翌日なのですが、未だ気持ちはあちらに行っているように感じます。

 明日から現実に戻るの、ヤだなぁ……。

 今回のトークイベント等を聞いて感じたことはまた別に書きたいと思いますので、アップした時はよろしくお願いします。

 マチアソビは、色んな人の“好き”が町に溢れる素敵なイベントだと思います。

 近隣住民の皆さまには迷惑になっているかもという気もしないではないですが、それはそれ。

 自分達が普段秘めている“好き”を、思う存分に解放できる。

 運営も、お客さんも等しく参加者といった、文化祭のように手作り感満載なところも魅力の一つだと思います。

 規模が大きくなり、商業イベントのつもりで来られる方も増えていると思いますが、やはりその根底には参加者が楽しめるものという意識が強くあります。

 だから、この独特の“ユルさ”は大切にしていって欲しいですね。

 かと言って、運営のテキトーなところに思うところがないでもないんですけどね^^; 

 アニメ、コンテンツ業界が好きで好きで堪らない人は、是非一度参加してみてはいかがでしょうか? 

 以上、淡夏のマチアソビレポートでした。

 それでは、また。

世界観共有企画、中間報告的な

こんばんは。

このりぷろぐも二巡目に突入いたしました。今回の担当は鳴向です。どうぞよろしくお願いいたします。

 

さて、reproでは4月から、世界観共有企画ということで、メンバーでアイデアを出しあって一つの世界観を創造し、それを使って広く世界観共有創作をしようということを企画しております。

その第一段階として、現在はTwitterの企画垢を使って、とりあえず思い付く限りアイデアを出してみよう!ということをやっています。

企画ページはこちら REPROJECT 01-世界観共有- | Repro

企画名は、

です。じゃじゃーん。

興味を持たれた方は、是非フォローお願いいたします^^

 

ところで、われわれが作ろうとしている「世界観」とは何か? という話について、最近読んだ大塚英志の「キャラクター小説の作り方」になるほどなーという記載があったので、まとめておきます。

 

・世界観とは世界の「観」方。

それは読者がキャラクターの目を通じて「観」る「世界」であり、作中のキャラクターが「世界」をどのように「観」て、受け止めるかということ。

 

・「世界観」とは、ズレた日常である。

「ズレた世界」における「世界観」を構築していく作業は、ズレの結果、世界がどう変わったかをイマジネーションしていくことであり、世界のズレから生じた「日常」の変化をどこまでイメージできるかがポイントである。

 

・架空の「世界」を読者にリアルに感じさせるには、その「世界」に根差した物の見方や行動をとるキャラクターが不可欠である。

キャラクターをリアルに表現するためには、作者が生きている現実の「世界」ではなく、架空の「世界」との関わりの中で表現しなくてはならない。

上手くいかないのは、このような「世界観」と「キャラクター」の関係を忘れて、ただ変わった設定の世界、変わった設定のキャラクターを思い付くことに必死になってしまって、二つが互いに関連していることを忘れてしまうから。

 

さらに、現在われわれが行っているこの「世界観作り」という立場についても言及があったので、そちらもまとめておきます。

・小説を書くという作業をテーブルトークRPGのように考えた場合、その役割は次の三つの立場に分類できる。

①ゲームデザイナー…世界観を作る人

ゲームマスター …物語を作り管理する人

③プレイヤー   …キャラクターとして実際に物語を演じる人

 

つまり、世界観を作ることと、キャラクターを作り、それを動かして物語を作ることとは別の立場であるとして考えるべきだということでしょうか。

つい「その世界観でどのような物語が語り得るか」ばかり考えてしまって「世界」が広がらないなあと思っていたのですが、reproがやるべきことは、物語を想定することではなくて、個々の物語作者、つまりGMが物語を繰り広げるに足る「世界観」を作ることなのだなあと納得しました。

 

ちなみに、個人で文章を書く場合には一人が①から③のそれぞれの役割をすることになるのですが、3つの内1,2個が欠けている人が多く、世界観作りが得意な人は意外と多いというようなことも言われていました。

 

さて、ではいま企画垢で上がっている世界観の案を振り返っていきましょう。

 

@具体案系

・『光跡のアルケー』の世界 光跡のアルケー 第一章 前篇 | Repro

(我々の感知する物質界であるところの「第一世界」と、第六感によってのみ触れられる抽象的な「第二世界」とがあって、第二世界にアクセスして力を引き出せる魔法使いと、その力を人間世界の法則で読み解こうとする魔術師が対立している世界。第二世界の見え方は魔法使いによって様々。 アルケーの主人公は色で感じ取り、数式や言葉として認識する魔法使いもいるとか。)

・メリーゴーランドの世界。ある日突然エネルギー供給が断たれ、動力源は町の中心にあるメリーゴーランドの回転が生み出すものだけとなる。メリーゴーランドは乗る人間を選び、一度乗った人間は二度と生きては帰れない。回り続けるメリーゴーランド、メリーゴーランドの意思の代弁者たる「道化師」、メリーゴーランドの秘密をひた隠す町内会、秘密を調査しようとするエネルギー会社社員、ひたすら人を死のメリーゴーランドに乗せ続ける案内係、恋人がメリーゴーランドに選ばれてしまった大学生、大学生に依頼を受けた私立探偵、メリーゴーランドに乗りたい子どもたち。そして黙して語らぬメリーゴーランドに乗った人々。町中のあらゆる人を巻き込みながら、メリーゴーランドは回り続ける。

・とある科学者が開発した死因測定器。 http://shindanmaker.com/198627  これにより死因が測定された人は、7日以内に予言された通りの死に方をする。彼らは山中の廃村に隔離され、死を回避するためのバトルロイヤルを始める。

・灰色が埋め尽くす空。 世界はとっくに終わっていて、それでも生きるしかなくて。 少年少女は居場所を求め、旅を続ける。

・巨大な時計塔がそびえる架空都市。 時計の長針がてっぺんを指す度に、世界の表と裏がひっくり変える。 裏世界は人が消え、時間の止まった場所。 そこから出るにはゲームをクリアしなければいけない。 偶然裏世界に囚われる人々。 出会うはずのない運命。 彼らは脱出できるのか。

・天狗道のお話で、登場人物がみんな天狗。天狗は修行僧が地獄に堕ちた姿なので、みんながある願いを叶えたくて、天狗の頂点をめざして日々切磋琢磨して…いるのかと思いきや好き勝手やっているようなご町内ドタバタ系の世界。

百鬼夜行×夜のピクニック百鬼夜行の仮装して夜のピクニックをする、とうだけのイベントだったはずが、気付けばいつの間にか本物の妖怪が混じり、不思議な事件が起こりはじめる。(参加者が各自Botみたいな感じで妖怪になりきって、何かしら騒ぐ?)

・「汐の音」の伝承の中の、人間人魚戦争リプレイ 汐の音 -the murmuring of the sea- 第一話 前篇 | Repro

(かつて海に住んでいた、呪術が得意で自然と調和する人魚という種族ー人間と争い、最終的には人魚の中でも特別な力を持つ巫女が人間の男に力を貸したため滅ぼされてしまう…、そんな彼の種族の戦記。)

銀河鉄道999みたいな、不思議な電車がつなぐ世界。どこに現れるかわからないその電車に乗ると、「一つだけその人の願いが叶った世界」に下ろしてくれる。乗るときはタダだけど、帰りの乗車賃は「その人の一番大切なもの」。願いの叶った世界に居着くか、何かを失っても帰るかはその人次第。

・陸地は泥の海に沈み、人の居住地は高い塔に限られた。すべての価値観は「高さ」で表され、塔は階層化される。異端の者は、居住に適するよりも低い階層に押し込められた。そんな中、「高さ」の価値観を打ち破ろうとするレジスタンスたちが塔の上を目指して登り始める、、

そして塔の下層に爆弾を仕掛ける第三勢力が現れ、事態は混乱を極めることに……塔の制御装置には不思議な力を持った女の子が。

→「高さ」が価値では現実とあまり変わりないから、海底の低く低くを目指して作られた塔で「低さ」が価値、の方がおもしろい?

・その人の目の色によって生き方が決定づけられる世界

 

@コンセプト系

・夢に溢れるファンタジーな世界

・IF的な世界(ex)9.11が起こらなかった世界)と現在が部分的に交差している話。ある特定の場所、時間、条件でのみ交流ができる。

・神話ベースの世界観(ギリシャ神話を元にしたSF世界)

・世界を象徴するようなシンボル(ex)スカイツリー)がある世界

・コンピューターの予測結果によって自分の行動が(ある意味)縛られている世界(診断メーカー等を使って、物語に偶然性を持たせる。出た結果に基づいたキャラクター設定と行動しかとれない等)

・平行世界もの。 キャラだけ共通にして、その他の設定は自由。あるいは、結末のポイント となるぶぶんだけ共通のものにする(ex)宇宙に行く、異世界で魔王を倒す、「二人は幸せなキスをした」エンドにしなければならない、等)

・和風世界

・「作者の死」がうまく機能しない世界。現実化した作品が自律し、作者に影響を与える。たとえば、舞姫のエリスが森鴎外に復讐しようとするような?そしてその影響から作者を守る仕事の主人公たち?

・「空」とか「海」みたいな、舞台設定やテーマに関わってくるキーワード

・「歯」が何かの代償として支払われる世界。歯が多く残ってる人の方が偉かったり、歯医者さんの地位がとても高かったり。

水没都市と 生き残った人たちのサバイバル

 

@ギミック系

人狼のように、じゃんけんのような相性関係のある役職をもつ世界

バトロワもの。(いくつかキャラクターシートを公開して、そのキャラクターたちの戦いを第三者が書く)

Twitter脱出ゲーム。 時間を決めて、Twitter上のコミュニケーションからミッションをこなしていくとか。

・キャラを共有して作者毎の世界で旅をさせる。キノの旅的な。

(ex)世界を股にかける怪盗XXXが活躍する時代。工業都市でも農村でもスラム街でも構わず、欲しいものがあると必ず予告状を送りつけ、そして見事盗んでいくXXX。ついに主人公たちのところにもXXXからの手紙が届く。主人公の立場は様々。XXXのターゲットの持ち主かもしれないし、XXXを追う警察官、ターゲットの持ち主に雇われた派遣の警備員、XXXの記事で一攫千金を狙う記者、賞金目当てのバウンティハンター、怪盗に憧れる一般市民、etc.XXXについて確かなことは、狙った獲物は必ず盗むということと、絶対に人は殺さないということだけ。その他、ローカルに尾ひれ背びれのついた噂が流れているが、その真偽は定かではない。(おおむね嘘)。また、XXXが有名になるにつれて模倣犯が現れており、主人公のもとに届いた予告状が果たして本物のXXXのものであるとは限らない。その場合、XXXを名乗った偽の犯人は捕まえることが可能。)

・大まかな世界の設定を決める →それを元に、自由に創作→ 集まった話を繋ぎ、その世界の歴史を作る →そこから新しい物語を産み出す

 

 と、現状出ている案はこんなものですね。

新しい「文学」的なるものを作りだしたい、というreproの価値観を体現できるのはどんな世界観なのか、もうしばらく考えてみないとですね。

ではでは。

『ジョジョ』と『暗殺教室』の漫画の作り方を比較してみた

ReproでふりゅうというPNで小説書いてます。以後よろしくお願いします。

 

最近立て続けに漫画家の漫画の作り方について本を読んだりテレビで見たりする機会がありました。

なので今回は2人の漫画家の漫画の作り方について、同じ所や違う所をまとめてみたいと思います。

 

両名の発言は以下をソースにしています。

・『荒木飛呂彦の漫画術』(荒木飛呂彦著 集英社新書

・『SWITCHインタビュー 達人達』松井優征×佐藤オオキ

 

小説の批評じゃない?小説を書く上でも大いに参考になる部分が多かったので、まぁそう言わず。

 

さて、『ジョジョの奇妙な冒険』の作者である荒木飛呂彦氏は、漫画を作る上で最初に必要になるものとして、まずキャラクター、次いで状況設定を挙げています。キャラクターは細部まで設定を用意し、60近い項目からなる『身上調査書』を各キャラクターに設定し、特に行動の動機を明確にするように心がけているそうです。

状況設定は例えば「アメリカ西部を横断する」といったもので、普段書きとめているメモから着想を得ることが多いそうです。「○○というキャラクターは△△という状況に置いたらどうなるか?」を決め、後は起承転結さえ意識していれば自然とストーリーは出来上がるといったことを荒木氏は述べています。

 

一方で『暗殺教室』の作者である松井優征氏は、『暗殺教室』誕生のきっかけとして、最初はひらめきとしたうえで、「始業のチャイムで生徒たちが一斉に銃を向ける光景が面白いと思った」といったことを言っていました。光景さえ決まればキャラクターやストーリーなどは一晩で全て決まったそうです。「光景」は「設定」と言い換えられなくはないのですが、もっと1アイディア的な感じがします。

 

荒木氏の漫画を生み出す流れが

キャラクター→設定(メモより)→ストーリー  なのに対し、松井氏は

光景(ひらめき)→キャラクター→ストーリー といった感じでしょうか。

ジョジョ』も『暗殺教室』も大ヒットしている少年漫画ですが、

こうして比較してみると結構真逆な印象を受けます。

 

ただ、共通点もあります。

松井氏は生徒1人1人のスマホの種類まで事細かに設定していました。この辺りは「身上調査書」を作る荒木氏と似通っています。漫画の場合は絵なので、細かな設定を用意しておかないと小説以上にボロが目立つという側面はありますが、細かなキャラクターの設定は長く作品を続けていく上で必要不可欠なようです。当たり前と言われればそれまでなのですが、自分の小説では……できてないですね……。

 

あと、荒木氏は漫画のテーマは世の中の流行りに合わせたものではなく、あくまで自分の描きたいものであるべきだといったようなことを書いていますが、これは松井氏の漫画でも共通しているように思います。『ジョジョ』のテーマは「人間賛歌」だそうですが、『暗殺教室』のテーマは前作の『ネウロ』と同様「人間の可能性」といった感じでしょうか。

 

何より共通しているように感じたのは、読者に読んでもらうための構図、構成の工夫です。最初の1ページ、2ページでどれだけ読者の心を惹きつけるか。荒木氏の著書ではその辺りが細かく解説されていましたし、松井氏もインタビューで偶数ページに必ず引きとなるようなコマを入れると言っていました。小説は文字だけなのでなかなか難しい部分もあるのですが、「最初にダラダラと世界観を説明したら読者はついてこない」と書かれていた所は耳が痛いです。いくら自分が良いと思う小説でも最後まで読んでもらわなければ意味が無いわけで……。

 

以上、ダラダラと両名の漫画の作り方を比較してみました。

 

ちなみにこの2人、漫画家なのに2人で料理に挑戦するという謎コラボ企画をしていたり。

気になる人はJOJO's Kitchenで検索してみよう。

 

『ハーモニー』 : 病気の無い世界は実現するのか

こんばんは、最近、新社会人になったばかりの綾町です。

かなり前から、批評を何について書こうかな、と色々悩んでいたのですが、
昨日、久し振りに研究室に顔を出してみて、やっぱり生化学や細胞生物学的なものが好きで、
そういう視点から書いてみたいと実感しました。

ということで、SF小説の傑作である[ハーモニー]の世界観、特に[WatchMe]の実現性について、生物学の視点で批評していきます。


WatchMe:
[生府に普及している恒常的体内監視システム、またはその役割を担うナノマシンの通称]
を体内に入れ、それにより病気がなくなった世界。

この世界では人々の身体は社会にとってのresource、つまり共有財産として扱われていて、
例え自分の身体であってもそれを傷付けるような行為は悪とされた。
要するに不健康であることが許されず、肥満やタバコ、酒も禁止、という健康第一な世界。

こんな世界である日、集団的な自殺が起こって……

というのが、[ハーモニー]のあらすじ。


で、この世界観で大きな役割を果たしているのが、[WatchMe]です。

このWatchMeは血中を漂っていて
1.身体の健康状態を調べ、恒常性:[同じ状態でいること]を保つ
2.病気に対応した医療分子(メディモル)を生成する
という機能をもっています。


1については、血中のRNA転写エラーレベルと免疫的疫一貫性について監視を行って、
異常がある場合除去するという機構。

まず、RNA転写エラーレベルという部分は少し間違っているんじゃないかなと思います。

生物はDNA→RNA→タンパク質と変換することで、身体をつくっているんですが、
このRNA転写エラーっていうのはDNAからRNAに変換する部分でエラーが起きているという意味です。

けれど、基本的にこういうエラーを防ぐ仕組みが身体には元々ありますので、
おそらく作者としては放射能に汚染された世界が舞台ということで、
放射能によるDNA損傷によって遺伝子変異が起こり、
その変異が入ったDNAを鋳型にすることによって間違ったRNAが出来てしまう、それを血中で調べ、
間違っている時は除去するということを示したかったのではないか?と推測されます。

けど、そもそもRNAは血中にないです。細胞の中でRNAはタンパク質に変換されるんで……。
血中だとRNAなんてすぐ分解されちゃいます……

なので、これをやりたければ、WatchMeを細胞全部に入れなくちゃいけない……37兆個とかこれなんて無理ゲーですね……。

免疫的疫一貫性というのは、過剰な免疫反応が起きていないか調べている、と言う意味ですかね。
これはリューマチとかそれこそ花粉症なんかも過剰免疫によって起きているので、これらを防ぐという意味だと思います。
これはまだ出来る気がしますね。免疫反応の中核である抗体は血中を漂ってるんで。

ということで、除去って部分を除けば、検査自体は十分可能になるんじゃないかなと思います。

血液を調べて、ガンを特定するということは既に研究されていますし(なんと何ガンかまで分かる!)、
将来的には一滴の血液から様々な病気を特定するのも可能じゃないかな、と思います。
確か、島津製作所とか機械系の会社がそういうものに取り組んでいるという話を聞いたことがあります。

ただ異常があれば除去するってことに関しては現在は難しいかもしれないです。
特に遺伝子変異についての対策は難しいと思います。


2については、医療分子というかタンパク質ですかね?

タンパク質なら体内に材料があるんで、大丈夫だと思いますが、
それこそ低分子化合物とかは材料の調達がしんどいよなー、というイメージです。

まあ、バイオ医薬(抗体とかRNA,DNAなど)が今、注目されてますし、
そういうものなら体内でも作れると思います。

それこそホルモンとかは作れそうなんで、更年期障害とかも安心じゃないかな。
ハゲもなくなる!

なので、こちらについては部分的に可能だと思います。



ということで、結論として将来的にこういうことは結構あり得るんじゃないかな、というのが私の意見です。

他にも血液脳関門のところとか、基本的には作者の方はすごく勉強して書いておられると感じました。
SFは特に専門知識が必要で、取材とかが大変ですが、伊藤計劃は生物系を研究していた私から見ても、
十分すぎるほど取材を重ねて書いていることが感じられました。

私もこれだけ調べて、書き上げねば!と思います。書かねば!

『ピンクとグレー』文庫版の加筆・修正箇所を単行本と比較してみた。

んばんは、はじめまして。Reproの鳴向といいます。

同人創作小説サークルRepro(リプロ)の文章書きです、どうぞよろしくお願いします。

 

さて、タイトルの『ピンクとグレー』ですが、小説の方のあらすじは以下の通り。

 

大阪から横浜へ越してきた小学生の河田大貴は、同じマンションに住む同い年の鈴木真吾と出逢い、中学高校大学と密接した青春時代を送る。高校生になった二人は、雑誌の読者モデルをきっかけにバイト替わりの芸能活動をスタート。大学へ進学した二人は同居生活を始めるが、真吾がスターダムを駆け上がっていく一方で、エキストラから抜け出せない河田だけが取り残されていく。やがて二人は決裂。二度と会うことのない人生を送るはずだった二人が再びめぐり逢ったその時、運命の歯車が回りだす…。

 

ということで、物語は基本的に主人公・河田大貴<河鳥大>の視点から、鈴木真吾<白木蓮吾>と過ごした幼少・中高時代の追想とすれ違う現在、理解へと至るまでが描かれています。

この間中島裕翔主演で映画化が決まって話題になってましたね。

行定勲監督ということで、どんな作品になるのか今から楽しみです。

映画の予習に、本屋でピングレ原作を手に取る方も多いんじゃないかと思います。

今なら文庫版も出ていて入手しやすいですね。

この文庫版ですが、あとがきによると、単行本から全編をチェック、改稿したとのことです。

 

同人ですけどサークルで文章を書いてて思うのは、人の改稿を見るのってすごく面白いなあ、ということで。

文章を改稿するとき、どういう部分をどう直すのか、というところには、その人の個性や考え方がすごく現れると思うんです。

ではプロは、しかもデビュー作を、2年経って見直した加藤シゲアキは、いったいどういうところを、どんな風に書き直したのか。

それを辿れば、作家・加藤シゲアキがどう変化したのかも知ることができるのではないかと思います。

ピングレはデビュー作ということで、単行本版の内容についてはしばしば言及されてきましたが、文庫版での変化という話はあまり見かけなかったので、今回はそこにスポットを当ててみました。

ただ、本当は全編の修正箇所リストを作ろうとしていたのですがとても終わりそうになかったので、今回チェックしたのは冒頭の第一章~第三章と、終わりの第十一章~第十四章だけになっています。

以下では見つかった修正点をいくつか抜粋しつつ、大まかに分類してます。

いつか完全版リスト作りたい……。

 

続きを読む

相互不理解な私達 ~『空の境界』から見る他者と自己の境界線~

 初めまして、Reproの淡夏という者です。

 型月信者などやっております、以後お見知り置きを。

 さてさて、はてぶへの移転に伴い、もうちょっとしっかりとした論評などしてみてはどうだろうかという話になりました。

 故あって一番バッターを務めることになりましたので、完成した駄文をば掲載したいと思います。

 タイトルの通り、今回は『空の境界』を読んで思ったことを徒然なるままに書いております。

 興味のある方は、どうか読んでみてください。

 それでは、本文へ――

 

 

 ――人は、分かり合えることができるのだろうか。

 

 この問いに対し、多くの作品では「分かり合うことができる」と答えている。強く持てば、想いは必ず届く、と。

 だが奈須きのこの小説『空の境界』で為された回答は、「分かり合うことはできない」という、孤独なものだった。

 

 『空の境界』は、1998年に奈須きのこ武内崇の同人サークル「竹箒」のHP上で『空の境界式』として発表された。その後、2001年に同人小説として上下巻で刊行され、講談社太田克史の目に止まり、2004年に講談社ノベルスから商業作品として刊行されることとなった。それからは2007年よりufotableより全七章でアニメ映画化され、その人気を確固たるものとした。2010年からは星海社のHP「最前線」にて天空すふぃあによるコミカライズも掲載されている。

 物語はモノの死を視る“直死の魔眼”と、世界のあらゆる原因が渦巻く“根源の渦”と繋がった身体を持つ“両儀式”と、平凡であろうとしながらも式に好意を寄せる“黒桐幹也”の二人を中心に、“日常”と“非日常”の境界を巡って進む。式は元々“織”という男性人格を身に宿しており、幼い頃から他人というものが自分と違うということを理解してしまっており、なおかつ自分が異常だということも知ってしまっている。その為、自分を“非日常”の側において“日常”というものを避けていた。だが、幹也は式に近付きその境界をぐらつかせる。

 ぐらつかせはするが、その境界が消えさることはない。確かに、物語の終わりに式は幹也と手を繋ぎ、“日常”の側へと引かれていくが、それは境界を越えたことを意味しない。元より、その境界は式自身が引いた、“自己”という檻だ。その檻がある限り式は式という自我を保つことができるし、外側からの攻撃にも耐えられる。

 この檻は、何も式のような特別な境遇にある者だけが作るものではない。我々現実に生きる人間も、どこかで他人と自分との間に線引きをし、外界――他者からの攻撃を受けないようにしている。そうして内側で育てた自我で以て、生きる意味などという夢のようなモノを追い求め、人生と為す。それは檻の中でこそ有効なモノであり、外に出ればたちまち意味を失ってしまう、儚いものだ。だから、もし本当の意味での他者との相互理解が成立するのならば、それは自我の終わりを意味することになるだろう。

 にも関わらず、人は、人を求めてしまう。それは単純に“寂しい”からだ。『空の境界』の作中、式は事故により織という人格を失ってしまう。彼の存在により孤独ではあっても孤立していなかった彼女は、本当の意味での孤独を味わうことになる。他者との相互理解は自我の崩壊に繋がるが、自己を認識するためには他者という存在が必要だ。そうでなければ、どちらが境界の内と外なのか分からなくなってしまうから。思うに、その自己の喪失に対する“恐怖”こそが“寂しい”という感情なのではないだろうか。

 “寂しさ”は次第にエスカレートし、やがて相手を欲する気持ちへと変化する。自分で引いたはずの境界線を越えようとしてしまう。だが前述した通り、境界を越えてしまうことで自我はなくなってしまう。そのジレンマにより生じる“切なさ”こそが、『空の境界』で描かれているものだと、私は思う。

 それを象徴するような文章がある。

 

 “人間は、ひとりひとりがまったく違った意味の生き物。

  ただ種が同じだというコトを頼りに寄りそって、解り合えない隔たりを空っぽの境界にするために生きている。

  そんな日がこない事を知っていながら、それを夢見て生きていく。”

 

 結局、個でいる限り人間が分かり合うことない。分かり合いたいという気持ちも、自己を拡大したいという欲望に過ぎないだろう。

 それでも、誰かと分かり合う夢を見ることくらいは自由だ。それは、“寂しさ”を感じる私達にとっては、確かな救いとなる。

 

 FacebookやLINEなどすらなかった1998年から既に、奈須きのこは人が関係する儚さを訴えていた。ある意味において人との繋がりがより強固になり、同時に個という概念も強くなるこの時代に生きる私達は、もっとそれを繊細な問題として考えるべきなのかもしれない。そうすれば、経済成長などという神話に頼らずとも、幸福へと繋がる糸口が見つかるだろう。

 『空の境界』という作品を読み返しながら、そんな祈りを胸に抱いた。

Blog お引越し!

こんばんは! Repro新メンバーの綾町です!

3/22のComic Cityでお越しいただいた方はありがとうございました!

(と言いつつも、ほとんど誰にも興味を持たれなかったという・・・やっぱりオリジナル、かつ小説は厳しい!)

次回は、オリジナル小説に優しいと評判の文フリ大阪に参加予定なので、もう少し興味を持ってもらえるかな、と期待しています! もちろん、それに向けてガンガン新作書いていきますよ!

 

それに加えて今回、Blogをアメブロhttp://ameblo.jp/repro09からはてぶへとお引越ししました!

というのもやはり、小説という内容はアメブロとは少しずれているかな、という懸念がありました。

また、今後はトレーニングも兼ねて批評をどんどん行っていくつもりなので、そういう批評などが多い、はてぶ(でいいのか?という気もしつつですが・・・)に移行しました!

今後は、毎週土曜夜にメンバーがそれぞれ気になる作品の批評を行っていく予定ですので、お楽しみに!

また、HP, twittewでは新企画REPROJECTを開始しています!

そちらの方もどうぞよろしくお願いいたします!